赤穂浪士の討ち入りとブルース・リー
当時も芝居になったりして民衆が熱狂し、支持した赤穂浪士の討ち入り。
日本人の魂の中に刷り込まれている美談として今も歴史に残っている。
当時は平和で武士の仇討ちや忠義という言葉さえ希薄になっていきつつある時代だった。つまり現代のように?平和な?時代。
だからこそ赤穂浪士たちが民衆に熱狂的に支持されたのだという。
それが昭和の時代にも東映映画として高倉健や鶴田浩二が赤穂浪士の討ち入りさながら板のふすまを打ち破って大きな屋敷の奥へ奥へと敵をなぎ倒しながら、そしてみずからも傷つきながら進んでいく。
その後はずっと後になって、ブルース・リー主演のハリウッド映画「燃えよドラゴン」でも同じストーリーテリングの構造が描かれた。
同じじゃん。
同じ構造じゃん。(少しうれしいのが日本人としての弱みか?)
しかしもういい加減その様式も古くなった。
民衆もその古臭さをすぐに察知し、逆にこうざめするようになった。
高倉健本人も当時からもうそういった役はやりたくないと途中でそうした映画に出ることを降りてしまった。
もし、今民衆が熱狂するものがあるとしたら、それはどんなドラマなのだろう。
いやしかし現代の民衆が現実的に熱狂することはもうなくなった。
現代の若者が熱狂するとしたら、ネットかゲームの世界なのだろうか?