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【ミステリー小説】消えた口紅 No3(介護施設の男)

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介護職員を名乗る男の3年間の足跡をなぞる!チームフォトグラファー 

ニューイヤー企画のメンバーと会うのは一年ぶりだ。コスメの企画の時は編集者だけが同じだった。この企画にはちょっと苦手なデザイナー氏は参加していないので胸を撫で下ろす。

かつての同僚とのお茶のひと時

2018年8月6日
少し早めに到着し過ぎて、305会議議室は塞がっていた。仕方なく階下に降りて喫茶室に入ると懐かしい顔を見つけた。
まだ、社員だったころのチームメンバーの相場裕子あいばゆうこ松田詩織まつだしおりだった。

当時リサーチャーを担当していた詩織が手を挙げて誘ってきた。
「久しぶり!お元気そうで何より、ところでお母さまはお元気にされていますか?」
「ありがとう・・・母はあの後すぐに亡くなったのだけど、今の自由が手放せなくて相変わらずフリーでやらせてもらってるのよ」

28歳になる裕子も、自分の祖母が介護施設で最後を迎えたと話し出した。
「赤い口紅なんかつけちゃった写真貰ったけど、お祖母ちゃん口紅なんか塗らないし、まだまだ元気だったのに信じられない」
(母の時と同じだ!)と思ったが口には出さなかった。

相場裕子の祖母は他県の施設に入所していた。子供たちは、皆遠く離れていて年に数回しか見舞うことも出来なかったので、祖母名義の預金を預け施設に一任していた。亡くなった時には殆ど残高もなくなっていたが、親族も祖母の遺産を当てにしていなかったので、誰も文句を言うものは無かったという。

「ねえ、その施設に大木顕と言う若いスタッフは居なかった?」
「さあ?スタッフの事までは知らないけどその人どうかしたの?」
「母の担当スタッフだった人なんだけど、お礼も言ってないし会いたいなと思って」

私は10時10分前になったので、会議の事を告げその場を離れた。
305号室に入るとメールに有った招集メンバー以外にもマーケティングチームなど多くのスタッフが揃っていた。

母の担当スタッフの父親がいた!

昼食をはさみ結局15時頃までかかった会議終了後喫茶室を覗いてみたが、当然、裕子の姿も詩織の姿もなかった。
裕子の祖母が入所していた施設名を聞いていたので、調べて電話をかけてみた。

「突然に申し訳ございません、秋葉と申しますが、そちらに大木顕さんと言うスタッフの方はいらっしゃいますでしょうか?」
電話の向こう側は騒々しかった
「大木顕と言う職員は今はおりません」
(ん?今は?)

「そうですか、大木さんに母がお世話になったのでお礼を申し上げたかったのですが、お忙しい時間にご対応ありがとうございました」
電話を切ろうとする私に
「少しお待ちください・・・・・(間があって)大木事務長と代わります」

「顕は私の息子ですが、ここには今はおりません。そうですか矢張り、ヘルパーを続けているのですね」と懐かしそうに涙声で語った。

大木顕は自宅からも姿を消し、現在は何処にいるか連絡もないので判らないとのことだった。

菜摘の知らない顕の苦悩と挫折

顕は、2015年地元の高校を卒業後、父の勤める施設でアルバイトをしながら、福祉専門学校に通い、資格取得を目指していた。

父の大木善行おおきよしゆきは、次男の顕をことのほか可愛がっていたので長男と比べて出来の悪いのは気にしていなかった。

善行は、麻雀やパチンコなどの賭け事が好きで、5時に業務終了しても、帰宅は深夜になる事が多かった。麻雀仲間には、介護福祉士や理学療法士の手伝いをしている息子の事を自慢げに語っていた。

顕は、事務の善行と違って現場勤務だったため、偶には夜勤もあったが、善行の姿を夜間に施設で見ることは無かった。

ある時、顕は善行が入所者の預金をキャッシュカードで引き出すのを見た。
入所者の私物を購入するときは、月に5万円程現金を預かることになっていたので、善行もそのお金を出していると思ったがそうではなかった。

善行は引き出した金を自分の財布に仕舞い、何食わぬ顔で事務所に戻っていった。
何時も優しい父親の闇の部分を見て、顕は愕然としたが何も言えなかった。
勿論、その日も善行の帰宅は深夜だった。

その夜、顕は恐ろしい夢で飛び起きた。
数台の警察車両が家の前の道を埋め尽くし、飛び出してきた捜査員達に押さえ込まれ、喚きながら連れて行かれる父親の姿。そして報道カメラを背にアナウンサーが、自宅前でマイクに向かってしゃべっている姿。母親が声を立てるなと顕を睨む姿。

結局、家族にも父親本人にも何も話し出せず悶々とした日々を送り、学校にもアルバイトにも行かなくなった。あの日までは全て順調で幸せだった。
あの優しい父の笑顔も、顕が幼い頃潤沢に買い与えられた玩具や衣服、両親から出して貰った学費などの全てが悍ましく思えた。
暫くして、全てから逃避するように忽然と姿を消した。

顕に、悪行を目撃されていたとも知らない善行は、突然に消えた息子を怪訝に思いながらも知人や同業者に尋ねるも、杳として行方は知れなかった。風の便りに介護施設で姿を見たと聞けば、訪ねてみるも全てが退職した後だった。

持ち出した通帳の右端の数字が減っていく様を見て、働かねば生きていくことは出来ないと切実に思う顕だった。
だが、顕の生きてきた世界観は狭く、結局、介護職員初任者研修の終了証を手に介護施設のヘルパーとして就職先を見つけるしかなかった。
一見、誠実で温厚そうな介護経験のある若い男の子は、幸いなことに最初の面接から歓迎された。






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