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「本能寺の変」本当の”藪の中”

歴史上の一番の謎ともいえるのはたくさんある。
たとえば「ケネディ大統領のダラスの暑い日」「ロズウェル事件の宇宙人」などなど、数え上げればきりがない。

日本では特に「本能寺の変」が有名だろう。数年前、ネットやテレビで話題になって一般人がその謎を解明するためにいろいろと推理した。
なぜ織田信長は本能寺で最後を迎えなければならなかったのか、明智光秀が本当に謀反を起こしたのか、そして豊臣秀吉はなぜ一番に駆け付けることができてその後天下を取ったのかなどなど。

人間の歴史上、特に近代では”藪の中”はいつでもどこの国にもある。
それは本能寺の変も含め人間の悲劇としか言いようがない。
その謎は、謎であること自体が人間の悲劇なのだ。

はじめ私たちは学校で習ったわけでもないだろうが信長という男は好きな歴史上の人物として坂本龍馬と並ぶくらいの日本のヒーローとして認識されていたと思うが、その一方で、実は冷酷非道な男で明智光秀をいじめ倒していたという根も葉もない?噂も信じ込んでいた。
最近の北野たけしさんの映画『首』は観ていないが、そこでも同じような解釈で信長は描かれているようだが、最近部下を思いやる手紙を書いた優しい信長像が発見されてもいる。
明智光秀は信長に嫌われていたという訳でもなく、武将として信長に一目置かれていたという事実も出てきているらしい。仏教の信仰心に忠実だった光秀が謀反を起こしたことは考えにくい。

そこで出てくるのがやはり豊臣秀吉の影だろう。秀吉はそれとわからずに光秀を謀反に誘導するために良からぬうそでそそのかしたに違いない、以前はそう思っていた。しかしその考えも間違っていたのかもしれない。
なにが間違っていたかというと、光秀は人にそそのかされて動くような人物ではないだろうと思うからだ。どんな嘘を吹き込まれたかというと、それは誰かが謀反を起こして殿(信長)が危ないから加勢に来てくれというような嘘を秀吉に吹き込まれたのかもしれない。
よく知らないのでいい加減なことは言えないが、テレビ番組での説明では光秀は兵を半分だか途中で置いてきたという話もあったように思う。それは本能寺で裸同然の信長を打つにはそんなに大勢の兵は必要ないと考えたのか、それとも誰かがいち早く本能寺に殿をたすけに向かっているから自分は念のために兵を背後に置いて何かあったときのために後ろを固めておいて自分はその手助けに行くだけだと思ったのか。
もちろんその誰かとは豊臣秀吉なのだろう。しかしそれもわからないが。
とにかく謎の真ん中で暗躍していたのは秀吉には違いないように思う。
彼の性格からして姑息な(頭を使った)手段を考え出すだろうことは容易に想像できる。
秀吉は庶民の代表であり、成功者であり、優しい人物なのだと私たちは考えてきた。しかしその後の秀吉の行いを見てそれも本当なのだろうかと疑問が起こる。
謎が謎であるために今までいろいろと考えが揺れてきたが、結果、ここ数年の専門家の考えを見ていると信長は悪者でもなさそうだし、光秀は当然悪者として批判される筋合いもなさそうに思えてきた。秀吉は草履を温めたエピソードがあるように、殿を救った忠誠心の塊りのような男だと思われていたのが、それも最近どうも怪しくなった。

この歴史上の謎のために、私たち庶民は多くの物事を迷い、いろんな考えを吹き込まれ、そのつどその通りだ!と人の意見に感心してきた人間なのだとつくづく思う。
というのもその謎が謎として巨大に目の前に立ちふさがっているからだ。とにかく謎が謎を呼び、噂が噂を呼び、私たちは多くのものごとにまどわされている。それも歴史という長い時間の中で。
私たちは何年もの間、間違った考え方の中に生きてきたのだろうか。
世界の謎と同じように、日本の謎も、すべての歴史上の謎も、いまだ謎は謎のまま存在し、その真相は分かることはない。
世の中にこのような「藪の中」は数えきれない。
時代が変われば変わるほど、その数は増えていく。

この「藪の中」が私たちの生活にどのような影響を与えてきたのか、考える時間を持ってみても損はしないように思う。
現在の各国の政治も、将来”藪の中”に葬ってしまうようなことがあってはならないのではないかと思う。

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