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小説 『総理! うぐいす餡はだめですか?』 序章

二〇二四年
「緊急速報! 第一〇三代内閣総理大臣、木村萬寿郎(きむらまんじゅうろう)により、あんぱん以外食べるのを禁じる法令が発表されました!」
「我が国の食料自給率の低下問題、食品ロスは毎年数百万トン、家畜の温室効果ガス問題、農業や畜産業の人手不足もあり、今後は、米国の小麦を原材料として輸入し、日本の伝統食の餡をあわせた〔あんぱん〕のみ食品とみなし、食べることを許可する。老若男女、病人関係なく、施行する。尚、飲料に関しては、水と緑茶のみ認める。赤ん坊に関しては、個別に案内する。自衛隊諸君ならびに米軍にも協力いただいて、スーパー、コンビニ、飲食店等の閉鎖、家畜の回収、果樹、茶畑以外の畑、田んぼ、川等に特殊な毒薬をまき、海には魚等が日本の二〇〇海里以内に入れないように特殊化学兵器にて対処する。国外に出ることも禁じる。四月一日施行。以上!」
衝撃だった。
私の名前は栗木(くりき)正(ただし)、三三歳。東京都町田市で、同い年の妻(絵(え)梨(り))と、小学三年の娘(桃(もも)花(か))、ペットの犬(マカロン五歳)と暮らしている。大学時代に付き合っていた妻(絵梨)とは大学卒業してすぐ、社会人一年目で結婚。当時二十三歳での結婚は、周りから見ても早いほうだった。絵梨はすぐに妊娠がわかり、不動産会社に就職して約半年で、産休となった。その後、娘が産まれ退職をした。現在は、娘が学校や学童に行っている時間、妻は自宅近くのケーキ屋でパートをしている。
私は、大手外食産業の会社に就職し、東京都町田市にある焼肉屋で働いている。当初は、海外での店舗展開に係わりたかったが、会社内での選考試験に落ち、最終的にはレストラン部門、焼肉店に配属。現在の鶴川店は三年目。二〇二三年の四月より、鶴川店店長に昇格できた。
仕事はシフト制で週休二日。店は昼の十一時~深夜一時三〇分まで営業。社員は私含め二人。他はアルバイトさんで、早番十時三〇分~十四時、中番十四時~十八時、遅番十八時~二十一時三〇分、ラスト番、二十一時三〇分~深夜一時三〇分のシフトがキッチンとホールでそれぞれにある。しかしながら、人手不足の為、早番のアルバイトさんに、そのまま遅番までお願いしたり、ひどい時は社員が早番~ラスト番まで約十四時間続けて仕事になる事もある。特に昼のランチタイム、夜のディナータイムは満席で、待ち人数も多い。しかも週末や祝日はてんやわんやである。そんな中、クレームがあるとかなり萎えてしまう。
「肉まだ~? 遅いよ!」
「申し訳ございません。もう少々お待ちくださいませ」
「ちょっと! 冷麺頼んだのに、何これ? 石焼ビビンバ? 早く冷麺持って来てよ!」
(さっき、石焼ビビンバ注文したでしょ! 酔っ払いが!)
元気な学生達は、スタッフ呼び出しボタンを連打。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン・・・・・・
「大変お待たせいたしました」
「あっ、え~と、なんだったっけ・・・・・・」
(チッ! あんなにボタン連打したくせに・・・・・・他のお客さんも待っているから早く!)
「とりあえず、ネギ塩牛タン一人前で」
「かしこまりました」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
(うるさいな! 一回押せばわかるよ!)
「あっ、はい、お待たせいたしました」
「あ、ネギ塩牛タン一人前追加で」
(さっき二人前にしとけよ! こっちは忙しいのに)
「はい。かしこまりました」
食べ放題のコースもある。食べ放題だと注文がなりやまない。
「よ~し、もとをとるぞ! とりあえず、中落ちカルビ四人前、牛ハラミ四人前、ミノ四人前、上タン牛タンセット四人前、豚ホルモン四人前、大盛ライス四人前、えっ~と、ロース二人前、カルビスープ二人前、シーザーサラダ二人前、う~ん、後は・・・・・・」
(そんなにいっぺんに食べられるのかよ・・・・・・どうせ残すんだろう)
案の定、食べ放題を注文したお客さんは大概、食べ物を残す。いつも残飯の処理はもったいないと感じる。

「ただいま~」
「おかえりなさい、すぐにご飯にする? 今日は珍しく焼肉よ」
「えっ⁉ あ、あぁ」
(焼肉かぁ~、俺、焼肉屋だぞ。正直、違う物がいいな~)

妻の絵梨はやや天然というか、朗らかというか、時々びっくりさせられる。
「パパ! 今、桃花とマルエツで買い物して帰ろうとしたら、自転車盗まれているのよ。どうしたらいいかしら?」
「えっ⁉ 鍵はしてなかったの?」
「鍵はいつもしているよ。・・・・・・あれ? 自転車の鍵が見当たらない。鍵かけたままだったかも・・・・・・」
「取り敢えず、警察に電話しなよ。あの電動自転車高いのに」
「うん。わかった。そうする」
「そしたら、車で、迎えに行こうか?」
「あ~、お願い。ごめんね、休みなのに・・・・・・」
いつも鍵を置いてある所から、車の鍵を取って、絵梨と桃花を迎えに行こうとした。
「あれ?」
車の鍵がない。
外に出て駐車場を見ると車がない。
電動自転車はいつもの場所にある・・・・・・。
電動自転車の鍵もいつもの場所にある・・・・・・。

一人娘の桃花は、もうすぐ一〇才。最近の口癖は、「パパ携帯貸して」だ。下手したら、何時間もユーチューブを見たり、ゲームをしている。携帯を返してもらおうとすると、
「パパのケチ‼」
と、携帯を持って逃げ回る。学校の宿題も、土曜日の塾の宿題もなかなかやろうとしない。日曜日のスイミングクラブも、携帯を見だすと休もうとする。私の言うことは聞かないが、ママの言うことは聞く。

愛犬のマカロンは、メスで茶色のダックスフンド。五年前、神奈川県横浜市都筑区(つづきく)のペットショップで出会った。ちょうど桃花が小学校に上がる前で、ワンちゃんがほしいと毎日のように言っていた。今住んでいる家も、小さいが一軒家なのでペットは問題ない。たぶんマカロン自身が思っている栗木家での権力順位は、一位ママ、二位自分(マカロン)、三位桃花、四位私(パパ)であろう。私はもっぱら散歩担当。妻や桃花が家に帰ってきた時のマカロンは、玄関まで走って出迎え、ジャンプして、体全体で喜んでいる。私が、帰ってきた時は、リビングのソファーの上から微動だにしない。「マカロン、ただいま!」と言うと、寝そべりながら顔だけこちらに向け、尻尾を二、三回振って終わりである。帰宅後珍しく近づいて来た時は、焼肉の臭いが髪の毛とかにも付いている時だ。そんな時は娘の桃花にも、
「ママ~、パパがまたお肉臭い!」
と速攻で風呂に行かせられる。

二〇二三年八月、夏休みにはマカロンも一緒に旅行に出掛けた。一緒に出掛ける時の車の運転はもっぱら妻。町田市からペットと宿泊できるホテルのある小田原まで、東名高速道路を走る。途中、休憩で海老名(えびな)サービスエリアに寄った。
「わぁ~! すごい店の数! 焼き鳥、メロンパン、ラーメン、寿司、何でもある!」
妻と娘は興奮。私も内心ワクワクしている。なんだかお祭りみたいな感覚。財布の紐が弛む。美味しい物を色々食べられることは、本当に幸せなことだ。
小田原のホテルに着いた。夏の日射しが眩(まぶ)しい。桃花は早速、
「プールに行きたい!」
と言い、妻はマカロンをドッグランに連れて行きたいと言う。とりあえず、桃花とホテルのプールに行こうとしたところ、桃花が、
「ママとプール行きたい!」
と言い出す。
「じゃあ、皆でプール行こう」
と言うと、
「マカロンどうするの? 一人でホテルの部屋に居させるの?」
と妻が言う。マカロンは皆の様子を伺う。
結果、妻と桃花がプールに行き、私はマカロンとドッグランに行くことになった。マカロンが喋ることができたらきっと、
「ママとドッグランに行きたい!」
と言うのであろう。その証拠にマカロンが大きなため息をついた。

夕食はレストランでバイキング。いったい何種類あるのだろう。和食、洋食、中華、ドリンク、デザートも取り放題。毎日でも飽きなそうだ。色々食べてみようと思うが、何故だろう、カレーがとても美味しそうだ。先ずはカレーライスを自分のテーブルに運んだ。
「ちょっとあなたバカね~、こんなに普段食べられない料理があるのに、何でカレー食べるのよ。信じられない~!」
「やっぱりカレーいっちゃうよ。でも小盛にしたから大丈夫」
本当に好きなものを自由に選んで食べられるバイキング、最高だった。ただ、大量の残飯は出るであろう。贅沢の極(きわ)みだ。
もう一つ感心したのは、愛犬マカロンのドッグフードが、ホテルで手作りだということ。
「これ、人間が食べても大丈夫なんですよ。かなり薄味ですけど」
とホテルの従業員が言う。日本の食文化はますます進化している。

一方、職場の焼肉屋は夏シーズンはキンキンに冷えたビールもあり、売上げは上々。鶴川店の近くには大学が二つ程あり、運動系の部活帰りのがたいのよい学生が頻回に来る。その子達の目当ては、食べ放題だ。一人で五、六人前はぺろりと食べる。そして、今日も来た。たぶん柔道部。男性五人。縦にも横にも体がデカイ。五人テーブル席では体がはみ出すので、八人テーブルに案内した。
「あ~、暑い! この店、冷房ついているのかな?」
確かに、五人が店に来てから店内が暑く感じる。冷房の温度を下げた。
ピンポーン、ピンポーン。
(さぁ、きたきた)
「はい、お待たせいたしました」
「えっ~と、とりあえず食べ放題で、国産牛カルビ十人前、豚トロ十人前、牛レバー十人前、ロース十人前、豚ハラミ五人前、ジャンボウインナー五人前、ミスジ五人前・・・・・・」
「ちょっ、ちょっとお待ち下さい、えっ~と、ロースが十人前、豚ハラミ・・・・・・」
注文が早すぎて、ハンディーという注文を打ち込む機械の操作が追い付かない。
「あと、大ライス五人前、あと、水をピッチャーで下さい」
「あ、はい、かしこまりました」
キッチンのスタッフも、いっぺんに沢山の注文がきてあたふた。
できた順に、大皿に何皿か分けて、テーブルに運ぶ。テーブルに乗り切るか心配だったが、そんな心配は無用、次々に空いた皿がテーブルに積み重なる。そしてすぐに、ピンポーン。
「はい、お待たせいたしました」
「追加で国産牛カルビ五人前、牛ハラミ五人前、ユッケジャンクッパ五人前、あと、ピッチャーの水お代わり下さい」
食べ放題の制限時間は九〇分。時間が早く過ぎるのを願う。しかし、まだ十五分しか経っていない。そして、またピンポーン。
「はい、お待たせいたしました」
「えっ~と、バニラアイス五人前、抹茶アイス五人前下さい」
普通、デザートの注文が来ると食事も終わりかと思うが、この五人組はただの箸休め。その後も、肉の注文が続いた。キッチンのスタッフも普段は肉のグラム数を計って皿に乗せるが、もはやだいだいの量で適当に出し始めた。
ピンポーン。
(あ~、恐ろしい~。逆に無料で炭酸ドリンクをピッチャーで出したい。早く腹膨れないかなぁ)

妻の絵梨はケーキ屋のパートが楽しいのか、休みの日に突然ケーキを作り始める。
「桃花~。ちょっと味見して」
「ん? ママ何この味?」
「えっ⁉ わからない? 紅茶のスポンジに、上の生クリームにあんこ混ぜているの。モンブランも洋風と和風のミックスみたいでしょ。このケーキもそうゆうコンセプト。どう? 美味しいでしょ」
「ん~、よくわからない。変な味!」
「まだ桃花にはわからないか・・・・・・。いいや、パパが帰ってきたら食べてもらうから」
二〇時四〇分。今日も帰りが遅くなってしまった。
「ただいま~。あ~、疲れた。お~、マカロンただいま。よしよし」
「あ~、ママ! パパお肉臭い!」
「わかった、わかった。お風呂入ってくるよ」
「パパ! おかえり! お風呂の前に、ちょっとこれ味見してみて」
「ん? 何この味?」
「えっ⁉ わからないの? 紅茶のスポンジに、上の生クリームにあんこ混ぜてるの。パパ、モンブラン好きだったよね? こういうの好きでしょ」
「う、うん。お、美味しいよ・・・・・・」
「良かった! 明日、職場のパティシエに持って行って、新作で提案してみる!」
「えっ⁉ ま、まだ、早いんじゃない?」
「何で? 美味しいでしょ」
私は結局何も言えず、次の日、妻は鼻歌を歌いながら、職場に不思議な味のケーキを持って行ってしまった。

そんな幸せな生活が、あの日から一変したのだ。

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