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研修生がやってきた

前の話だが、会社に同僚として二人の韓国人がやってきた。
二人とも研修生というには歳をとりすぎていた。
新入りの私よりもかなりの先輩だ。
もう韓国ではこの業界ではかなりの経験をしているのだろう。
日本の技術を学んで帰れば指導者の立場になる年齢だ。

当然私は新入社員なので彼らと仕事の話をするわけでもない。
しかし、手の空いた時に向こうから話しかけてきてくれて、よもやま話をよくした。
日本語と韓国語には同じ言葉が多い。たとえば「高速道路」。
「こうそくどうろ」という言葉は同じらしい。他にもたくさん共通項があったが残念ながら今ではもう覚えていない。

一度彼らが奥さんの写真を見せてくれた。
二人とも奥さんがものすごい美人なのでびっくりしたのを覚えている。
正直言うと背の低い柔道でもやっているような体形の彼らがなぜこんな美人の奥さんを手に入れたのか不思議でしょうがなかった。
そのころは日本でもそんな話が世間に上がっていた。背の高いモデルのような女性と背の低い男性。そんなカップルが多かった。
二人は言った。「君も美人の奥さんをもらえばいい」と。
まだ新卒だった私に君にもできると希望を持たせたのだろう。
しかし当時の私にはそんなことは夢のまた夢の話のように聞こえた。
ましてや、まだこの業界のことも理解していないのだから。
たしかに会社に返って来るとロビーに天から舞い降りたような美しい女性が立っていたりした。ずっと立ちっぱなしで律義に待っている。
素晴らしく礼儀正しい人たち。仕事に向かう姿勢が感じられた。
そんな完璧な中で、ポッと出の私が仕事を覚える以上のことは考えられなかった。

他では中国人の年の若い同僚たちと働いたことがある。
みな親切ないい人たちだった。いろいろ文化の違いはあったし、驚くこともあった、それに失礼なことをしてしまったこともあるだろう。
通勤途中の激安の弁当をいくつか買って渡したことがあるが、喜んで受け取っていたのに後で聞いたら中国人は冷めたものは食べないという。実は迷惑だったのだと後にわかり、悪いことをしたと思った。
そう言う失敗もあるし、失礼もあっただろうが、とにかく一緒に仕事をしていて楽しかった。

しかし彼らは本当に研修生だったのだろうか?
昔は研修生なんて言葉はなかったかもしれない。
ひょっとしたら全く別の立場だったのかもしれない。
とにかく研修生なんて言葉は使いたくない。

ネットのSNSも含め、外国の人たちと (西洋人も含め) 交流して一番関心するのははっきりとしたアドバイスができることだ。
ハッとするような意外な意見を聞くことができる。文化の違いからか、視点が違うし、彼らは悩みや迷いに対する意外でストレートな答えを持っている。
その通りだと思うような考え方をサッと提案できる。
今まで出会ったことがない答えだからこそ新鮮な気持ちで受け止めることができる。
しかしそういう彼らも悩まない訳ではないが。
だからこそ同じ悩みを持つ仲間として交流できるのだ。
こんなことが、なにより平和な証拠なのだろう。

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