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頭を抱え続けて

ここ4年ほど、私はある問題で頭を抱えている。

私の母はアルコール依存症だ。

昨年の冬に自宅(母は一人暮らし)で生活するのが困難になり、高齢者施設に入居した。
飲酒のコントロールができず、体調がどんどん悪化し、食事を全く摂らず、酒しか飲まなくなり動けなくなってしまったのだ。

施設に入居し、酒をやめるとみるみるうちに元気になった。
よく食べるようになり、顔つきが明るくなり、痩せ細って縮こまっていた体はシャンとしてきた。


実は精神科病院への入院も含めると、これが3度目だ。

若い頃からアルコール性肝障害を指摘され続け、4年ほど前に大きく体調を崩した。短期間で坂を転がり落ちるように体調が悪化した。一緒に行った近所の総合病院では医師に説教され、「今すぐに酒をやめなさい、やめないならどうぞ勝手に死んでください」みたいなことを言われた(でも熱心で良い医師だったと思う)。
とにかく生きているのが不思議なくらいな状態だった。
その少し前からは、仕事に行くのを忘れたり今までしなかったようなミスもするようになっていたようだ。それで落ち込んでしまい、更に酒に頼るようになったらしい。

往診に来ていたクリニックの紹介で、精神科専門病院へアルコールの解毒と断酒プログラムへの参加も含めて2ヶ月の予定で入院することになった。が、ほっとしたのも束の間、毎日のように電話がかかってきて、「こんなところにはいられない。明日には帰らせてくれ」が始まった。
結局、病院から入院の継続は不可能なので退院してもらう、と連絡がきた。
要は、追い出されたということだ。やる気のない人は帰ってください、と。

顔色も良くなり、食事も摂れるようになりだいぶ元気になっていたが、入院は3週間で終わった。
仕方なくむかえに行き、帰りに駅ナカで一緒に昼食をとった。その時ビールを飲んでいた母の満足そうな顔に、やり場のない怒りと絶望感を覚えた。

今思い出すと、勝ち誇ったような顔の母と完全無表情の私とのコントラストがちょっと笑える。


その後、再び坂を転がり落ちるように体調が悪化した。

少し話が元に戻るが、私は母の入院中に母の職場に休職の旨を連絡し、カードキーも返却しており、母には休職扱いにしてもらっていることも伝えていた。にも関わらず、母は退院後すぐに何を思ったか職場に行ってしまい、誰かと一緒に職場に入り、あろうことか社外秘の文書(!)を持ち帰ってきてしまった(しかも本人ははっきり覚えていなかった)。
青ざめた私は母の職場へ連絡し、謝り、文書を返却した。そして母本人の意向も確認し(状況を理解していなかったかもしれないが)、母は正式に退職することになった。

よく、アルコール依存症の人の家族がやってはいけないこととして飲酒で起こった問題の尻拭いがあげられている。それには職場に迷惑をかけたことの謝罪なども含まれている。飲酒を助長してしまうからだ。
もちろん本人が自覚して自分で対処してくれたら良いのだろうけど、母を見ていた限り無理だなと思った(本人が自覚し自分でやってくれるなら、回復への望みは少しはあるかもしれない)。
会社には迷惑をかけているし、本人は自覚していないので私がやるしかなかった。

母は酒を飲み続け、体調はどんどん悪化していった。その間も週何回も往診に来てもらい、私も仕事の後や土日に実家へ通う日々が続いた。

しまいには母は腹水と脚の浮腫で体重が10キロ増えてしまった。
人間の脚ってこんなに太くなるんだ、とびっくりした。
浮腫で歩きづらくなり、自宅で転倒し、いたるところにアザができていた。
デイサービスからの電話でそのことを知ったのだが、電話をかけてきたスタッフの方の口調が忘れられない。
私を責めるような、「なんでお母さんのためにもっと何かしてあげないんですか?」と言いたげな口調だった。もしかしたら虐待を疑っている?とも思えた。

私が後ろめたさを感じていたからそう聞こえたのかもしれない。
正直言うとうんざりしつつ、でもうんざりしてはいけないとも思っていた。自分の親なんだからもっと献身的にならなければいけないのだろうか、私は母に冷たいのだろうか、とも思いつつ積極的な行動に移せなかった。
私は逃げたかった。

でももう少し早く、強引にでも母を家から離すという行動に出ていれば、母がアザだらけになることはなかったかもしれない。

今思えばもう少し強引な手段に出ても良かったと思うが、あの当時は何をやっても無駄だという諦めしかなかった。


母がこういう状態にならないためには、「酒は1滴も飲まない」、その一択だ。だが、母は自分が酒をコントロールできなくなっていることを認めず、
「やめなくたって週1回くらいならいいじゃない」と言う。
コントロールできないからこそ、「飲まない」という選択肢しかない。
よく言われるように、アルコール依存症の人は1杯目を我慢することはできるけど、2杯目を我慢することはできないそうだ。どんなに長期間断酒していても、ほんの少しでも飲んでしまえば、もう歯止めが効かなくなるという。

母は本当に酒が好きだったのかどうかは分からない。最初は好きで飲んでいたのかもしれない。でもだんだん飲まずにはいられなくなった。
アルコール依存症はれっきとした病気だ。飲み始めると自分の意志でコントロールすることは不可能だ。飲まないでいると禁断症状が出てきて、飲まずにはいられなくなる。そしてアルコールで体が蝕まれていく。

ちなみに私はスーパー下戸で1滴も飲めない。ほんの少しでも飲むと貧血を起こして倒れてしまう。料理で日本酒やワインを使っても、ガッツリ火を入れてアルコールを飛ばす。酒の美味しさと言うものが全くわからない。だから、母と旅行に行った時などは母だけ飲んでいて、母にとっては少しつまらなかったんじゃないかと思う。



浮腫で動けなくなった母は、緊急で高齢者施設へ入居することになった。ちなみに、入居する前はどんなに動くのが大変になっていても酒だけは買いに行っていた。それがアルコール依存症というものなのだ。

酒を断つと体調は少しずつ良くなり、象のように太くなっていた脚も元の細さに戻った。数ヶ月後にはすっかり元気になった。
施設での生活もそれなりに楽しかったようだ。職員の方や看護師の方たちとも仲良しで、ちょっとした人気者だったらしい。家に帰りたいとは言っていたが。
だが入居から10ヶ月ほど経った頃、恐れていたことが起こった。
「もう無理、家に帰る」と言い張り、こちらも根負けしてしまい、帰宅することになったのだ。

母は帰宅した日から飲酒を再開した。

1年ほどはどうにかこうにか自宅で過ごした。
どんどん具合が悪くなっていく母に危機感を覚えた私が、施設への入所を打診しても「絶対に嫌だ」と断られた。「うん、そうする」なんて言うわけない。
往診やデイサービスも継続し、ケアマネさんとも連絡を取り合い、入れそうな施設を探してもらったりしていた。が、結局最初に書いたように動けなくなり、現在の施設に入居することになった。

そして入居した当初から毎日のように電話がかかってきて、
母「今週末にはむかえにきてちょうだい」
私「!!」「いや、ちょっと待って」
母「私をこんなところに閉じ込めておく気か?ふざけるな!」
私「お母さん、やっと体が良くなってきたんだからさ、もう少し元気になろうよ」
母「こんなところにいたって、キリがないじゃないの!」
のやり取りが続いている。

電話ではこんな感じだが、面会に行くと楽しそうだ。

なんとか延ばしてきたが、いずれにしてもそろそろ限界かもしれない。
家に帰りたいのは当然だろう。監禁されているようなものだ。
私もせっせと本を送ったり、ケアマネさんも色々考えてくださり、運動ができるデイサービスに行ったり、母もそれなりに楽しんでいるように見えるが。。。
母は施設にいる他の方達よりだいぶ若い。この先ずっと施設で過ごすのは辛すぎるに違いない。本人は「80になったら施設に入る」と言っているが、まだ先の話だ。

でもだからと言って家に帰ればまた酒を飲み始めてしまう(決めつけは良くないが、今までの経験や母の発言からほぼ確実と思われる)。そうしたらまた同じことの繰り返しが待っている。
そう考えると絶望的な気持ちになる。


なんでこんなことになってしまったんだろう、防ぐことはできたのではないか、と思うことがよくある。

私は子供の頃から酒の入った母が嫌で嫌で仕方なかった。
酒が入ると母はほんの些細なことに対しても猛烈に怒り始めた。
夕方に缶ビールを開ける音がすると私の中で警戒アラートが鳴り響く。その後は母を怒らせないようひたすらご機嫌取り。でもうっかり母を怒らせてしまい、家を追い出されたこともあった。今となってはご機嫌取りなんかしなきゃよかったと思う。疲弊するだけだし、適度に距離を置いて接していればよかった。怒っても翌日になれば酔いもさめてケロッとしていたのだから。
今思えば、私もアホみたいにご機嫌取りなんかして、ある意味病気だったと思う。


そんなわけで、母の飲酒に正面から向き合うことは避けてきた。ずーっと見て見ぬふりをしてきた。それどころか、10年くらい昔は母に喜んでもらうために好きな焼酎をプレゼントしていたこともあった。

私の態度も母の飲酒を助長していたと思う。


他者をコントロールすることはできない。
しようとすればするほど相手の反発を招く。
最初の頃は、「どうしたら母の酒をやめさせられるか」、そのことで頭がいっぱいだった。しかし本人が自分で酒をやめると決めて行動しない限り、決してやめることはできない。

母の要求を無視し続けてずっと施設にいてもらうか。
母の希望通りもう一度家に戻り、また具合が悪くなり、、、を繰り返すか。
思い切って2世帯住宅みたいなところに一緒に引っ越して、環境をガラッと変えるか。
母が何か生きがいのようなことを見つけられれば良いのだが。。。


ケアマネさんと電話で話してもいつも「本当にどうすれば良いんでしょうね」になってしまう。
どうしたらいいのか本当にわからない。


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