【医師エッセイ】指輪物語
私が勤務する病院に彼女は勤務していました。不注意、ケアレスミスが多く、いろいろな部署が彼女を持て余していました。たらいまわしにされている彼女は、これまでも厳しく怒られたり、陰口を叩かれたりもしていたそうです。部署は違っていても、そういう噂だけは広まるため、私の耳にも入っていました。
そんな彼女が、私が所属する部署にやってきました。実際はどういう人なんだろうと思い一緒に仕事をしていると、確かに不注意とケアレスミスが目立ちます。けれど、彼女の見た目はとても美しく、仕事に関してはバカと言ってもいいぐらいのまじめさがありました。
私は子どもの発達障害診療が専門です。だから正確に診断したわけではありませんが、彼女には発達障害の傾向があることに気づきました。だから私は彼女にはわかりやすく、視覚的に伝える、一連の流れを見通しを持たせて説明する、ということを徹底しました。すると彼女の欠点ともいえる部分は明らかに減ったのです。
彼女は不注意があるものの、それに対して反省をしていないように見えてしまうので、周りがいら立ってしまうことがあります。しかし彼女は傷ついていました。
病院での飲み会や会議があれば、まずは私の隣に座る。私も見知らぬ人と長い飲み会や会議は窮屈を感じるので、悪い気はしません。むしろ綺麗な彼女と一緒にいるのは、むしろいい気分でした。
そんな彼女は家から出るときに誓いをして外出しているということを教えてくれました。
「思ったことを口に出さない!」
つい余計なことを言って、人間関係がこじれてしまったことがこれまでにも何度もあったからでしょう。しかし気が緩むと、つい思ったことを口にしてしまうときがありました。
「先生、私のこと好きなんでしょ?」
潤んだ瞳でそう言われると、私はどう答えていいのかわからず、うろたえたこともあります。
「先生、指輪が欲しいの。買ってくれない?」
そんなことを言われたこともあります。初めは冗談だと思っていたのですが、何度も言ってくるので本当に欲しいのかなと思い、一緒に飼いに行ったこともありました。彼女は天性の甘え上手。私の心をくすぐる女性でした。
それからしばらくして彼女は別の男性と結婚しました。結婚を前提にお付き合いをしていた方だったそうです。しかし彼女は結婚後に乳がんを発病し、あっという間に亡くなってしまったのです。
私は病院関係者でもあったので、何度か彼女のお見舞いに行きました。すると彼女は、私が買ってあげた指輪を持っていました。結婚をしたのにどうしてだろう、と思ったこともあります。けれど、それ以上のことは私にはわかりません。
彼女が亡くなり、私はようやく彼女のことが好きだったんだ。そして、彼女も私のことを本当は好きだったんだと気付きました。でももう彼女はいません。もう気持ちは伝えられないのです。
後悔とともに心に残り続ける私の思い出です。