離婚道#28 第4章「桜とヒマワリ」
第4章 離婚へ
桜とヒマワリ
東北沢から小田急線とJR山手線を乗り継ぎ、降り立ったのは「上野駅」。
左手に伸びる賑やかな「アメ横」をしり目に、右手の上野公園内の西郷隆盛像にも目もくれず、不忍通りを歩いていくと、駅から徒歩5分。年季の入った8階建てビルの7階に目指す法律事務所があった。
「上野さくら法律事務所」――
助けを求めてGoogle検索しまくり、たどり着いた法律事務所である。ホームページも隅から隅まで読んだ。事務所には男女ひとりずつ、2人の弁護士が所属しているらしい。
紛らわしくて「なんだ?」と思ったが、「上野さくら」は人名ではない。
私は結婚生活で、実は頻繁に弁護士のお世話になっていた。
雪花堂は、紀尾井町に事務所を構える法律事務所と顧問契約をしており、雪之丞は舞台関係の契約をするたびに、一応法的なことを弁護士にチェックしてもらう。私と一緒に法律事務所に出向くこともあれば、雪之丞に指示され、私ひとりで足を運ぶこともあった。
契約書の確認のほか、「弟子が窃盗した」とか、「週刊誌やインターネット上で掲載された記事が名誉棄損にあたるのではないか」とか、「賃貸契約の更新時に家賃の値下げ交渉をしたい」とか・・・・・弁護士への相談事はいろいろあった。
裁判もしたことがある。
あるPR会社との契約で、雪之丞が支払った宣伝料に対して、見合う仕事がなされていないとして、その会社と社長を債務不履行で訴えた。
普通、代理人弁護士を立てている民事裁判では、依頼人が裁判文書を書くことはない。
ところが、雪之丞は「裁判は弁護士任せではいけない。書面はできるだけ、まどかが書け」と指示した。
裁判の代理人でもある顧問弁護士は、雪之丞の性格をよく知っていたから、その要望に従い、書面作成の打ち合わせなどに私はいつも弁護団の一員のように参加させてもらった。私が反論書面のたたき台を作成することもあり、弁護士の助手のように動いた。また、雪之丞や関係者の陳述書を当事者に成り代わって書く〝陳述書ライター〟としても腕をふるった。
その裁判は、東京地方裁判所(地裁)で吉良側の主張がほぼほぼ認められ、相手が控訴して東京高等裁判所(高裁)に進んだものの、途中で和解して決着した。このように、裁判を通して、私には弁護士の仕事をごく間近で見てきた経験もあったわけだ。
もちろん、地方支局での新人記者時代にも裁判取材をしていたから、弁護士の仕事はそれなりにわかっているつもりだ。
弁護士というのは、依頼を受けて法律実務を行う専門職である。弁護士になるためには、司法試験に合格し、司法修習生として研修を終えるなど、厳しい資格が要求されている。それこそ〝狭き門〟の花形職業だ。
だが、法律の専門家だからといって、どんな問題も最善の結果を出せるわけでもない。どの世界でもいえることだが、弁護士の質もピンキリである。そのうえ、弁護士にはそれぞれ得意とする専門分野があるからだ。
離婚問題は、結婚してから離婚を決意するに至るまで辿ってきた道のりが依頼者ごとに異なり、依頼者の気持ちも千差万別。問題を解決するにも、法律の書籍に載っていないことが多く関わるため、離婚案件というのは、弁護士が引き受ける事件の中でも特殊なジャンルと言っていい。
豊かな法知識と実績がある弁護士でも「できれば離婚問題はやりたくない」という人が結構いる。「良い離婚弁護士」というのは、経験と実績、そのうえ特別な資質が必要なのだ。
私が抱えている離婚問題は、あまり一般的なケースではないだろう。
雪之丞が知る人ぞ知る人物であり、かなり変わった性格である。離婚の事情も異質で、財産分与も容易ではない。
私が隈なく目を通した「上野さくら法律事務所」のホームページには、「注力業務」の筆頭に「離婚・男女問題」を掲げていた。「離婚問題」としていないところがよかった。
まもなく50歳という私には、離婚後の生活に不安がある。離婚に踏み切れない思いがまだある。単に離婚専門をうたっている弁護士に、複雑な事情を相談しても、離婚ありきで処理され、心から納得できる方向に進めないのではないかと感じていたのだ。
事務所ホームページの「離婚・男女問題」のところには、次のように書いてあった。
《夫婦の問題を弁護士に相談しようと思っても、「私の気持ちを他人がわかってくれるだろうか」などと不安に思われ、だれにも相談できずにいる方も多いのではないでしょうか。しかし専門的知識もないままに、こじれた夫婦問題を解決するのは至難の業です。夫婦間でまともな話し合いもできず、相手の顔色を伺い、不安になり、精神的に追い詰められ、心身の健康にも影響をおよぼすことも少なくありません。
当事務所では、お話ししやすい雰囲気の中で法律相談を行い、あなたのお気持ちを十分に理解することからはじめます》
――これだ!
まさに「まともな話し合いができないケース」だから、「精神的に追い詰められ」ている私の琴線に触れた。
ホームページの説明には、さらに次のような記述が続いた。
《弁護士の法的知識や事件処理の経験は重要です。離婚時に、養育費や財産分与などの経済的な問題を含め、きちんとした取り決めを行っていくことは、離婚後の生活を安定させ、新たなスタートを切るために非常に重要なことだからです。
しかし当事務所では、弁護士の法的アドバイスと同等に、弁護士があなたの抱える問題に寄り添い、悩みや考えに耳を傾けることも大切な基本姿勢としています。依頼者ひとりひとりの事情に沿ったオーダーメイドの法律相談をすることを心がけ、あなたと一緒に考えながら、あなたの離婚後の人生を全力でサポートいたします》
「オーダーメイド」なんて、多少手垢のついた表現であるが、実は、この姿勢は重要だと感じた。離婚問題を抱える多くの人が感じることだろうが、「自分の離婚問題はほかのどのケースとも違う」と感じるからだ。
所属する女性弁護士のあいさつ文も「私は、依頼人の本当のニーズに合わせたオーダーメイドの事件処理をしたいと思って弁護士になりました。依頼者の精神面でのサポートができないと、結果的に依頼者の満足につながらないと思っているからです」と、ここでも「オーダーメイド」が強調された。
文章からは正直さや偽りのない誠意が感じられ、仕事の姿勢が心に刺さった。私は「この人に相談してみよう」と決心し、記録が残らないように駅の公衆電話に向かい、思い切って相談予約の電話をした。
弁護士が胸につけているバッジをご存知だろうか。
弁護士記章は、ヒマワリの真ん中に天秤が置かれたデザインになっている。
天秤は「公正」、ヒマワリは「正義と自由」を意味していると、新人記者時代に先輩記者から教わった。
ヒマワリが正義と自由?
聞けば、「太陽に向かって力強く咲くヒマワリは、正義や自由を連想させる」ということだったが、23歳の私にはあまりピンとこなかったものだ。
令和元(2019)年6月6日、49歳の私は、その「ヒマワリ」に望みを託し、「上野さくら法律事務所」を訪ねたのである。