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身近なことから始めるGiverのススメ

GiverとTakerとは

GiverとTakerをご存知でしょうか?アメリカの心理学者、アダム・グラントが提唱した概念です。

Giverは見返りを求めず他人に惜しみなく与える人、Takerは自分の利益を最優先に他人から受け取る人、を指します。

すごく大雑把に言うと、Giverは利他主義、Takerは利己主義とも言えます。

正確にはGiverの中にも、自分の資源を持続可能な範囲でGiveする人(他者志向性)と、ただただ消耗して破綻してしまうGiver(自己犠牲)がいるようです。
(もちろん望ましいのは他者志向型のGiver)

Takerも一概に利己主義というよりは、人間関係の中での行動パターン戦略的なものを指します。

ですからTakerは利己主義よりは狭い概念と言えます。また現実的にはGiverとTakerの中間の、Matcherと呼ばれる人たちもいます。

勝負の世界でGiverとして振る舞う凄さ

今回Giverの話を書こうと思い至ったキッカケが、
F1レースでした。
※F1は世界最高峰の自動車レースです。

世界でたった20人しかいないF1ドライバー(最高年収は80億円とも言われています)。

時速300km以上の命懸けのレース、順位によって大金が動く世界で、それ故狡猾なドライバーも多い中、

ランド・ノリスというナイスガイなイギリス人ドライバーがいます。

このノリスが先週末に行われたカタールGPで見せたのが、チームメイトにゴール直前で優勝を譲るという行為でした。

2台1チームのF1の世界では「たまに見かけること」なのですが、勝ち気なドライバー同士では衝突が起こることも少なくなく、チームオーダーに従わず譲らないドライバーも少なくありません。

今回のノリスは「自分の意思」で優勝を譲りました(多少伏線はあったのですが、それでもチームオーダーなしで順位を譲るのは珍しい)。

またその次のレースでは、ノリスはレース委員会からペナルティを課せられ、これにより2位から最下位に落ちてしまうという憂き目にあいました。

しかしレース終了後に素直に非を認めて異議を申し立てるようなこともしませんでした(これも珍しいことで、大抵は万に一つでも裁定が覆る可能性や今後ナメられないためにも、形だけでも抗議をするケースが大多数)。

ノリスは自分の利益や名誉に執着しないんですね。ハングリーさが足りないとか、そこがレースドライバーとして唯一足りない部分だとか言われていますが、

そんな彼ですから悪く言う人を聞いたことがありません。日本を含めて世界中に「ランド」ファンが大勢います。応援したくなるナイスガイなんです。

NBAに加入したバスケ選手の河村勇輝選手もそうです。加入したばかりで自分の得点やアピールに執着するのが通常のところ、彼はその献身性から「セルフィッシュじゃない」と周囲に認識され、

今ではむしろチームメイトが河村選手にシュートを打たせようとボールを回したり、ファンからもWe want Yukiのチャントが起こるなど河村選手のプレイタイムを作ろうと必死になっています。

勝負が懸かっている状況や追い詰められた状況ではその人の本性がでるものですが、ノリスにしても河村選手にしてもそんな状況下でも「Giver」としてふるまえる人には自然と人が集まり、最終的には有形無形の様々なものが自分自身に返ってくるのです。 

今からでも遅くないGiverのススメ

GiverになるかTakerになるかは、先天的な要素よりも、どういった環境・両親の元で育ってきたかという後天的な要素が大きいように個人的には思います。

小さいころからボランティア活動や他者を援助するコミュニティに属していた子は、自分自身が何かを与えられる存在であることに気づき、大人になってからも親切で寛大で自信をもてること、何より心の健康を保つことにつながります。

こういった活動は、小さいころから逆境的小児期体験(※ACEs、虐待やネグレクトなどを経て来た人たちにとっても、それを打ち消すような解毒作用があることも知られています(※PACEs)。

※ACEs:Adverse Childhood Exxperiences、※PACEs:Protective and Compensatory Experiences 保護的・補償的体験

今からGiverになるにはもう遅い、ということはありません。Giverになる、と言っても明日からいきなりボランティア活動を始めたり、寄付をする必要もありません。

仕事でも家事でも、まずは身近なことからGiverになることを意識してみてください。最初は多少打算的でも構わないと思います(見返りは求めない)。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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