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小説無題#7クリスマス会

 柳は何時からか美幸と交際関係になっていた。何時からという明確な境界線は無いのだが、関係性が決定的となった出来事はあった。それは大学一年目のクリスマスイブの夜に開かれた『クリスマス会』だ。この会は柳と美幸との間で立案された。共通の友人達も誘う話になっていたのだが、用事があるなどの理由で誰一人集まらず一時開催を取りやめようかという話にもなった。しかし友人達の後押しもあって結局は二人きりで行う事になった。
 会の当日、柳は美幸を自宅へ招いた。本当ならそれなりのレストランでディナーなんかを嗜みたいところではあったが当時はまだ学生で、単位の為に勉強もしていたのでがっつりアルバイトをする余裕も無い(要するにお金が無い)。それに当時はお互いに未成年だったので店に年齢がばれるとアルコール類の提供を拒否されてしまう。とにかく柳は美幸とお酒を乾杯したかったのだ。勿論アルコールが未成年者に及ぼす害は承知している。しかし当時は、未成年の時にしか感じる事が出来ない背徳感に魅了されていた。それは管理されてきた子供時代を経て自律した大人になろうという狭間で、巣立ちする雛鳥の様に自由に羽ばたこうという意志の表れだったのかも知れない。
 美幸が改札をくぐって来たのは街のイルミネーションが輝き出す頃だった。二人は柳の家の最寄り駅で待ち合わせ、落ち合ってすぐ買い出しに出かけた。商店街にはクリスマスソングが流れ、行き交う人々は皆楽しそうに見えた。少なくとも柳にとってイルミネーションは眩しかったしクリスマスソングは幻想的に響いた。この時に美幸とどんな言葉が交わされたのか柳は覚えていない。確かなのはお互いに口数が少なかったという事だけだ。柳はいつも以上に言葉が出てこなかったし、笑い上戸の美幸でさえ柳の冗談に対する反応が薄かった。
 二人は惣菜屋を周り、出来合いのおかずを買い漁った後、酒屋でスミノフアイスを十数本買った。一通り揃ったのでそのまま家に帰るつもりだったが、まるで魔法にかかったかのようにドーナツ屋に吸い寄せられ欲望のままに随分と買ってしまった。よくよく思い返せばクリスマスケーキを買い忘れて居たので無意識のうちにドーナツで補填しようとしていたのかも知れない。
 家に帰り着いてから早速、柳は美幸と乾杯をした。外気で冷えた身体をこたつで温めながらしっかりと冷やされたスミノフを飲むというのは何とも不思議な感覚だった。人類の長い歴史から見れば冬は焚き火にあたりながら凍える手で熱いスープを啜る事の方が圧倒的に多かった筈だ。今や暑さも寒さも人間にとって単なるアトラクションに過ぎないのかもしれない。スミノフはまるでスポーツドリンクのように飲みやすい。柳は大学に入ってから密かに何度かビールや焼酎を口にしたが苦く、飲みなれるまで随分と時間がかかった。その分カクテルなどの甘いお酒はとっつきやすくていい。柳はフライドチキンの箱を開け美幸と分け合った(健康趣向の美幸は当時、まだなりを潜めていた)。酔いが回ったのか、はたまた身体が温まって来たからかお互いにリラックスして会話が続いた。話の内容は他愛の無いものばかりだったが、柳は美幸との共通点を見つける度に喜んだ。趣味趣向、将来の夢、人生とは何か、産まれも育ちもまるで違う二人だけれど日々何かを思い、葛藤し、選択した。その連続の先で二人は同じ大学に進んだのだ。そういった意味では二人は似たもの同士なのかもしれない。
 柳と美幸は買い込んだ惣菜を食べ終えるとドーナツを齧り、スミノフをちびりちびり飲みながらお互いの将来について話し合った。勿論医大に進んだもの同士、目指す職業はほぼ言うまでも無いだろう。しかしその動機や今までの経緯を辿っていくとこれまでとは違った景色が見えてくる。
 柳は親の強い勧めで医者を目指している。親が勧める理由ははっきりと分からないが、柳の父親は高校を中退し、しばらくのあいだ建設業を転々としていたらしい。今でこそ人材派遣会社の社長をしているが色々と苦労があったのだろう。だからこそ同じ思いをさせたくないと言う父親の願いなのだと柳は解釈している。柳も異議を唱えなかった。運命というものが一本の線路なのだとしたら抗うよりもレールに従う事で余分なエネルギーを浪費しなくて済む。近年の研究者の中には自由意志は存在しないと言う説を唱える人も居るらしい。もしそれが本当ならば、誰かに強制される人も自分で意思決定する人もそれはただの錯覚でどちらも本質は変わらないのだろう。逆に自由意志が存在するとしても誰かに強制されたは間違いで最終決定を下したのは自分の意志だ。話が逸れてしまったが結局は自分の感じ方次第で見える景色は変わってくるのだと思う。

 一方の美幸はと言うと両親とも九州の出身で父親はなんと長崎の潜伏キリシタンの末裔だと言う。そういった事もあり、美幸は幼少の頃から親に連れられてボランティアや寄付といった慈善活動に携わってきた。だからこそ奉仕の精神というものが当たり前の事として美幸の中にあったようだ。キリスト教系の養護施設に勤める父親との活動を通じて難病や虐待など子供たちが抱える諸問題を肌で感じ、美幸は小児看護を目指したいと思う様になったのだと言う。柳はその話を聞いた時に意外に思った。と言うのもそれまでの彼女が何処かおちゃらた印象だったからかも知れない。彼女の髪色は今や金髪になっていたが、大学生になるまで髪を染めた事が無かったと言う。社会人になる前に色々な髪色を楽しみたいのだそうだ。
 そうこう話していたら、気付かぬうちにお互いべろべろに酔っ払っていた。それまでしっかりとした強度を保っていた意識の綱は、手繰って行くうちにぷつぷつと断線する箇所が増えていった。そんな意識のなかで柳は、うつらうつら船を漕ぐ美幸を背後から抱き締めた。それがどういう意味を持って何を示唆するのかこの時の柳には分からなかったがしかし、鼓動が早くなり血の巡りが酔いを深めていった。それ以降のはっきりとした記憶は無い。恐らくは意識と無意識の狭間を宛もなく彷徨っていたのだろう。そこにはただ温度があり、安らぎがあった。太古の昔から引き継がれた記憶が柳の自我を超越する。もう目的や理由など必要無いのだ。柳はただ現実的にも抽象的にも存在する熱によってのみ動かされていた。物事の結果に対する評価であれ動機であれどんな理屈を付けようが全部後付けに過ぎないのだ。だから未来の自分は結論の無いこれらの説明をいちいち説明するのが煩わしくて『酔っ払って記憶が無い』とだけ言うのだろう。
 翌朝目が覚めると、二人の間を隔てる薄い膜が取り払われていることに気づいた。アルコールで昂った感情の中で二人は言葉を交わし、時に相手を拒絶し、一方で溶け合った。体液や主義《イズム》が交錯し、あなたと私を明確に区別することがもはや難しくなっていた。柳は心の奥底でそうなる事を望んでいたし、美幸もそれを望んでいたのだと思う。この時を境に柳と美幸はより親密な関係になったのである。

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