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記憶を食べるねこ

今日も少女は、ブランコに乗っていた。
まわりに人はいない。ひとりぼっちで泣いていたのだ。
ブランコがぎしぎしとひびく音が、よけいに少女を孤独にした。

二年前まで、お母さんとよくここに来ては、いっしょにブランコに乗った。
でも、もうとなりに大好きなお母さんはいない。独りぼっちになった少女は、お母さんを思うたびに泣いた。

病気だったお母さんの苦しそうなすがたを思い出すたびに、少女は胸がしめつけられて、眠ることさえできなくなった。
「ああ、こんなことなら、お母さんとの記憶のすべてをなくしたい!」
少女がそう叫んだ瞬間、となりのブランコがみしみしと鳴った。

少女がとなりを見ると、そこにはカラフルな模様をしたねこが、笑顔でブランコに乗っていた。ねこは大きな足で土をけりあげて、ブランコをこぐと、大きな声でこういった。

「やあ。記憶を消したいって本当かい?きみの願いを叶えてあげようか?」
少女は、さいしょはおどろいて言葉さえでなかった。でも、願いごとを叶えてくれるというねこにすがりたい気持ちだった。

「あ、あなたは?だあれ?」
「ぼくは、記憶を食べるねこだよ。悲しい記憶や苦しい記憶、忘れたい記憶などをね。」
「どうして、そんな色をしているの?」

すると、ねこは、赤や黒、黄色やブルー、ピンクやムラサキなど、いろいろな色でおおわれている毛を見つめながらこういった。
「ああ、これかい?みんなの記憶を食べていたらさ、こんなにカラフルになっちゃったんだよ。みんなの記憶には、いろいろな思いがあるように、いろいろな色をしているんだよね。」
「そうなの?じゃあ、わたしの記憶も食べてくれる?」
少女は、神様にもすがるような気持ちで、ねこをじっと見つめていった。
「もちろんさ。君はラッキーだよ。ぼくは二度とはあらわれないから。」

そういうとねこは、少女の前に大きく立ちはだかった。
「いいかい?願いごとは、たった一つだけだよ。それも、一度きり。」

少女は、まだ信じられない気持ちだったので、自分のほほを強くつねってみた。やっぱり、カラフルなねこは、そこにいた。
「さあ、時間がない。きみがぼくに食べてほしい記憶をいってごらん?」
すると少女は、すこしためらいがちにいった。
「あのね…お母さんの記憶を消したいの。思い出すたびに、ひとりぼっちで生きていることがつらくなるから…。」

するとねこは、さっきまでとはちがう、まじめな顔でこういった。
「それは、つらいね。それで毎日、泣いていたのかい?」
「うん。どんなときもお母さんの顔が頭からはなれないの。こんなことなら…もう、お母さんとの記憶のすべてを消してしまいたい。」

ねこは、少女がわんわんと泣く様子をただだまって見ていた。しばらくして、ねこはいった。
「わかったよ。じゃあぼくが、お母さんとの記憶を食べてあげるよ。」
すると少女は、目を真ん丸にしていった。
「本当に?本当にそんなことができるの?」
「ああ。できるとも。」
ねこは自慢げにいうと、つづけて、
「でも、記憶を食べてしまったら、もうきみは二度とお母さんのことを思い出せなくなるよ。それでもいいかい?」
 少女は「うん。」と言おうと思ったが、なぜかことばが出なかった。そのかわり、お母さんとの思い出が頭の中によみがえってきた。

お母さんが何度も温かい腕で抱きしめてくれたことや、何度も「大好きよ」といって、ほほにキスしてくれたこと。大好きなハンバーグを作ってくれたことや、お財布をなくしてもおこらないでいてくれたこと。そして…ここでブランコに一緒に乗っては、何度も背中をおしてくれたことも…。
少女は、泣きながらこういった。
「ねこさん。本当なの?記憶を食べられたら、お母さんとの幸せだった記憶もすべて思い出せなくなるの?」
すると、ねこはしずかにこういった。
「ああ。すべての記憶がなくなるからね。きみは、お母さんのすべてを思い出せなくなる。悲しい記憶も、幸せだった記憶もすべてね…。」
「そんな…」といいかけた少女は、涙目で首をぶんぶんとふった。
「そんなのいやよ。すべての記憶が消えてしまうなんて…。」
「それでも人は、つらい記憶を消したがるものさ。さあ、もう時間がない。きみの記憶を食べていいかい?記憶を消せば、きみはもう悲しまなくてすむかもしれないよ。」

少女は、しばらく考え込んでいた。まだ小さな少女にとっては、とてもむずかしい決断だったのだろう。
「いつか今日のことを、後悔する日が来るかもしれない…。でも、お母さんとの幸せだった記憶だけは消したくない。」
するとねこは、「そうか」とだけいい、くるりと背中を向けていった。
「じゃあ、ぼくはもう戻るよ。ほかにもぼくの助けを待っている人がたくさんいるからね。じゃあね。」
少女は、何度かねこを呼び戻したくなった。でも、ぐっとくちびるをかみしめてこらえた。
ねこがつま先立ちになり、大きくしっぽを振って飛び立とうとしたとき、さいごにねこは少女の方を見て、こういった。

「つらい記憶を消したがる人は多いけど、記憶を消したら幸せになれるわけじゃない。いいかい?お母さんがいないことよりも、お母さんに愛された記憶を思い出して、乗り越えるんだ。」
「愛されたことを…?」少女は涙目でそう聞いた。
「ああ。悲しい記憶やこころの痛みは、きれいさっぱり消すことはできない。でもね、愛されていたことを思い出すことで、悲しみは少しずつぬりかえられるんだよ。」
「ぬりかえられるの?」
「そうだよ。まるで絵画のようにね。つらい記憶は、幸せだった記憶で塗れかえればいい。時間はかかるかもしれないけど…いつかぼくより、カラフルな人生が送れるかもしれないね。もう、行くよ。」

ねこの言葉を聞いた少女は、はっと気づいた。お母さんに心から愛された記憶が、自分を強くしてくれることを。そして、もう少女は泣かなかった。

#童話 #エッセイ #小説 #コラム  

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