【ミステリー小説】消えた口紅 No1 (悪夢)
介護職員を名乗る男の3年間の足跡をなぞる!チームフォトグラファー
悪魔の足音が響き渡る暗闇
防犯街灯が20m置きぐらいに設置されている倉庫が立ち並ぶ薄暗い路を歩いていた。
突然、背後から肩に手を置かれた。
菜摘は、慌てて数歩進み振向きざま恐怖に固まった。
黒っぽいウエットスーツの様な服の上に同じ色のコートを引っ掛けただけの、男とも女とも区別のつかない人物が、ナイフを振り翳そうとしていた。
薄く開かれた赤い唇から、僅かに白い歯が覗いて私が照らした懐中電灯の光に反射した。
自分の心臓の鼓動が耳に伝わってきて、周りの景色がぼやけて見えた。
踵を返して逃げようとしても前に足が出ない。
もう一度、その得体のしれない悪魔の手が伸びて捕まってしまったらと思うと恐怖がよぎる。
ようやく、走り出せたと感じるまでに10分ぐらいかかった様に感じたが、実際はすぐに走り出していた。自分の足音と悪魔の足音が交錯して耳に響く。
必死で「助けて!」と叫ぼうとするが恐怖で声にならない。
足が縺れてきて、地面を蹴っている感覚がなくなった。やけにふわふわしている。
目覚めた時、シャワーを浴びたかの様に全身がしっとりと濡れて、シーツがひどく乱れていた。
今日で何度目だろう、最近よくこの夢を見て飛び起きる。
夢の中の人物が誰なのか、一体何処を歩いているのか、何故夜に一人で歩いているのか皆目見当がつかない夢だった。
壁の時計に目をやるとまだ4時だったが、もう一度眠る気にはならず、ベッドボードからスマホを取り、一日のスケジュールを確認した。
暫くは、仕事依頼のメールのチェックで気が紛れた。
深みと油分を愉しむコーヒー
カーテンがスルスルと開き、眩しい光が目に飛び込んできた。
漸く悪夢から解き放たれた感があった。
光センサー付きカーテンを取り入れたのは、悪夢のせいで寝覚めが悪くなってからだった。時計の針は4時58分を指していた。
シャワー室から出てパントリーから取り出したコーヒー豆を、手動のコーヒーミルに入れてハンドルを回した。この時間は無心になれる。
悪夢の事も忘れてゆったりとハンドルを回し、フレンチプレスに移す。ゆっくりと97度のお湯を注ぎ始めると香りが立つ。注ぎ終えてコーヒー豆がお湯に馴染んだら蓋を締め暫く待つ。
僅か4.5分だがこの時間もワクワクする。
プランジャーを悠長に押し下げて
苦みと渋みの効いた、朝の一杯をカップで楽しむのが最高のひと時である。サイフォンやドリッパーで抽出するコーヒーの薄い味では目覚めた気がしない。
朝から何やってるの?と思われそうだが、会社員でも職員でもないので大丈夫ですよ。まだこれから、掃除します。
私事、秋葉菜摘は星峯社とパートナーシップを結ぶ、ライター兼フォトグラファーだ。
独り悦に入った作品が全てが使用される訳でもないので、写真の涙を見ないためにも、ストックフォトサービスにも提供している。
最近はAIが精度の高い画像を作り出すので、仕事は減り気味だが、自分で言うのも憚られるが、現地で実際にプロの目で撮った写真の需要はまだ結構ある。
星峯社の編集者から、の打合せメールが来ていた。
今日も一日潰れてしまったなとため息が出た。
母の墓参りに故郷の秋田へ帰りたいのだが、中々、纏まった時間が取れない。現在進行形の企画も結構頑固なデザイナーと折衝中だが、時間だけが過ぎていく感じがしていた。
早く完成させて、小遣い懐に高速道に乗りたいものだと、思っていた所に新案件。贅沢な悩みと言えなくもないが。無論、案件が終わったからと言って直ぐにギャラが出るわけではない。
エーゲ海の恋人たち
半年前、岡山県の牛窓に編集者の竹井弥君と共に取材に訪れた際、平日にも関わらず男女が肩を寄せ合う様に歩いているのを見た。
成程、恋人の聖地といわれるだけあるなと、微笑ましく思い、企画の中には入ってなかったが、取材を申し込んで見た。
撮影用のカメラのレンズは海を向いていた。勿論、肖像権の侵害や、プライバシーの侵害になるので、基本人物を被写体にすることは無い。
恥じらいながらも嬉しそうに頷きそうになった女性を、男性が慌てて引き寄せ立ち去ってしまった。
「お邪魔虫だった様ね、私たち」
苦笑しながら竹井君の方を見ると
「ですよ!菜摘さんは無神経過ぎます」
と説教されてしまった。
その時の企画は肌に優しいオーガニックコスメをテーマにしていたのでオリーブ園のショップや畑を散策しハーブオイル作りの体験などさせてもらって本土に引き上げた。
アロマディフューザーで香りを楽しむ派なので、エッセンシャルオイルづくり体験には、個人的にかなり魅かれた。
野暮な訪問者
それから、1週間ほど経った金曜の昼下がり、自宅に刑事が2人訪ねてきた。
「この女性に見覚えありませんか?」
背の高い方の刑事が写真を見せながら聞いてきた。
私は、直ぐに牛窓で会った女性だと思い出したが、名乗りもしない刑事に少しむっとしたので
「はて?」
と考える素振りをしてみせた。
最近は詐欺事件が、頻繁に横行している。迂闊に正直に対応しようものなら、どんな目に合わされるか知れたものではない。
不審げな表情を浮かべ、二人は帰って行った。
まずもって、私は重要参考人ではなさそうだなと勝手に解釈した。
だが、彼らはこれで諦めた訳ではなかった。
続く