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離婚道#38 第5章「覚悟はいいか離婚道」

第5章 離婚裁判へ

覚悟はいいか離婚道

 令和2(2020)年3月、離婚調停は不調に終わった。
 協議、調停、そして裁判へと続いていく、吉良まどかの長い〝離婚道〟。
 夢見た「トンボの離婚話」はどこかへ飛んでいき、雪之丞の意向をくんで行った弁護士会館での協議もさんざんな目に遭った。
 調停で雪之丞は、17年間連れ添った妻への財産分与を「出して100万円」と言い放った。
 私はこの間、かつて傾倒した雪之丞に期待し続け、もう十分過ぎるほど裏切られた。
 離婚裁判にあたり、私が持っている〝切り札〟はたくさんある。
 ケガを負った時の医師の診断書や記録写真。17年間、毎日のように雪之丞のことを記録し続けた17冊の手帳。家出前に取りそろえた経理の帳簿や領収書、通帳のコピー。ほかにもいろいろ・・・・・。
 記者としての習性か、私には資料を捨てない癖がある。離婚時に活用できそうな資料は手あたり次第にコピーし、可能な限り持ち出してきたのだ。
 それらの切り札を使うことは、雪之丞の社会的地位を失墜させることになるかもしれない。雪之丞と争うことの恐怖もあった。できれば切り札を使わず、雪之丞を怒らせることなく、離婚に至る方向を模索しようと努力したけれど、もう無理だ。
 17年間、家族として過ごした雪之丞に対する感情の機微は正直まだある。しかしながら調停で、雪之丞から「2000万円をまどかにすでに手渡している」という醜悪な虚偽主張が飛び出した時点で、雪之丞と裁判で戦う覚悟が決まった。
 
 調停後、母妙子は想像通りの反応をした。
「やっぱりお母さんが言った通りじゃん。トンボになったお父さんに、先生が『まどかが一生困らないように財産を渡して離婚する』って約束したって話も、お母さん、全く信じてなかったもん。先生はまーちゃんが思ってるより、ずっと俗な男なの。先生も先生だけど、親の反対を押し切って、そんな人と結婚したまーちゃんもやっぱりおかしいよ」
 耳が痛い。
 だが、結婚前はそうじゃなかった。結婚後も、雪之丞はこれほどひどくなかった。浮気の妄想が出た時から、雪之丞は変わったんだと妙子に説明しても、
「先生はずっと変わってないと思うけど、まーちゃんが変わったと思うなら、変わったでいいよ。でも、顔に本を投げつけられてケガをして、ひどい暴言吐かれて、その時点で離婚を考えないなんて、おかしいよ。さんざん疑われて酷い目にあっても、『話し合いで決まる』とか『調停では決着する』とか言って先生を信じて期待するのが、お母さん信じられない。お父さんはさんざん浮気したけど、暴力なんて振るわなかった。優しい人だった。もし夫に暴力振るわれたら、お母さん、すぐに新潟に帰る」
 妙子の言う通りかもしれない。
 ただ、さんざん浮気された妻が、夫を「優しい人だった」というのと、モラハラや暴力を受けた妻がそれでも夫の才能を信じているという構図は、どこか似ているところがあるとは思ったが、突っ込んだりするとややこしくなるので黙っていた。妙子はどんなに雪之丞をこき下ろしても、ほかに呼び方がないから「先生」と呼ぶんだな・・・・・と思いながら。
 女は結婚した時点で人生が変わる。
 夫に対する母性が生まれる人もいる。
 妻が夫に裏切られ、ひどい目に遭っても、そう簡単に人生を軌道修正できない事情や感情があるのではないか――と離婚道を歩む私は思うのだ。
「ウチにお父さんが遺した3億の借金がなかったら、『100万円っぽちの財産分与なんかいりません!』って先生に言ってやりたいよ。まーちゃんは、先生にも、3億の借金をのこして死んでいったトンボにも期待して、本当のバカなんじゃないの?」
 母妙子は父の借金まで引きずり出して、言いたい放題であった。
 母には婚費の話も説明してきたから、それまで薄々感じていただろう雪之丞の経済力も具体的に知ることになった。
 だからこそ、「100万円」の提示額に憤慨しているのだ。
 私の離婚問題は、寺尾家いや正確には兄さとしに重くのしかかる3億円の借金とセットで母の頭痛のタネになっているようだ。
 父の会社「アキバ電工」。わずかに黒字経営の会社を維持するため、社員とその家族の生活を維持するため、兄さとしが代表取締役社長となった。船橋市の実家が抵当に入っているから、会社を維持しないと寺尾家は住居を失う。兄は、社員の生活のため、寺尾家の住居のために、3億円の借金を背負わされただけの社長で、社員からは経営に参加しなくていいと言われている。兄は人質のような立ち位置であった。
 演劇という夢の世界の住人だった兄は、厳しい現実に直面し、父の死後、やっと足を洗った。「アキバ電工」社長の肩書きを持たされながら、スポーツ用品会社の契約社員になり、52歳にしてやっと、堅実な仕事をするようになった。
 20代のころは、私もずいぶん舞台に立つ兄を応援した。その兄が舞台を降りたと思うと、なんともいえない感慨はあるが、兄は「もう十分やった」と満足している。兄は長年、自分が望むように生きてきた。これでいいのだ。
 実家がそんな状態だから、私は親に頼ることもできず、自活していくしかない。そのため、納得のいく財産分与は、なんとしても勝ち取りたい。それが、今後の私の人生を支えることになる。
 離婚する際は、夫婦共同生活の中で築いた財産の「公平な分配」を請求することができると法は定めているのだから、裁判の場ではそれを目指さなければならない。
 しかし雪之丞の場合、現金と地金を4つの金庫に保管しながら「財産はない」と言い続けている。きわめて特殊なケースで、財産分与を争う過去の判例にもないらしい。裁判で雪之丞が隠している財産を明らかにすることは、調停委員の言うように困難きわまりないのだろう。
 どのようなスタンスで離婚裁判にのぞむか。私は来る日も来る日もお金の計算をしながら、あれこれ考えていた。
 夫が全財産を金庫に隠せば離婚時に財産分与しなくていいなんて、許されていいはずがない――と思いたいが、隠し財産を含めた本来の「公平な分配」にこだわっていては、それこそ「やり直しがきかない年齢」になってしまうかもしれない。無駄な争いを長引かせずに離婚問題を解決して、私は早く人生をやり直したいのだ。
 だから私は、納得できる最低ラインを考えてみた。
 私の結婚は、雪之丞の仕事のサポート業への転職という意味合いが強い。だから、50歳で早期退職した場合の退職金程度の額が手にできれば、ひとまず納得しようと思うようにした。
 京都マンションと地金、美術品などが共有財産と認められ、公平に分与されれば、3000~4000万円になるだろう。これだけでも認められれば、退職金としては十分に満足できる。「一銭もやらない」と主張する雪之丞だって、金庫内の隠し財産を守ることができれば一応納得し、早々に和解できるかもしれない。
 もちろん、裁判での法的主張は、プロの離婚弁護士にある程度任せる。しかし、私自身の落としどころとしては、隠し現金の分与は強く望まず、不動産と地金の「公平な分配」を目指して裁判に挑もう――と思うのである。

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