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卓越した文章力を持つ研修医の話

ご訪問ありがとうございます。久しぶりの更新になります。今年もよろしくお願いいたします。

慶應出身の研修医

私の勤務している精神科病院には、月に1人、研修医の先生がやってきます。医者になって最初の2年間は、各診療科を月ごとにローテートする仕組みがあるからです。

今回は先月うちの病院に来ていた研修医の話。その彼は慶應中高、大学も慶應大学医学部を出ている、生粋の元慶應ボーイでした。

ただ正直に言うと外見や佇まいからはあまりそうは見えませんでした。

慶應ボーイというとスマートで都会的なイメージですが、彼の場合はぱっと見素朴で、ただそんな中にも一本芯が通っているような、そんな印象でした。

「先生、あまり慶應っぽくないって言われるでしょ?」といたずらっぽく聞いてみると、

「よくそう言われます」と返ってきました(意地悪な質問だったかな、)。

引き込まれる内容のレポート

そんな彼の、とある個性に気がついたのは症例発表会の時でした。

研修医の先生には何人か入院中の患者さんを受け持ってもらいレポートを書いてもらうのですが、彼の書く文章がとても洗練されていたのです。

一つ紹介すると、レポートの【考察】の部分、

『エビデンスではなく、ナラティブ(※)重視な治療選択が求められることを象徴している』

※ナラティブ‥‥直訳すると物語。(一般論である)症状/診断だけを取り扱うのではなく、患者さん個々人が抱えている事情や背後にあるものを重視する考え方。

もう一つ彼の書いたレポートの文章を紹介すると、

『〜〜は一元論的に説明が可能であるが(中略)実際にはそれぞれがオーバーラップした結果であると推察する』

こういった言い回しは、言葉も含めて言われてみればスッと入って来るし自分にも書けそうな言い回しではありますが、実際に研修医の先生がサラッと書き上げるケースは極めて珍しいと言えます。

一文一文が洗練されていて、読んでいてスッと入ってくる、ついつい聞き入ってしまう感覚がありました。

そこで私はこの研修医にこう聞いてみました。

「先生の文章、個人的にすごく好きなんだけど普段から何か書いてる?」

すると期待していた以上の答えが返ってきました。

「実は中学生のころから10年以上、毎日欠かさず日記を書いているんです」

卓越した文章力には理由があった

毎日の日記を書くにあたって、彼の中でいくつかルールが設けられていました。

どんなに忙しくても毎日一言だけでも書く、

その時の気分や感情が筆圧や字体に「乗り移る」ため必ず手書きで書く、

そしてその日記は「誰にも見せないよう決めている」。なぜなら、他人が読むことを前提に書くと、どうしてもフィルターがかかってしまうから。

その時に本当に自分が書きたいこと、感じたことを書くために誰にも見せないよう決めていたのです。

日記がアウトプットだとすると、もちろんインプットもされているそう。

村上龍の小説が好きらしく、分からない言葉や表現があったらその場で調べて、メモして後で見返しているとのこと。高校の頃は小説家になることも考えていたそうで、第二志望は文学部だったとか。

どのルールも彼の卓越した文章力を裏付けるのに納得のいくものでした。

おわりに

精神科は、他の診療科と比べても文系寄りの要素が強い診療科と言えます。文章や言葉をどのように捉えるかどう表現するのか、診察場面においてとても重要視されるからです。

今回の研修医の話にしてもそうです。彼の素敵な文章(表現)がなければ、またそれを指摘しなければこれほど多くの発見には至らなかったでしょう。

今月はまたどんな研修医の先生が来るのか、楽しみにしておきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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