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【幼稚舎→駒東→一橋→大手総合商社】いつか母が敷いてくれたレールを完走した23歳の今だからこそ思う、中学受験と親の教育について(自己紹介)
初めまして、ほうきスターです。
ずっとやってみたかったnoteをこのたび初めてみることにしました。
僕はこれまで、小学校・中学校・大学受験・就職活動と4度のライフチェンジングな受験を経験しました。
また、大学の4年間で、家庭教師にも熱心に打ち込みました。計10名ほどの中学受験生に合格まで伴走し、駒場東邦、浅野、芝、GMARCH附属校など様々な志望校に生徒を送り込んできました。
こんなのやってられるか!と何度も思いながらも、自分をモチベートして乗り越えた自分の受験🏋️
生徒と親御様の間に立ち、時に涙し、時に抱き合って乗り越えた生徒の受験👦
個人的に23歳というのは、子供と大人の狭間であり、両者の気持ちを理解できる特殊な立場なのではないかと思います。
そんな23歳の今だからこそ分かった、『受験生への向き合い方』や『中学受験をして良かったこと』などの受験のあれこれがあります。
僕のメッセージは素人の一意見に過ぎません。でも、家庭教師として生徒・親御様にも伴走し、受験合格までともに走り抜けたあの日々のように、少しでも受験生や親御様の背中を押すことができれば嬉しいです。また、わかった顔ばかりする塾や学校の先生達にも響いてくれたら嬉しいです。
何より、10〜20年後、子供の受験を考える段になった自分へ、届けることができたら良いなと思っています。
前置きが長くなってしましましたが、
以下、簡単に時系列で自己紹介させて頂きます😊
【小学校時代】
とある大学附属幼稚舎に入学。
小学校ではお育ちの良い同級生らにいたずらと悪知恵を授け、何か面白いことができないかと模索する日々だった。
土日と放課後は、地元の強豪サッカーチームでボールを追いかけ回す日々。やんちゃでサッカーの上手い仲間達とふざけたことばかりしているのは新鮮で楽しかった⚽️
小4の夏からSAPIXに入塾し、気づけば様々な中学校の文化祭に連れて行かれるように。
SAPIX自体は、地元に新しい友達が増えて楽しかった。特に、季節講習期間の午後、毎日のようにサピの友達と日が暮れるまで公園で遊んでいたのは楽しかった。
小学校とサッカーチームの2つの世界しか知らなかった自分にとって、賢くて大人びた友達の多いサピは、3つ目の世界が広がった気がして面白かった。
小6になり、エスカレーターで付属校に進学するか、受験するかの選択を迫られる。
サピの仲間達と一緒に過ごす中高生活の方が、このまま小学校の仲間達と過ごす中高生活より面白そうだと思い、受験を即決した。何より、エスカレーターで先の決まった人生を歩むことを想像するとひどくつまらなく感じた。
幼いながらに、自分の将来の選択肢を広げたかった。
ただ、9割以上がエスカレーターで進学する学校にいながら、外に出るべく受験をするというのは
失敗が許されない気がして、幼いながらにプレッシャーであった。
それ相応の覚悟が必要だと考え、大好きだったサッカーも辞めた。
サピも週4~5日通うようになり、本格的に受験モードに突入した。
夏頃、ストレスで不眠に陥る時期もあった。
春〜夏と勉強時間は増えたのに、成績が伸び悩む時期は苦しかった。
めげずに勉強を続けた秋以降、地力が固まったのか、成績が急上昇し始めた。
国語・算数は筑駒や駒東オープンでも一桁の順位が取れるようになった。
結果、駒東、聖光、海陽(特別給費生)に合格。
家から通いやすく、サピの友達も多かった駒東に入学を決める。
【中高時代】
駒場東邦に入学。
サッカー部と軽音部に入部し、勉強そっちのけで部活と学校行事にのめり込む。
周囲が作り出す、「勉強さえできれば良い」「東大に受かりさえすればそれで良い」の風潮に嫌気がさし、
成績は下がり続け、気づけば学年下位20番以内の常連に。
親には「俺は今しかできないことをやっている」「勉強は浪人してから頑張から今は好きなことをやらせてほしい」と思春期ロッキンロール持論を展開。別に大したことをしてたわけでは全くないのに。当然、親と揉める。
高3の最後の体育祭が終わり、真っ赤に染めていた髪を剃って坊主にしたところ、生活の色気がゼロになる。
鏡を見るたび、俺はもう勉強するしかないんだという現実に気付かされる。
周りが皆目指しているという理由で東大だけは行きたくなくて、京大志望になる。
先生や周囲にはその成績で現役で受かった人はいないよね笑と嘲笑される。
お前ら行事も部活もそっちのけで、ただガリ勉してただけやん!なにがそんなに偉いねん!!
周囲を見返したいの一心で、一念発起。
半年間1日12時間の勉強を続け、京大A判定まで成績を引き上げる。
もはや京大にしか行きたくなくなり、私大の併願はせずに京大に特攻する。
しかし、本番力を出しきれず、あえなく不合格。
浪人を決め、麻雀と予備校見学に精をなしていたところで、親から一言。
「実は、一橋の後期こっそり出願してたんだけど、足切り通過してるから受けてきいや」
は?何で勝手にそんなことするねん、対策してないし、受けたって無駄だよ・・・
と思いながらも受けない理由は特にないので、受験。
結果、肩の力が抜けた状態で受験できたのか、一橋大学(後期経済)に現役で合格。
おとん本当に有難う!!!奇跡的に浪人を回避することができました・・・
【大学時代】
入学と同時にコロナ禍入りし、虚無を味わう。
2年生に差しかかる頃、最も熱い団体に入りたいと思い、学内で最も強かった体育会系の部活に入部。
週5回、朝7時から練習し、午後は筋トレ・自主練・ミーティングを行う日々。
そりが合わず退部していく同期も何人もいた。
でも、学生生活の全てを捧げて、熱い仲間と日本一を目指す環境は心地よかった。
夢に生きる日々はきつかったけれど、この上なく充実していた。
そして、周囲が就職活動を始める3年生の夏。
自分は日本一になることと、明日の練習と筋トレのことしか考えていなかった。
脳筋と化した自分は、
「1年留年して、部活に打ち込みたい。部活で日本一を目指すのは今しかできない。」
「したがって、就活はしない」
と親に啖呵を切っていた。
当然、親の猛反発が始まる。「だれが学費払っていると思っているの!?」「何のため大学に入れたと思っているの!?」「留年なんてしたら、就活も不利になるでしょう!?」
粘り強く戦い、親を説得しかけていた秋、事件が起きる。
僕にとって、3度目の前十時靭帯の断裂だ。
1年弱リハビリ期間を要する、膝の大怪我。
中高でサッカーを続けることを断念させられた、僕にとってトラウマの怪我。
しかも、中高で2度断裂した右膝ではなく、左膝の断裂。
1週間の手術・入院を終えた。
左膝を縦断する大きな傷跡を見た時、もうプレーはできないと悟った。
復帰してまだやれると示したかったけど、膝がグチャグチャになっていくのが、怖くて仕方がなかった。
2ヶ月の松葉杖生活を終えた。
痩せ細った左足を見た時、夢の終わりを悟った。
と同時に、就活をして、次のステップに進まなければならない現実を悟った。
こうして、周囲より半年ほど遅れて就活がスタートした。
部活に学生生活を捧げていた自分にとって、就活は新鮮だった。
様々な活動をしている学生との交流は刺激的だった。
多様な業界の大人と話す機会は世界が広がる気がして、面白かった。
ガクチカ!?志望動機!?そんなもん知るか!って思いながらも
半年ほど就活を続けた。
結果、総合商社、広告代理店、コンサル、銀行から内定が出た。
学生時代のように、でっかい夢や目標が見つかると良いなと思い、
スケールの大きいビジネスを手がける、総合商社に就職を決めた。
【これまでを振り返って】
「中学受験、大学受験、就職活動。いつか親が敷いてくれたレールをどれだけ真っ当に歩んで来れたか。その答え合わせが、就活の結果なんだと思う。だから私は就活で負けたくない。自分の今までの選択を、育ってきた環境を肯定したいから。」
就活してる時友人が言っていた言葉だ。今でも印象に残っている。
思えば大学受験の時でさえ、似たようなことを誰かが言っていた気がする。
これまでの自分を振り返った時、相当真っ当にレールを歩んできたのだなと思った。
何度も親に反発して、レールから逸れようとしてきたのに、結果的には真っ当にエリートレールを歩んできてしまった。
どこか面白くないなとは思うものの、社会に出てそれなりの好待遇を得ながら、将来の選択肢が広がっていること、とても恵まれているとも思う。
きっと親のレールの敷き方が上手かったのだと思うし、支え続けてくれたこと、とっても感謝してる。
一方で、レールの上を歩き続けることの弊害も感じるし、もっと良いレールの敷き方もあるのではないかと感じる。
家庭教師として10軒ほどのご家庭と向き合わせて頂き感じた、子供への接し方の良し悪し。
小中高大の同期の今を見て思うこと。
自分の母の良かった部分とどうしても受け入れられなかった部分。
23歳・社会人1年目の今になったからこそ分かった『あれこれ』があります。
もちろん、家庭教師として関わらせていただく中で、既にお伝えさせて頂いた持論も多分にあります。
ただ、教師業を辞めてしまった今、それをどこにも伝えられずに留めておくのは勿体ないなと思うし、
何より将来自分が子育てをする段になった際に、読み返せるようにしたいので、あえて発信していきたいと思います。
一素人の意見にすぎませんが、周り周ってどこかの誰かの支えになりましたらいいなと思ってます。
よろしくお願いいたします🙇♂️