わかっていても出来ないもどかしさ

習慣が大事と嫌というほど私達は聞かされています。英語を話すようになるためには習慣が必要。ダイエットを成功させるためには習慣が必要。自分を変えるのは習慣以外に方法がないということはもわかっているわけです。

なぜできないのか?

単純に言えば必要性を強く感じていないからですね。英語だって絶対はなせなければ暮らせない環境にいれば話せるようになりますし、ダイエットだって絶対やせなきゃいけない環境にいればやせられます。自分で環境を変えることができないからみんな悩むわけです。

習慣を変えたくて仕方がない知人はこういいました

実は習慣を変えるつもりはない。と。

わかっているね。と思ったわけです。痩せたい、できるようになりたいっていう願望ですら、猛スピードでわすれることが多いそうです。で、また願望が湧いてくるそう。そうなれるといいな〜の繰り返しなわけです。よくスピリチュアルで、願えば叶わうという話しを聞きますが、私はちょっと微妙だとおもっています。決めれば叶うというのもやっぱり深掘りが必要だとかんじます。結構スピの話ししている人たちって借金が多かっただの、生死をさまようような経験をしたりと、かなり特殊な経験がある方が多いという印象があります。

いわゆる危機感こそが実はヒトの行動を変えられる唯一の方法ではないのかと私は思うようになったわけです。というのも、カウンセリングなどでヒトの話しを聞いていると、やっぱり心配や不安はみんな持っているんですよ。だから痩せたかったり、今を変えたりしたいなどの願望はあります。でも危機感はあまりないという印象です。危機感はずっと抱かなくてもいいんですが、衝動的なものが必要かもな・・・とは思います。

実際、私が身体を整える必要があると感じたのは父親が他界したからでした。自分が元気と信じていた父親が脳溢血で突然倒れたわけです。その頃はまだ、脳の病気というものはそれほど多くなくその後増えていったわけですが、兆候がないといわれていました。思い返せばかなりイライラしているという症状があったとあとで聞きましたが・・・。ただ、肩こりがひどいなどの血流の悪さの自覚症状はあったようです。なので、突然高級なマッサージチェアが家においてあって驚いたのですから。

とはいっても、生活習慣を変えるということは一つもなかったです。物を買えば治った気になっていたわけですからね。そのときは病気だったわけでもないのですし。私は仕事ばかりをしていた父親の体質、人生などを考えることが多くなりました。自分は似ているとも思うことが多いですし、家にいなかった父親の気持ちは全然わかりませんが、父親の気持ちが年齢を重ねる事になんとなくわかるようになりました。

親と話す機会がなくとも、自分が成長していく上でやっぱり親というのもどういったヒトだったのかもわかるようになってきます。一つ私が気がついたことであれば、自分が親を越えだしたころ(人間性かな)やっぱり危機感みたいなものが感じられるのではないかな〜と思ったわけです。私は身体のことはルーツをたどると良いとおもっていて、血縁関係に居るひとはやっぱり体質も思考も似るので、近い病気になりやすいと思うわけです。

親を越えることが出来ていないと親と同じような病気になったり人生になると思うんですよね。貧乏であるのは親のせいではなくて自分のせいだといわれますが、貧乏だと親のせいだと思ってしまいます。その時点でやっぱり親以下の思考であると感じます。近年毒親という言葉もよく聞きますが、自分という人間を確立させないと、親の言うことが毒になってしまい自分を蝕むことになってしまいます。ただ、毒って少量を飲みならすことで耐性をつくることは出来ます。であるならば、親との関係をもっと客観視することができるだけでも、危機感というのは生まれるようになるのではないかな?と自分の経験を含めて他人をみていても思います。特に親が仕事以外の失敗をしているのならだいたい自分もそうなります。昔ほど仕事ができることで人間性まで評価されない時代です。私達の親世代でもですが、仕事ができていても、家庭生活がいい加減だとストレスって大きくなるものです。

そのストレスというのがやっぱり毒性の強さになるのだと最近は感じることが多いです。正解のない世の中になってきました。本当の幸せを手に入れたいと思う人が多くなったようです。本当の幸せとは?といえば私がわかっている限り、自分の感覚にブレをなくして、自分が本当にやるべきこと、自分ができることを信じてつづけることだと思います。私の経験では世間の常識では考えられない方法でそれはできるようになります。まず自分を信じる力が必要だと習慣より前に気持ちを確立する必要があると知人の話しを聞いて感じたことです。


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