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猫の尻尾ほどのエッセイ   『Fさんの子守唄』

「ねんねんころりよ おころりよ〜」とFさんは、娘の頭を優しく撫で続けた。
 2004年、私が介護施設で働いていた時、100歳になるFさんが入所してきた。
 100歳だが、姿勢もよく、綺麗に整った白い髪。歩くのは体力的に難しく、車椅子を使用。
「Fさん、初めまして。川原です。よろしくお願いします」
「あら、お若いのに偉いわね」と優しい笑顔で答えてくれた。
Fさんの車椅子に手をかけている娘さんも、「今日からよろしくお願いしますね」とFさんと同じ笑顔だった。
 1年近く経った頃、毎週Fさんに会いに来ていた娘さんが、ぱたりと来なくなった。
 そんなある日、Fさんの娘さんから施設に電話がかかってきた。
「川原です。お久しぶりです」
あれ?っと思った。
Fさんの娘さんの声がかすれて、小さい。
「大丈夫ですか?」と私が訊くと、「ちょっと、最近体調が悪くなって……申し訳ありません。母に心配をかけたくないので、母の様子はどうですか?」
「お元気ですよ。昨日は施設にコーラスのボランティアさんが来てくれて、一緒に歌ったりして楽しんでいました」
「それは、良かったです……体調戻ったら、またそちらに行きますので、母をよろしくお願いします」と、か細い声でおっしゃった。
 それから数日して、Fさんの娘さんの夫が施設に来た。
 Fさんの居室で何やら話し、私達に「いつもありがとうございます。妻が体調を崩しまして、何かあれば私に連絡ください。今後ともよろしくお願いいたします」と言いお帰りになった。Fさんに話を訊いたが、「娘が体調壊して、入院したみたい。あの子も歳だからね。私にはお見舞いとか来ないでって。まぁ、あの子らしいわ。弱いところを見せないというか、私に心配かけさせたくない気持ちが強いの」
 それから1週間も経たないうちに、Fさんの娘さんの夫から施設に電話があった。
私は思わず、「え!!」と声を出して、受話器のコードが切れんばかりに動揺してしまった。
「明日、母に伝えにそちらに伺います。よろしくお願いいたします」と娘さんの夫が言い電話が切れた。
 数日後、私はFさんの介助でFさんの娘さんの葬儀に同行した。
Fさんは娘さんが亡くなったことを知った日からも、毅然としていつもと変わりなく過ごしていた。
 柩の中の娘さんは真っ白で小さくなっていた。
「ねんねんころりよ おころりよ〜」とFさんは、娘さんの頭を優しく撫で続けた。
私はその光景に耐えられず、涙が溢れた。
Fさんの平然とした姿が不思議なくらいであったが、柩が霊柩車に入る寸前に、Fさんが私の手をギュッと強く握ってきた。
私も握り返した。Fさんは語らなかったが、もの凄く哀しみを感じた。この手のぬくもりだけでもFさんを癒してあげたい気持ちでいっぱいだった。
 それから半年後、Fさんは施設で安らかにご逝去された。
Fさんのお顔はなんだか笑顔を浮かべているようだった。
 
 

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