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20240318 「ルリドラゴン」と眼帯

連載再開が話題になっていたので、単行本の1巻だけツタヤでレンタルして読んでみた。

どこが面白いかと言われると説明しにくいけど、なんか面白い。ジャンルでいうと日常モノにあたる作品で、バトル要素はない。

コマ割りとかストーリーの起伏もいたって平板。会話のテンポ感とかもスローに感じる。効果音とか集中線などの、アクション性のあるマンガ的表現はほとんどない。

この作品の世界観は、ルリの頭に生えた「ツノ」以外は平和すぎるといっていいほどおだやかだ。それゆえに「ツノ」がアクセントになっていて、ルリだけでなく彼女をとり囲む世界に色んな意味が付与されていく。

「ツノ」の意味を考えてみたとき、メタファー的な読みとき方をするなら、思春期のころに抱えがちな衝動的な暴力性を表象しているように見える。実際、ルリはツノが生えて以降、くしゃみをした際に火を吹いたり、放電体質になってしまう。

とくに10代のころの若者というのは自分の加害性を自覚していて、他人を傷つけないかおそれてしまいがちだと思う。自分の中に漠然とした不安やあせりだけがあって、そのとりのぞき方がわからない。それがいつか爆発して人を傷つけてしまうのではないかという不安。あるいは、コミュニケーションのいきちがいで思いもよらず言葉によって人を傷つけることもあるだろう。

「ルリドラゴン」のキモになっているのが、学校のクラスメイトや先生、母親などのルリをとりまく人々だと思う。彼らはツノが生えてしまったルリに対して、大げさに心配するわけでもなく、かといって心配しないわけでもない。「ちょうどいい」寛容さを見せてくれる。くしゃみで意図せず火を吹いてしまったルリに対しても、シリアスなリアクションをとったりしない。この作品の中の人々には、「人を傷つけてしまうかもしれない」という自分を受けとめてくれる寛容さがある。

自分にとっては大ごとだと思っていることが、周囲の人からすると大したことではなかったりして、それでかえって安心することがある。
逆に、自分からするとわりとどうでもよくて小さなことが、周囲の人が大げさに心配してくれる安心感。
そのちょうどいい塩梅のところを突いているのがこのマンガの特徴だと思った。

このマンガを読んでいると、小学生のころに目を怪我して、一時的に眼帯をつけて学校に通っていたことを思い出す。クラスメイトからつぎつぎ好奇の目をもってツッコまれたあの記憶。自分に注目があつまるうれしさと恥ずかしさが混在していて、最初こそちゃんと事情を説明してわかってもらうんだけど、何人にも同じことをきかれるので段々めんどくさくなってくるアレだ。
触れてくるのもダルいし、あまりに触れられないのもなんかさびしい。たぶん多くの人が眼帯じゃなくても骨折したときの松葉杖とか腕の三角巾とかで経験があるんじゃないかなと思う。

関係ないけど、ツノと眼帯ってどちらも厨二病的なニュアンスがあるなと思ったりする。

さらに本作の場合、このツノが彼女にとっての「個性」の獲得につながっている。ツノきっかけでクラスメイトに認知されたり、今まで絡みのなかった友人を作ることができる。ある種の「アイデンティティ」となる。

現実でもしも自分の頭に「ツノ」が生えてしまったときのことを想像すると、人体実験されたり、周囲から孤立してしまったり、差別されたりと、シリアスでネガティブなイメージを抱きがちだ。しかし、この世界の人々はみなおだやかで、有り体な言い方をすると「多様性」に理解がある。

ツノのせいで存続が危ぶまれた「なにげない日常」が、それゆえにありがたく、価値のあるものとして浮かび上がってくる。ユリは理解のあるクラスメイトらとともに、穏やかで平和な日常を獲得していく。

これは個人的な予想なんだけど、男性の中にも「JK的なことをしたい」という願望ってないですか?JK的なことというのは、加工アプリで自撮りしたり、スタバで勉強会といいつつおしゃべりしたりするアレコレのことだ。若い女性の特権。

自分は体も心も男として生まれてきたうえに、周囲との関係性もあったので、高校時代はそういう女子高生を斜に構えた目で見ていたフシはあった。だけど、もし自分が女に生まれていたら、そういうことをやりたかったしやっていただろうなと思うことがある。この作品はそういうちょっとキモめな願望を叶えてくれるマンガのような気がするのだ。

ギャルギャルしい見た目をした神代がルリに対して「一緒にJKやろうぜ」と言うセリフが好きだ。現役JKが「JKやろうぜ」と俯瞰して言ってしまうことにどこかグロテスクさを感じると同時に、「自分がJKでいられる時代」は期限つきで終わりがくるということを俯瞰できている切なさがある。だけど、そこにシリアスさとか焦りはない。まあ、せっかく今はJKなんだから、今しかできないことして楽しもうぜ、というあくまで軽やかな感じ。そういう感覚はとても健康的なことだと思った。

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