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南極に行った猫と犬と鳥

1956年11月8日、1匹の子猫と22頭のカラフト犬、2羽のカナリアが南極観測隊、船の乗組員ともに観測船「宗谷」で日本から南極へ向けて出発しました。
子猫の名前は「たけし」。そして22頭のカラフト犬のなかには後に世に知られることとなる「タロ」と「ジロ」がいました。



先日、東京都立川市にある、国立極地研究所 南極・北極科学館に行ってきました。
南極と北極の研究所だから、すぐにでも船に乗って観測に出かけられそうな海沿いにありそうですが、意外にも海から離れた立川市にあります。

前に『ペンギンが教えてくれた物理のはなし』という、南極やその周辺でアザラシやペンギンの行動や生態を研究している渡辺佑基さんの本を読みました。その本で研究所や科学館のことを知り、行ってみたいなと思っていたのです。

もう一つ、私は猫好きなので猫について本を読んだり勉強会に行ったりと、せっせと猫情報を仕入れているのですが、実は第1次南極観測隊と一緒に南極に行った猫がいるらしいと。

「たけし」と名付けられたその子猫は非常に珍しいオスの三毛猫だったそうで(三毛猫、サビ猫はほぼメス)、縁起がいいから航海のお守りとして連れて行ってと観測隊に託した人がいたそう。ちなみに「たけし」というのは観測隊の隊長の名前からとったとか。
写真を見ると、はっきりとしたオレンジ・黒・白の三毛ではなく、キジの入った三毛だったようですが、当時の写真でははっきりとはわかりません。
ちなみに今は南極に動物を持ち込むことは禁止されています。


この情報社会でたけしや犬たちの情報はオンライン上にほとんど出尽くしているかも知れませんし、タロとジロに至っては何冊も本が出版され、映画もつくられています。

でも実際に科学館に足を運んで、南極の雰囲気を感じながらたけしや犬たちに思いを馳せてみたい。

そんなわけで、6月のある日、南極・北極科学館に向かったのでした。

曲線の屋根でおしゃれな感じ。当日は大雨でした。

これは「蜂の巣岩」と呼ばれる、南極でよくみられる岩です。
南極の強風にさらされ、風化していくうちにこんな形になったそう。
恐るべし、南極の風。

最初は隕石かと思った。


こちら、入館は無料(!)。

入り口のあたりの床には南極大陸と北極の地図があります。

南極はどこの国のものでもありません。様々な国が基地を置き、協力しながら観測や研究を行っています。
日本の昭和基地はこの地図では右上の方、東オングル島という島にあります。
地図上ではアフリカ大陸の遥か南、日本からは14000kmの所に位置します。

少し進むと南極の氷を触れるコーナーが!
南極の氷は、降り積もった雪が長い時間をかけて押し固められてできたものだそう。そのため、雪の隙間にあった空気も一緒に氷に閉じ込められます。

南極の氷は厚いところで5000メートル近くあり(!)、それを長〜くくり抜くことで、大昔の地球環境を調べる研究も行われています。

観測隊の方々が氷山から切り取って船で運んできて下さった氷。
ありがたく触らせていただいた。
小さい気泡がたくさん。とける時にパチパチ音がする。

南極大陸の模型。面積は日本の37倍。

約2億年前は他の大陸と陸続きだった南極大陸。昭和基地があるあたりはインドやスリランカの近くにありました。そのため、恐竜の化石や、ルビーやサファイアなどの鉱物も見つかるそう。
長い時間をかけて今の位置まで移動してきました。

第1次南極観測隊の服装。
昭和基地周辺は冬にはマイナス30℃を下回ります。北極は海ですが、南極は大陸なので、同じ極地でも南極の方がずっと寒いそう。

足元には猫のたけしが。

小さなたけし。フェルト人形作家、荻原弘子さんの作品です。


このフェルトたけしは南極にも行った。


こちらは犬たちが引いたソリ。

第5次隊までは雪上車だけでなく犬ゾリも使われていました。
長い船旅で動き回れなかった犬たち。もともと寒さに強い犬種ということもあり、雪原に降りると水を得た魚のように元気になったそう。

こちらは第一次越冬隊の隊員で犬の係だった北村泰一さんの著書。

非常に賢く、誇り高きカラフト犬。しかも大きな体で力もかなり強い。最初はなかなか皆で息を合わせてソリをひくことができず、訓練は相当に大変だったそうです。また、喧嘩も激しく、なかなか止められなかったといいます。最初は人に教わった通り手荒なやり方に頼るしかなかった北村さん。しかし、犬達と過ごすうちに彼らも人間と何ら変わらない感情を持っているということに気づいていきます。
今では当たり前のことですが、当時は、動物にも人間と同じように心があり、我々と同じようにプライドもあり、喜びや苦痛や悲しみも感じる、という考え方は一般的ではなかったのかも知れません。

第1次越冬隊がボツンヌーテンという、昭和基地から200km近く離れた岩山に行った時は雪上車が使えず、犬ゾリで行きました。
犬たちは見事往復400キロ以上の道のりを走り切りました。他のいくつもの探検でも犬たちは活躍しました。

雪に埋もれながらも、氷で足が切れても、犬たちは力の限りソリを引いていたそうです。
越冬した19頭のうち1頭はメス(越冬中に子犬を出産)、1頭はすでに亡く、1頭は失踪。体調を崩す犬もおり、最後の探検は13頭になっていました。

見ていたら、涙が出そうになり慌てて移動。

犬たちの写真


歴代の南極観測船の模型。
右下が第1〜6次隊が乗っていた宗谷。左上が現役のしらせ。
大きさの違いにびっくり。

たけし、カラフト犬たち、2羽のカナリアはこの船で南極へ行った。
船は南緯40度付近の荒れ狂う海で木の葉のように揺れ、60度くらい傾いたとか。


第9次越冬隊が1968年から1969年にかけて南極点に到達したときに乗っていた雪上車のうち、1台が展示されています。

小松製作所製  KD604。ものすごく頑丈そうな四角い形。
中は暖房や調理台、ベッドなどがあります。
な、なんと、燃費は250m / 1リットル
燃料の入った大量のドラム缶をソリで引いていったそう。
ちなみに、現在の雪上車は約4km/Lまで改善されているとのこと

昭和基地の模型。
第1次隊が基地を設営した場所が昭和基地となりました。

現在は暮らしやすいよう、トレーニングルームや野菜の水耕栽培室などさまざまな施設があるそう。

南極や北極で暮らす動物たちの剝製コーナー。
右側はアデリーペンギン。卵から孵ったばかりのピヨピヨしたひなは3週間で後ろにいるモコモコしたひなの大きさになるそう(!)。
大きな鳥はトウゾクカモメ(盗賊なんてすごい名前つけますね、ニンゲンは。ニンゲンの方が盗賊なのに)。
ちなみに、たけしもこのカモメに襲われそうになったことがあったとか。
きっと猫パンチで応戦したはず。

冬毛バージョンのホッキョクギツネ。

もふもふ

南極にいるウェッデルアザラシやアデリーペンギンは、天敵が少ないため警戒心が弱く、人間を怖がらないといいます。
一方で、北極にいるアザラシやペンギンはホッキョクグマをはじめとした天敵が多いため、警戒心が強いそう。

南極のペンギンは好奇心旺盛で、基地を覗きに来たり、野外で観測していると近くで見物していたりするんだとか。
第1次観測隊が来たときも興味津々な様子で、犬ぞりで走っているとペンギンたちが集団で駆け寄ってきてしまい(それもそのはず、犬を見るのは初めてなので)、お腹を空かせた犬に襲われてしまったりしたそうで、近寄らせないようにするのが大変だったとのこと。


コウテイペンギンの歩いている映像。
肩を左右に揺らしながらゾロゾロ歩いてくる様子がなんだかユーモラス。

じわじわきた(笑)


動物にデータロガーを装着して、行動や生態を研究するバイオロギング。

館内ではペンギンに取り付けたカメラで撮影された映像も流れていました。人間目線じゃないからでしょうか、見ていて飽きない面白い映像でした。

このパネルの左に写っているウェッデルアザラシ、背中にデータロガーを装着されていますが、どう見ても太りすぎて動けなくなっているようにしか見えません(笑)。
おそらく全身をぽよんぽよんさせながら移動し、海に飛び込むのでしょうが、水に入った途端に本領発揮、すいすい泳ぎます。
ウェッデルアザラシはなんと、700m以上の深さまで潜ることが確認されています。それができるよう特化した体を持っているそうです。

後続のアザラシやペンギンの姿も。我々には決して撮れない映像です。

ウェッデルアザラシの剝製。横にデータロガーが展示されていました。

データロガーは動物に負担が少ないよう装着しています。


このほかにも様々な展示があり、見応えがありました。
企画展や、小学生〜高校生を対象とした教室も開かれているようです。
ご興味のある方は是非。

こちらはもらってきた資料。「極」という季刊誌はPDFでも見ることができます。この号はピングー特集。充実した内容でした。

ピングーはスイス生まれ


外にはカラフト犬たちのブロンズ像があります。


こちらのページはたけしや犬たちのことが詳しく載っています。写真もたくさん。貴重なカナリアの写真もあります⇩


たけしは基地で生まれた子犬たちと仲良しで、よく一緒に遊んでいたそう。隊員の皆さんにも可愛がられていたようです。
夜は、たけしのことを一番可愛がっていた作間隊員の寝袋に潜り込み、一緒に眠っていました。

⇩貴重な写真や映像を見ることができます。


⇩たけしのことはこちらのほぼ日刊イトイ新聞の記事にも載っています。


こちらはたけしのことを描いた絵本です。私も読みました。
たけしの写真も載っています。
犬たちはソリをひくという重要な仕事がありましたが、猫のたけしには決められた任務はなく、隊のペットとして皆に可愛がられながら自由に暮らしていました。

たけしの絵本は、なんだか切なくなり涙涙。
前述のタロとジロの本もボロボロ泣きながら読了。


第1次越冬隊が任務を終えて宗谷に戻る際、悪天候と分厚い氷に阻まれ宗谷が接岸できなかった為、セスナ機で戻りました。
重量制限が厳しかったため、隊員と必要最低限の物資、猫のたけし、基地で生まれた子犬6頭、2羽のカナリアが宗谷に戻りました。
犬たちは第2次越冬隊に引き継ぐ予定で置いてきました。

その後入れ替わりで第2次越冬隊のうちの3名が基地に向かいましたが、悪天候のため宗谷から物資を送ることができずその3名も宗谷に戻ることとなりました。3名が宗谷に戻る時も残っていた子犬2頭と、子犬が離れようとしなかった母犬1頭を連れて戻るのがやっとだったそう。その時は重量オーバーで、犬1頭分の燃料を捨てて飛んだそうです。
救援に来ていたアメリカの砕氷艦ともども氷に閉じ込められるギリギリまで第2次越冬隊を送り込むことを諦めないで留まりましたが、気象条件が悪すぎて断念。宗谷もスクリューが折れ、満身創痍の状態でした。

こうして15頭の犬たちが基地に取り残されることとなったのです。

犬係だった北村さんは第3次越冬隊として昭和基地に戻り、生き残っていたタロとジロと再会しました(実はもう1頭、生きていたと思われる犬がいたそうです)。
犬たちのことは様々な本で書かれています。


ちなみにたけしは帰国後、一番可愛がっていた作間隊員の家に引き取られ一緒に暮らし始めますが、1週間後姿を消してしまいそれきり戻らなかったそうです。

子猫の時から船に乗り、南極で1年暮らしたたけし。
ものすごく寒かったとは思いますが、適応力の高い猫のこと。しかも若かったたけしはマイナスの気温や雪にも慣れ(南極の夏は外に出られたようですが、やはり寒かったようで機械で暖をとっていたら感電してしまったことがあったそう)、皆に可愛がられ、子犬たちとも友達になり、南極での生活がたけしにとっての日常だったのだと思います。

急に全く環境の違う日本に連れて行かれ、新しい環境にものすごく戸惑ったと思います。自分のいるところはここじゃないと思ったのか。
自分を連れ回す人間たちが嫌になり逃げてしまったのでしょうか。
おそらく未去勢のオスだったので、メスを探しに出て行ってしまったのかもしれませんし、もしかしたら誰か別のお家で暮らしていたのかもしれません。

もはやたけしがどうなったのか知る由もありません。
人間の身勝手であんな寒い辺鄙なところに連れて行かれて動物虐待だという声もあるかもしれません。

でも、寒いながらも自由に過ごせた南極での暮らしはたけしにとって幸せだったのではないか、そう思うのです。



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