私の西村賢太ブームがひとまず終わった話
【2024年の一部まとめ】
「苦役列車」の著者として有名な西村賢太さん。逝去されてから好きになった作家さんです。以下、「私の西村賢太ブームがひとまず終わった話」という記録。誰が読むのかな???
【写真1・西村賢太氏の師匠作を読む】
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昭和42年生まれの作家・西村さんは、自身の人生が救いようのない地獄ループに陥ったとき、作家・藤澤清造(せいぞう)の小説「根津権現裏(ねづごんげんうら)」を再読して共鳴する。昭和7年に“芝公園で狂って凍死する”という、ものすごい亡くなりかたをした清造。それ以来、西村さんは自身を「清造の没後弟子」と勝手に自称することに。死後ずっと文壇から軽んじられ、忘れ去られた悲しき師匠の作品をまとめ、全集を作ることを人生の目標とする。
まとめるのは清造が書いたものだけではなく、“清造について”言及されたあらゆる文章もです。手紙や文芸誌の小記事まで。目標達成のためにはとにかく資金調達と、正確なデータ集め。清造の文章を入手すれば、それをじっくり校訂して手書きで清書する。
頻繁に目先の誘惑に負けつつ、そして金策のためなら人でなし行為をも辞さず頑張る西村さん。そのうちに自身の作品が徐々に評価され「苦役列車」で芥川賞作家に。受賞の際のトホホ発言は有名です。
西村さんの作品には、とにかく「清造、清造、清造」の文字。西村作品にじわじわハマっていた私は今年やっと、清造の「根津権現裏」を読みました。読み終えた最後のページに「本文校訂 西村賢太」の文字を見たときにはさすがに涙が出た…。長らく日の目を見ることのなかった「根津権現裏」がなぜかいま文庫化され、一生無縁だったであろう私のような読者がそれを読んだ。「本文校訂 西村賢太」の文字に集約された西村さんの歩みを想像しました。
西村さんは2022年に急逝。清造全集を作る夢叶わず。が、西村さんの力で作家・藤澤清造がよみがえったのは事実だし、清造の存在なくしては作家・西村賢太もいなかったと言って良いでしょう。
肝心な「根津権現裏」ですが、こりゃあ…確かに西村さんは清造の足元にも及んでないわ…と思いました。上から目線な発言に聞こえますが、西村さん自身が、作品内でその趣旨の発言を重ねています。根津権現裏、激やば作品でした。読むなら心身健康な時がおすすめです。
【写真2、鶯谷の信濃路】
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ところで西村さん、本来は縁もゆかりも無い清造が眠る石川県七尾まで毎月のお墓参りをほぼ欠かさず、清造が眠る隣に自身の墓石まで建てました。今まで読んだ西村作品で一番好きなのは「墓前生活」という短編です。持ち前のねちっこさを発揮して清造の墓碑を北区滝野川の自宅に持ち帰る話。
西村作品(とくに日記をエッセイ化したシリーズ。晩酌のお供に最高。)によく出てくる居酒屋が、鶯谷の信濃路。西村さんと親交の深い玉袋筋太郎さんが信濃路で友を追悼する動画をアップされています。涙なくしては見れん。で、そんな信濃路に私もひとり足を運び、心の中で献杯しました。作品に深夜の信濃路が登場するとき、高確率でハムカツ飲みの描写があったけれど、私はハムカツ断念。
代表作「苦役列車」もそうですが、小心かつ凶暴な主人公のあまりのクズぶりが笑える西村作品。が、私が感じる魅力はその部分以上に、西村さんの狂気とも受け取れる藤澤清造への愛と執念です。愛と執念があればここまでなりふり構わず生きられるんだと圧倒されます。たとえその愛と執念が、世のため人のためでもなく、自身の名誉のためでもなく、すでに死んでいる赤の他人へのリスペクトだとしても…。
【写真3、西村さん@信濃路】
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自分が良いと思うものにすぐ感化される私は、自分の生活価値観がだんだんと西村賢太化しているんじゃないかと恐怖し始め(笑)、このあたりで2年間ほど続いた西村賢太ブームはいったん終了🙂↕️
フリマサイトでまだまだ高騰価格な西村作品。いつかは全作読みたい😊