見出し画像

小説 『墓の無い村』 第一章


四月二十九日、今日は朝からどしゃ降りの雨。
憂鬱だった。
高校時代の先輩から「『相談』したいことがある」と二日前に連絡があった。
嫌な予感しかない。
憂鬱だ。
しかし、お世話になった先輩だ。お世話になったというか、ある意味命を救ってくれた恩人でもある。
だが、それが今ではこれみよがしに、先輩からの『相談』が定期的にあるのだ。
あの時から数えると、約10年におよぶ。
「悪い、ちょっと金貸してくれない?」
「悪い、俺の代わりに謝ってきてくれ」
「とりあえず、昼にあの店に並んで席を確保してくれ」
「誰かいい女を探して、合コンに誘え」
「怪しいバイトだけど、金稼いで来い。お前に半分、金はやるから」
時々、ふと考える。
あの時に死んでいたほうが楽だったのではないかと。

第一章 失踪

12時30分を少し過ぎた頃、先輩が待ち合わせ場所の喫茶店に来た。
今日は雨が激しく振っているので、自転車ではなく、歩いた。いつもは20分程で着くが、1時間以上も歩き、足元は雨でビショビショに濡れた。
幸運なのは、喫茶店内が暖かい。最近では、冷房をつけているのではと思う場所が多く、
この古びた喫茶店で助かった。
そういえば、この喫茶店は、夏場は冷房をつけていないのではと思うほど高温多湿の場所だ。
「いゃ〜、悪いね。またお願いしたいことがある」
祝日の喫茶店に、黒いスーツの先輩がドスンと、正面の赤黒い椅子に座った。
先輩は座るとすぐに、店員呼び出しボタンを押した。
「崎井は何飲む?」
「あ、僕はホットココアを」
先輩は、注文を取りに来た若い女性店員に、
「え〜と、何だっけ? まぁいいや、アイスコーヒー二つで。あとガムシロップ四つちょうだい」
と頼みながら「暑い、暑い」と上着を脱いだ。
黒いビジネスバッグから、黒い分厚い手帳をテーブルにドンと出した。
いつものパターンだ。
「早速だけど、来月暇?」
「え? は、はい。特に予定はありません」
「ハハハ! 流石! 永遠の暇人!」
「・・・・・・はぁ、どうも」
『永遠の』は言いすぎだと思うが、確かに僕は仕事もせずに家にいるだけだ。反論はできない。
「またアルバイトさせてやる。今回は三日は帰れないぞ。いや、一週間かもしれない」
「また取材ですか?」
「ピンポーン! 崎井君成長したね~」
先輩が手帳に何かを書き込み、携帯を操作している。
カウンター近くでコップが割れる音がして、
「失礼しました~」
と気持ちのこもっていない腑抜けの声が聞こえた。
「アイスコーヒー遅いな」
先輩が呼び出しボタンを連打する。
前にも同じような光景があったなと、じっと先輩の眉間のしわを数えていた。
「どいつもこいつも、仕事が遅そいんだよな」
チッと舌打ちして、指の骨を鳴らし、カッと厨房の方に視線を集中している。
「鷲尾先輩・・・・・・質問良いですか?」
「あぁ、何?」
「僕が代わりに取材に行って、会社の人にはバレないのですか?」
「会社? バレる?」
「はい」
「ハハハ! うちの編集長疎いから大丈夫、大丈夫」
「そうですか・・・・・・それで、取材の場所はどこですか?」
「まぁ、そう焦(あせ)るなって」
そうこうしているうちに、アイスコーヒーが運ばれてきた。
先輩は、ガムシロップを次々にアイスコーヒーに投入し、四つの空になったガムシロップをザッと端に寄せた。
ズッーと黒い液体がみるみる無くなっていく。
「ふぅ! 生き返った。ん? どうした崎井、飲まないのか?」
「あ、い、いえ」
「なんだ、飲まないなら言ってくれればいいのに。飲んでやるよ。でも割り勘だぞ」
先輩がまた呼び出しボタンを連打する。
「あ、ガムシロップを四つ」
先輩の見た目はゴリラだ。体の大きさと眉毛や体毛が濃い。学生時代は柔道部。今は雑誌の記者だ。
「そういえば、崎井はまだ童貞だっけ?」
「ちょ、ちょっと、先輩!」
『童貞』というフレーズに対する、先輩の配慮のない声量のおかげで、他の客からの視線を感じる。
「と、とにかく、取材の場所を教えてください」
「ここだ」
先輩が、メモ紙を出してきた。
「南蓮華村・・・・・・」
「そうだ。『みなみれんかむら』よく読めたな。ちょっと遠いけど、よろしく頼む」
「は、はい・・・・・・。取材の理由は何ですか?」
先輩は、周りを見渡し、ズッーと、ガムシロップ四つ入りの二杯目のアイスコーヒーを飲み、首をすくめて静かに話し始めた。
「妙な噂がある」
「・・・・・・」
「霊を見たとか、何十という死体が海に浮かんでいるとか、神隠しとか、奇形な動物や魚がいるとか。そして、この村には墓がないらしい・・・・・・。まぁ、そう恐がるな。都市伝説のようなものだろう。それを崎井が取材するんだよ」
カツン、とアイスコーヒーの氷が鳴る。
それ以上先輩は語らない。
先輩は、他にも何かを隠しているような感じだ。
グラスの中の氷をストローでぐるぐると回している。
「なんか、寒くなって来たな」
「先輩・・・・・・」
「わかってる、わかってる。今回はいつもの倍、報酬を払ってやる。じゃあ、詳しいことはまたLINEする。わりぃ、次のアポがあるから」
先輩の立ち去った風流で、ひらひらと未払いの伝票が床に落ちた。
雨はまだ激しくふっている。
(南蓮華村、墓のない村か・・・・・・)
憂鬱だ。

 鷲尾先輩(鷲尾陽介)は都内の出版社に勤務。ゴシップ誌を発行する部署に在籍している。
二十七歳。僕の二つ年上。中学時代は柔道部で一緒だった。僕は、根っからスポーツ嫌いで、人との交流も苦手だ。柔道部に入った経緯は、鷲尾先輩の強引な勧誘に断ることができなかった。部活では鷲尾先輩の命令通り従い、気に食わないことがあると、何度も何度も投げ飛ばされ、絞められ、失神することもあった。当時のまま、上下関係は続いている。
しかも、あの事件以来、ますます鷲尾先輩には逆らえなくなった。

 数日後、鷲尾先輩からのLINEで、出発日が決まった。

僕は自立したかった。普通に働いて、可能なら恋愛もして、結婚もして、幸せな人生を送ってみたかった。自分では何も決められない。鷲尾先輩から頼まれる仕事で、自分は変われるチャンスをもらっていると考えるようになった。
しかし、僕は変われなかった。

僕が、南蓮華村で消息を絶ったことは、鷲尾先輩が会社の上司に詰め寄られて発覚したようだ。僕が南蓮華村に行くと言ってから、一ヶ月が経過していた。

「鷲尾君、詳しく説明しなさい」
「すみません! 南蓮華村への取材は、私の知人に代わりに行ってもらっていて・・・・・・」
「馬鹿野郎! おまえ、自分の会社の仕事を他人にやらせるなんて、頭がおかしいのか?」
「すみません! すぐに取材したものを回収して記事を作ります」
「後で始末書だぞ!」
(ちきしょう! 崎井のやつ、もう一ヶ月連絡無視しやがって! ぶん殴ってやる)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?