人の話を聞けるようになるということ
私はこれまでの人生で、話を聞けないという人たちにめちゃくちゃ悩まされてきました。こちらの話をなぜ理解できないのか?ということにかなり悩まされることが多かったのです。波動の話をしましたが、周波数のずれで、相手には雑音だったり、話が届かないと考えると、仕方がないとは思うのですが、わざわざここでこういう話をするなら、そうならないようにするために何をするかを考えたいと思います。
先日、とある政治家のお兄さんがラジオで空港の駐車場についての話をしていました。正直、何をいっているのかわからなかったんですよね。投げかけている質問はわかりますが、実際、あなたは空港の駐車場を使うの?使わないの?どっちなのという疑問ばかりが続いて、こちらから質問ができない環境なだけに気持ち悪くてしかたがありませんでした。その直後に選挙があって、弟さんの方が一生懸命会見をしている姿をみて、「言わされてるな〜」と思いました。嫌な部分を押し付けられてやらされている感がもろに出ているわけですよ。途中でやや切れてたりしてね。そういえば、ある有名人がこの弟さんをボロクソに言っていたことがあったことを思い出しました。「こんな操り人形が総理大臣になったら終わりだ」というような話です。
これまでは、兵隊のようにいわれたことを忠実に出来た人間が美味しい思いをしてきたのだと思います。ただ、本当に世の中って変わるな〜と思うのが、最近はみんなそれって自分のことばじゃないよね?っていう本質の部分を感じるようになってきているってことです。つまり論点が正しいかどうかではなくなったということです。まあ例えば波動の話でもハナから馬鹿にする人もまだいると思いますし、スピリチュアルを嫌いな人もいると思います。昔はそういう目に見えない話を一蹴される文化だったと思います。
ですが、目に見えない部分をどう解釈するか?ということが割と重要になってきた世の中になってきました。あ、ちなみに最近の大学受験はこれが結構大きなテーマになっています。つまり自分はどんな考えをもって、他人の考えをどうやって捉えているか?ということを聞いてくるわけです。なので、波動という話を一蹴しているなんて、ナンセンスな世の中になってきているわけです。私も波動というものについての理解が出来ない人間でしたが、自分なりに必死に解釈したわけです。そしてこれに正解も不正解もないのです。
重要なことはこういう考えだと言えるか言えないかということです。ちなみに私は10年くらいまえは全くできなかったと思います。子どもが小学校の低学年あたりのころ、自分の親と同じような高圧的な育て方をしていたように思えます。なにげに「言っても仕方がないとおもっていた」といわれたこともあります。別の記事でも書きましたが、小学4年生のころ、あまりにも不本意な成績をつけられたことで、子どもに対して強く意識を向けるようになれたのです。ピンチはチャンスといいますが、ひどい成績をつけられなかったら、私も娘も変われなかったかもしれません。
特に勉強ができなかったとも思えなかったのですが、なぜか成績が悪くなっていたので、娘の話をよく聞くようになりましたし、どうやったら評価されるかということもアドバイスしました。仕事柄カウンセリング力はあったので、娘はすぐに理解して行動を起こしました。もちろん本人もくやしかったからこそ行動したというのもあります。当然すぐに結果に反映させることができました。この方法で娘は高校1,2年の内申はパーフェクトでしたし、大学の前期の成績も怒られた教授の試験がAだったようです。
私は娘の人生に関わって特に思えたことは、自分の関心のあることに関しては自分なりの考えを必ず言語化できるようにしなければならないということです。これが出来ないと自分の思いを伝えることも相手の思いを受け取ることもできないので、互いに成長ができなくなると、自分の子どものころの環境を振り返っても思えたわけです。特に自分の考えを伝えるということは重要なことで、それがあって相手の思考を変えることも開花させることもできると感じます。議論というは言いっぱなし、いわれっぱなしでは行われないわけです。聞く力こそ、話す力であると自身の経験からも強く言えることです。
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