北海道と本州の違い

 北海道を離れて久しくなった。大学に進学してからなので7年になる。
大学時代は広島に、そして今は栃木にいる。どちらも北海道からは離れているためか、出身地を答えると決まって北海道との違いを尋ねられる。
 
 そうした質問に対して、自分はいつも食のこと、自然のこと、冬のことを答えてきた。
いくら、かにといったおいしいものがあることや雄大な自然、それに冬には自分の背丈も超えるくらいの雪が降り積もることを話ししてきた。
 
 ただ、今振り返ると、こうした答えは相手の期待を壊さないような答えだったように思う。
尋ねる相手が抱く「北海道像」に寄り添った内容を答えてきた。
北海道にはおいしいものがある、雄大な自然がある、雪がたくさん降るという本州の人が持つ北海道像に迎合した内容であった。
 
 「待ってました!」と言わんばかりの、お決まりの答えを出し、
本州の人が喜んでいるというそういった構図を幾度となく経験してきた。
 
 ただ、こうした答えはそこまでみなさんのためにはなっていないように思う。
なぜなら、これは皆さんがすでに持っている北海道に関する知識を答えているだけであり、
それに対し、自分は北海道出身であるという立場からそうした知識を追認しているにすぎないからである。
 
 自分の答えはすでに知られている。
それはつまり、みなさんは北海道と地元の違いを理解していることになる。
 
 
 
 県外から来た人はいつも出身地との違いを聞かれることになる。
それはそうした違いを理解することが、その地域のまちづくりに寄与するからである。
ほかの地域の良いところを取り込むことはとても大切である。
 
 そうした観点を考慮してか、自分は北海道と自分の今いる地域との違いについて、従来の回答をしなくなってきた。
 
 
 
 最近は、「歴史がその地に根差されていること」と答えるようになってきた。
 
 北海道が本格的に日本の管轄下に置かれるのは明治以降であり、
つまり、北海道は日本になってからまだ150年ほどしか経っていない。
それまでのアイヌに関する歴史といったものはあるが、明治以前の歴史を感ずることのできるものはほとんどない。そのためか北海道出身者は歴史に敏感なのかもしれない。
 
 歴史が多くあることをあまり深く理解していない人が多いように思う。
それはまるで水のようだと思う。水は生きていくうえで欠かせないものであるが、日本は海に囲まれ、川が多くあり、水が不足するということを経験したことがない。
ありふれすぎていて、それがあることが当然のように思っている人が多いと思う。
日本では、水と同様、歴史もその辺にありふれすぎていてきっと感じにくい体質になっていると思う。
 
 歴史とは時間が作り出すものである。時間をかけなければできないものである。
たとえ科学技術が進歩しても歴史をつくりだすことはできない。
そう考えると、非常に貴重なものであり、雑に扱っていいとは到底思えない。
 
 
 
 広島・栃木に住み、また旅行などでその周辺を回って、いつも本州にある多種多様な歴史に驚嘆してきた。
 
 広島であれば、厳島神社や尾道にある平安時代の寺社・仏閣、それに原爆ドーム。
栃木であれば、日光東照宮や鑁阿寺、足尾銅山など各年代を表現する多くの歴史的建造物がある。
 
 また、それは観光地に限った話ではなく、まちそのものにも散らばっているように思う。
古墳がその辺にあること、城 (または城跡) があること、瓦屋根を有した木造建築がいたるところにあること。そうした歴史を感じさせるものがありふれすぎていて驚いてしまう。
 
 日本は単一国家として2000年以上の歴史を有し、それはつまり日本のそれぞれの地域に2000年以上の歴史が連続して流れていることを意味する。
一つのまちに200年以上まえのものがあれば、500年以上前のもの、さらには1000年以上前のものがあり、しかもそれらが混在している。それもまた当たり前であると思いますが、
すごいことのように自分には映っています。
 
 
 脈々と流れてきた歴史がまちに散在していること。
ここが、北海道とほかの日本との決定的で大きな違いであるように思う。
 
 もう少し丁寧に歴史と向き合う必要性があるように思う。
 日本国が誕生していたころからあるその土地の歴史をもう一度各時代で振り返ることがとても大切なように思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?