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春のようなあなたへ

あの日から半年経った。
こんなに色々あった半年間。
たくさん泣いたしたくさん笑った。

言葉にするのはとても難しくて、Twitterでも避けてし、明言はしなかった。
でも、そもそもこのnoteを始めたのも、考えていることをきちんと言語化できるようになるためだから、この気持ちに向き合うことから逃げちゃだめだと思った。

2月24日。仕事が終わる3分前の出来事だった。仕事で投稿したTwitterのチェックを18時にしなきゃいけないのを、忘れていたから18時半少し前にしようとTwitterを開いた。飛び込んできた大事なお知らせの文字。胸騒ぎがした。コメント欄に書かれた信じられない文字。とりあえず会社を出なくては、と急いで退勤し、ドアを開けて一歩出たところで崩れ落ちた。呼吸が荒くなり、頭が真っ白になる。震える手で友達に電話をして、会いに行った。実感は何も湧かなかった。嘘だと思っていた。4日前、テンテン名古屋のセミファイナルに行っていた。あんなに元気でニコニコギターを弾いていたのに。
Twitterのトレンドにsumikaの文字と名前が上がっていた。こんなことでトレンド入りしないでいいと思った。友達から残念だったね。と連絡が来たけど、残念だったという簡単な言葉で片付けられるほど自体を飲み込めなかった。どうやって帰ってどうやって眠りについたか覚えてない。次の日、めざましテレビや各媒体で取り上げられているのを見て、これは夢じゃないのかと。他のメンバーはどうしてるか。心配で心配で居ても立っても居られない。ビルボードと浜スタはどうなるんだろう。あともうちょっとで10年だった。もう帰って来ないんじゃないかと本当にそう思った。何も食べれない、喉を通らないまま遊びに行く予定があったからなんとか笑顔を作ろうと思ったけど、行きの電車でポロポロと泣いてしまった。

2015年4月4日。ニューロック計画大阪。その日、私は初めてバンド形態のsumikaのライブを見た。物販コーナーに立っていたおがりんからステンレスボトルを買い、サインを入れてもらった。他のメンバーにもサイン入れてもらおうと探してたら、荒井さんとじゅんちゃんが入口に立ってて、サイン入れてもらった。片岡さんはどこにいますか?と聞くと、「楽屋にいるわ、ごめんね〜」と言ってくれた。そのライブの後、お礼をリプで送ったら、1ヶ月後に返事をくれた。なんて優しい人なんだと大好きになった。


Starting Overが発売されてから今まで、同封されているTen to Tenツアーのファイナルの映像は封印したままだった。4人の映像を見るのが怖かった。浜スタの映像を見るよりもっと悲しい気持ちになると思った。半年経ってようやく気持ちがひと段落ついて、やっと開封した。私はセミファイナルに行っていたから、ファイナルの映像は初めて見るものだった。浜スタでもジャイガでも3人のライブ見てああ、やっぱりsumikaはsumikaだって頭では思ったけど、久々に4人のライブ映像を見るとこれがsumikaだよなって思ってしまう。この音に慣れちゃったから。浜スタで「悲しい空白ではなくポジティブなクエスチョンに」って片岡さんは言ってたけど、聴く側がまだそれについていけてないなと思った。もちろんこれは私に限った話だから全員がそうではないと思うが。楽しそうにギターをかき鳴らす姿、片岡さんのMCをうんうんって頷きながら聴く姿、片岡さんと向かい合って弾くギソロ、緊張しながら話すMC、おがりんとユニゾンで弾くメロディー。その全部がsumikaだった。テンテンファイナルのMCで「私の打ってきた点とあなたが打ってきた点が繋がって今になってると話していた。これから先も」と将来のこともたくさん楽しみにしていた。

これからきっとsumikaの曲は形を変えなきゃいけない。ギターのパートをおがりんのピアノに変えたり、ホーン隊やストリングスにアレンジし直さなきゃいけない。ギターの存在が徐々に少なくなるんじゃないかって思ってる。これからsumikaを知って、これから好きになる人だってたくさんいる。じゅんちゃんを知らないファンだってたくさん増えると思うけど、じゅんちゃんがいつか言ってた「sumikaとはそこに宿る意志だ」って言葉忘れない。形は変化してもsumikaはsumikaだし、他のメンバーが音楽を続けるって選択をしたことをじゅんちゃんが1番嬉しく思ってると思うから、この先もずっと変わらず愛してく。

たくさんの感動と素敵な音楽をありがとう。
sumikaのギターヒーローがじゅんちゃんで良かった。
ずっと大好きだよ。

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