芦雪贋物にひっかかる
佐藤康宏氏著『絵は語り始めるだろうか 日本美術史を創る』第9章 真贋を見分ける 三節 真贋の区分 では、浦上玉堂・伊藤若冲・曽我蕭白らについて本物と贋物の比較を記したうえで、「最後にひとつの試験をしよう。」と、長澤芦雪の「海老図」左側のページに図13と図14(いずれもモノクロ図版)が並べられ、どちらが本物でどちらが贋物かを問うている。正解はめくったページにある。
伊勢海老の体は図13のほうが濃く塗られている。
尾は、図14のほうがプリプリとしている。
ムッ、図14の海老の目がリアルでドキッとする。白目がはっきりしており、こちらを見ている訳ではないが視線を感じる。一方図13の白目はグラデがかかっており、視線も定まらない。
こりゃ、図14が真作だな。
(ページをめくる)
「したがって、図14が本物、図13が贋物ということになる。」
当たった。
再度見ると、両図右上方にある水草の端のような曲線が、図13では単調に細くなっているが、図14では太さに強弱があり、水中にゆらめく感じが出ている。
(翌日、同じページを再見する)
?!
(図版の下の記載)「図13(右)| 図14(左)」
えっ、左が図13で、右が図14と思っていた。
道理で、「したがって、」の結論に至る理由がひとつも該当していなかった。
「本物の方が本物らしく見える」「図13の方に点描が目立つ」「脚に入った筋も図13の方がはっきりと見える」「足先の繊毛も図13の方が眼につく」「笹の葉は~図13の方が平板」
ここに至っても、だから左側の図14が本物だと理解できたわけではない。
とはいえ、水草の端のような曲線は芦雪が一定の力で筆を制御して細くした一方、贋作者は筆をどっちに動かそうかと迷いが出て筆圧に強弱が出たと解釈できる。
海老の目についてはどうか。
画像を検索してみると、福田美術館が画像を上げている。著色画である。
真作は眼球に立体感を出そうとして墨の諧調を入れている。贋作は付け根に近い部分を黒くしただけなので、余計白目部分が多くなっている。
「イセエビの眼」で検索すると、そもそも複眼であって全体に黒く、光の当たった部分のみ白く描くことが可能である。視線などないのだ。芦雪も黒目をはっきり描きすぎているが、贋作者は伊勢海老を見ずして模写したことでより実物から遠くなった。
ところで、福田美術館の「海老図」は本書掲載のものではない。署名印章の位置、笹・小海老も違うし、水草の端も描かれていない。
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