離婚道#37 第5章「調停コンピ攻防戦」
第5章 離婚裁判へ
調停コンピ攻防戦
「それにしても、まどかさん、大変な結婚生活でしたね。さんざん疑われて、ひどい目にあって、50歳という、もうやり直しがきかない年齢になってしまって・・・・・」
「いやいや、『やり直しがきかない』って! こちらはまだこれから、ひと花でもふた花でも咲かせるつもりですから」
「あぁ、そうですか。それは失礼しました。でも、まどかさん、財産分与もなく離婚を迫られて、かわいそうに」
「いやいや、財産分与は妻としての権利ですから、相手の勝手はさせません」
「しかしですね、あちらとは話し合いになりませんので、調停ではどうすることもできません。裁判するしかないですね」
「それは最初から想定済みです」
「ただ、裁判しても、あちらは唸るほどの財産を金庫に隠しているわけですから、財産分与は難しいですな。先生方も大変だと思いますよ」
「おっしゃる通りです。ですが、それはきちんと裁判で主張していきます」
――離婚調停の期日3回目、以上すべて調停委員と久郷弁護士のやりとりである。
調停委員の高齢男性は、背が高くてやせ型、髪が薄く、60代後半といったところ。きっと前職は、小学校の校長先生だったに違いないと思わせる雰囲気の、実直で優しそうな方である。雪之丞の一方的な主張に辟易しているらしく、私への同情の弁がとまらない。
久郷弁護士は、調停委員の口をついた「やり直しがきかない年齢」という表現に即座に反応した。
同情が過ぎた悲観的な発言に、久郷弁護士は聞き捨てならないとばかりに、「いやいや、こちらは・・・・・」と脇から入り、当事者の私が受け答える隙もなかった。依頼人に代わって意見する久郷弁護士の瞬発力には感心するばかりだ。
離婚調停とは、いかなるものか。経験のない方が大多数と思われるため、ざっと説明してみたい。
離婚調停は、「離婚したい、したくない」とか、親権や財産分与の問題など、離婚に関するさまざまな問題について、調停委員会の仲介によって、当事者が互いに譲歩し合い、合意による解決を目指す手続きをいう。
仲介役の調停委員は、40歳以上70歳未満の男性1人、女性1人の計2人と決められている。ベテラン弁護士、司法書士など法律の専門家や、学校の校長先生や民生委員の経験者など、人生経験豊かな有識者が担っているらしい。
「離婚裁判」は通常、代理人弁護士が裁判所に行き、主張や反論を行うため、当事者本人は尋問や和解などの場面を除き、裁判所に行く例は少ない。
それに対し、「離婚調停」の場合、代理人弁護士がついていても、当事者が裁判所に出向くことになる。調停は、夫婦の話し合いによる解決を目指す手続きだからだ。
とはいえ、揉めている夫婦が一緒に調停室に入ることはない。
家庭裁判所に出向くと、まずは「申立人待合室」か「相手方待合室」で待機する。それぞれの待合室は距離をとっていて、夫婦がすれ違うことがないように配慮されている。
待合室で待機していると、調停委員のひとりが呼びにくる。その調停委員についていき、調停室に入る。中にもうひとりの調停委員がいて、2人に向かって質問などに答えていく。代理人を立てていれば、代理人も同席する。だいたい30分~1時間程度、話をして交代。調停委員が妥協案を模索し、まとめていく――という流れだ。
さて、私の場合、第1回期日が令和元(2019)年9月5日。まったくお話にならなかった弁護士会館での協議から、ちょうどひと月後であった。
「申立人待合室」で久郷、小島両弁護士と待機していると、きちんとした身なりのおかっぱ頭の中年女性が呼びにきた。その方に従い、案内された調停室に入ると、高齢男性がすでに座っている。その横に案内してくれた中年女性が座った。並んで座ると、男性校長と女性教頭のようだ。テーブルをはさんで奥から久郷弁護士、私、小島弁護士の順で座った。
「今日は相手方の吉良雪之丞さんは、仕事が忙しくて欠席ですので、まどかさん側のお話だけを伺うことになります」とのこと。雪之丞はドタキャンしたようだ。主に髪の薄い〝校長先生〟の方が質問する形で、約1時間、私の言い分を調停委員が理解する場となった。
すなわち、本編第3章の内容をぎゅっとまとめて話したのであるが、正面の調停委員2人には、狂人的振る舞いをする雪之丞のような人物が信じられないらしい。
「覚せい剤などの妄想など、とても正常とは思えないのですが、脳の病気を疑ったり、病院を受診したり、しなかったのですか?」
おかっぱ頭の〝女性教頭〟は雪之丞の脳疾患を疑った。
「吉良は脳腫瘍を罹患していますので、最初はその後遺症を疑いましたし、心配しました。執刀した脳外科医にメールで相談しましたが、『後遺症とは考えにくい。もともとの性格だろうし、仕事が多忙で寝不足になっていて妄想が出ているのではないか』との見立てでした。ほかの人からも吉良の性格だと言われました」
私の回答を聞いても、常識人の2人は、そのような狂人が社会で一定の評価を得て活動していることに半信半疑のようで、「次回、相手方の話を伺ってみて、解決案を模索していきましょう」ということになった。
そうして10月21日、2回目の調停。
雪之丞はたっぷり自分の主張を展開したらしい。90分待ってから私の番になった。〝校長先生〟はいう。
「前回、まどかさんからお話を伺っていましたが、雪之丞さんはお話通りの強烈な方ですね。非常にびっくりしました」
雪之丞は入室するや、こちらが提出した「調停申立書」の申立理由に「暴力をふるう」に丸がついていたことをとりあげ、持ち前の迫力で「まどかは稀代の嘘つきだ! まどかほどの嘘つきはいない」とまくし立てたらしい。その後、自分がいかなる仕事をし、日々鍛錬を積み、修行をしている高潔な者であるかを熱弁したうえ、私の不貞、ヤクザとの関係、窃盗や殺人未遂などの犯罪容疑を一方的にしゃべり散らしたという。
その2回目の調停では、雪之丞の演説に時間が割かれたため、私のターンは短かった。
「まどかさんがあちらのお金を盗んだと言っていますが」
「いいえ、盗んでいません」
「不貞は?」
「前回お話しした通り、していません」
「一応伺いますが、覚せい剤というのは?」
「それもしていません。吉良のまったくの妄想です」
「そうでしょうね・・・・・」
そうして次回の期日を決め、次は具体的に財産分与について双方の主張を聞くということになった。
11月25日、3回目の調停が開かれた。
雪之丞は堂々と「財産分与はない」と主張した。
調停室で、雪之丞は2冊の個人の貯金通帳を広げ、婚姻時に約1800万円だった残高が別居時には約1000万円であることを示し、婚姻中の17年間で預貯金は減ったと説明した。
また、夫婦の共有財産である京都マンションは「4000万円で売れた」と言い、「そういうことなら半額の2000万円が分与となる」という調停委員の説明に対し、雪之丞は驚愕の主張を展開した。同居中の平成27年に共有名義から雪之丞の単独名義に変更した際、「まどかに現金2000万円を手渡している。ゆえに売却価格の4000万円は分与の必要はない」と述べたというのだ。
つまり、雪之丞は、①現金の共有財産はない②不動産についてはまどかに2000万円を手渡し済み――と2つの醜悪な嘘を並べて「分与すべき財産は存在しない」と言い張った。さらに不貞をした私から慰謝料をもらいたいと主張したという。
裁判所に双方とも収入証明を提出しているから、調停委員は、雪之丞が高所得者であることを知っている。しかも、私からの聞き取りで、雪之丞は銀行預金が数千万円になると1000万単位で現金を引き出し、4つの金庫に保管するという手法で現金を隠し持っていることを理解している。
「まどかさんは、雪之丞さんが夫婦の共有財産を金庫に保管しているはずだと言っていますが」という問いかけに、
「いいえ、金庫に保管している現金はありません」
と返されたため、調停委員としてもどうすることもできない。
そこで、校長先生は雪之丞に「財産分与として、いくらなら出せますか?」と質問した。すると雪之丞は、「100万円」と言い放ったという。
多額の現金を隠して「財産はない」と誤魔化すのも腹が立つが、17年間公私ともに夫を支えた妻に分与できる財産が100万円って!
なにより、すでに私に2000万円を手渡しているなんて、とんでもない大噓つきだ。
――というわけで、本文冒頭の会話である。
校長先生は、心から私に同情しているようだった。
「調停では解決できませんので、裁判するしかないと思いますが、裁判しても難しい相手ですよ。次回、婚姻費用を決めましょう。財産分与は期待できないと思いますから、できるだけ婚費を多めにもらえるように、先生方、主張書面をまとめてきてください。相手方は弁護士が決まったそうですから、次回、双方の主張書面をもとに協議しましょう」
年が明けて令和2(2020)年1月20日、調停4回目である。
雪之丞には、雪花堂の顧問弁護士ではない、私の知らない弁護士が代理人についていた。
双方から「婚姻費用分担事件」の主張書面が提出された。つまり、離婚が成立するまでの間、雪之丞が私に支払う月々の生活費を決めるための主張である。
婚費は、婚姻費用算定表によって半ば自動的に決められるのだが、私の年収をどう解釈するかで違った額になる。
別居時、雪之丞の年収は約2000万円、私は360万円だった。通常、前年の源泉徴収票をもとに決めるから、この年収を算定表に照らし合わせると婚費は月「23万円」くらいになる。当事者が何も主張しなければ、この額になるところだ。
が、雪之丞側は、私の年収は大卒49歳(私の別居時年齢)の女性の平均賃金573万5100円とみなすべきとし、婚費は「19万円」程度だと主張した。17年間専業主婦だった49歳の女性が、再就職して年収570万円も稼げるはずがない。雪之丞は非現実的な金額を提示し、少しでも私に支払う額を減額しようとした。
それに対し、こちら側は、「申立人は相手方に雪花堂を解雇されたため無職である。申立人の潜在的な収入は、パートタイム労働者の給与額とみなすべき」として、年収130万8083円に相当し、婚費は「25万円」程度と主張した。年収の数字は、小島弁護士がどこからか引っ張ってきたようだ。
調停委員は雪之丞側と私側を交互に呼んで簡単な質疑応答をした後、当事者を外し、調停委員と双方の弁護士との協議となった。
相手方弁護士の後、久郷弁護士と小島弁護士が呼ばれた。
かなり長い時間、ひとり申立人待合室にのこされた。弁護士と調停委員とで何を話しているのだろう・・・・・。向こうが「19万円」の主張だから、せいぜい「20万円」くらいだろうか・・・・・。
あれこれ考えてながら、待つこと40分。久郷弁護士が得意満面の表情で、拳を上げて戻ってきた。
「まどかさん、『25万円』勝ち取ったよ!」
「ホントですか?」
驚いている私に、少し上気した表情で小島弁護士が事の顛末を説明した。
「最初は書面に書いた通り、『25万円』の主張を強気に通したんですよ。ところが調停委員に『向こうの主張は19万円なので、間をとって22万円でどうでしょう』と淡々と説得されまして・・・・・。これはマズイと思っていると、久郷先生が、『やり直しがきかない年齢』という前回の調停委員の発言をぶり返して『調停委員の先生方がおっしゃった通り、財産分与が難しい案件ですし、傷ついた50歳の無職の女性が社会復帰するまで経済的支援が必要です』と必死に情に訴えたんです。ずっと頷いていた調停委員が『お待ちください』と裁判官に相談に行って、戻ってきたら『25万円』になっていました。久郷先生の硬軟おり交ぜた交渉術、すごかったなぁ」
こちらの希望が全面的に認められ、婚費は「25万円」。離婚調停で、財産分与を争点とする「離婚調停申立事件」は調停不成立だったものの、婚費を決める「婚姻費用分担調停事件」は最高の形で調停成立となったのである。
「先生方のおかげで、婚費が22万円から3万円もつり上がりました。ありがとうございます」
「そうだよ、最後は必死よ。家賃9万9000円の人には、3万円は大きいからね」
依頼人が受け取る生活費をわずか数万円引き上げるために、全力で交渉してくれる離婚弁護士の姿に、私は感動でグッときていた。
「月3万円は、久郷先生との飲み代に当てさせていただきます」
「いいねぇ。裁判所で酒代を勝ち取ったと思うと、余計に嬉しいよ」
久郷弁護士は喜色満面であった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?