GET a SLOW LiFe
果たしてスローライフは可能で、世界にとって理想的なのだろうか。
近年、田舎暮らしがもてはやされている。
皆が移住生活を夢見ている。
都会の会社員はリモートが可能になり、地方も農業の復興など労働力を求めている。
Slow Life. Simple Life…
「シンプルライフ」昔、高倉健がコマーシャルで言っていた。広告、雑誌もこぞって理想の「スローライフ」を紹介した。
今のそれは数十年前のそれらとは少しニュアンスが違ってきているのかも知れないが、皆が理想とする社会が徐々に変化してきているのは確かだろう。
そういえば高倉健が最後に出たTV-Cでは、彼は農作業をしていた。
今では人々が自発的にそれを望んでいるのだ。
「Slow Life. Simple life 」とは、ようするに昔の日本でいえば「縄文時代」の社会のようなものだろうか。世界的には太古の「自然と人間の調和した社会」のことを指すのだろうか。
またそれを維持して生きている世界の人々のことだろうか。そして現代の「多様性の尊重」によって世界にそれを受け入れる姿勢のことだろうか。
とにかく人々の心の中では心と精神のゆとりのある生活を望んでいる。
第三国のような新興国は経済の発展を望んでいる。
世界で消費する人口が増えれば生産も増えるがその分資源の消費も増える。
それらの新しい国が発展するにつれ、その勢いに押される国も出てくる。
つまり経済的に弱者が(決めつけられるものではないが)世界地図上移り変わってくることになる。
地球の資源は限られているし、その資源を利用すればするほど地球環境に影響を与え、資源利用の制限が発生する。
狭く厳しい制限の中に近代的生活をする人が増えることになる。
そんな世界(従来の考え方の世界のまま)ではますます所有や権利の概念が人間の間にさらなる葛藤をつくり出すにちがいない。
いっぽう、皆がスローライフを思考するようになると、資源エネルギーの消費は世界的にも減るだろう。
世界の半分の人々がスローライフに移行しただけで、かなりの消費が抑えられる。つまりそれは、人口が減る(地球のエネルギー消費の)ことと等しいのではないか?
労働力も消費量も適度なところで維持されるはず。
とすると、世界のバランスは保たれるということになるのだろうか。
今までの近代生活を続けたい人々とシンプルに人間らしく生きたい新しい人々とによって…。
シンプルな生活を望む者たちは、心や精神が満たされる世界を望んでいる。つまり元来の愛に生きることを選択しているといえるのではないだろうか。
この二つが、お互いに助け合うかのように調和した世界が実現するとしたら、世界の陰と陽はきれいにバランスを保つことになるのだろうか。
実際にそういう状況になっているし、今現在人々の思考がそういった生活を望んでいる。
この二つのもののバランス、それが可能であるとすれば…
これが世界の政治を司る人々が先導していることだとするならば、それはそれで”すばらしく”?自然な計画だといえるのかもしれない。
少なくともそれは強要ではない。自ら進んで望み、自らの意思で選択するのだ。
そうして世界は二分される。二分されるが、その二つは陰と陽(イン&ヤン)の関係のようにお互いに影響し合いながら見事にバランスを保っている。
そして本人が望むなら、その二つの間を自由に行き来できる。若い者は従来の世界で労働力となり成功し、ある程度歳を終えて学んだものは幸せな家庭を持ったり別の意味の成功をつかむためにスローライフへと。
親の世代は後者に、その子供たちが望めばまるで一人暮らしを始めるように前者にと…。
そして今まではその境界が国だったのかもしれないがその境目は混じり合っている。
今のところそこにほつれがあるのかどうかはわからない。
とにかくまるで計画されたかのように現代社会はそれに向かっているのであれば、
もしもそうであれば、自然に、無理なく、お互いに邪魔されることなく無事に進むことを望むのだが。