入善町下山芸術の森 発電所美術館「寺林武洋展LIFE」
入善町 下山芸術の森 発電所美術館「寺林武洋展LIFE」行ってきた。
館内に入ると作家さんが公開制作されている。発電所跡の館内を描かれているようだ。
展示の作品を見ていくと、道路標識の丸ゴシック文字が印刷のようにきれいに描かれている。これはちょっと、文字に着目して拝見することになるかも。
広島市安佐南区の風景。自分なら肉眼でこう遠くまで細かくは見えない。デジカメを使えば、普段見えないものも見えるようになるが、作者はよほど視力が良いのだろうか。
入館者の方と作家さんが談笑をされているので振り向いたら入館したときに左のほうにガスボンベがあるなと思ったのは絵だった。いえ、絵のようだ。あとで確かめる。
アパートの玄関先に置かれたSHARPの全自動洗濯機。スイッチの近くに点字が書かれている、いえ、点字がある。近寄って見ると凸になっているようなので触って確かめたくなる。受付で少ししつこいくらいに作品に触れないよう注意されたのは、このためか。
電気器具に刻印され凹んでいることで読める文字。そのとおり、凹んでいるように描かれている。
ドアノブなどが描かれた作品がガラスで保護されている(個人蔵)。保護しておかないと、来客などがうっかりドアノブと思って触ってしまうからね。
鍋がガスコンロにかかっている作品2点。鍋の下に注意書きが貼ってあるがその文字が歪んでおらず上から見たように描かれている。これは違う。注意書きは側面に貼るはず。 そんなへまをする訳もない。その左に鍋がかかっていないガスコンロの絵。注意書きは天面に貼ってあったので、もちろん作品のほうが正しいのだ。
天井からつるされた蛍光灯丸型。細い。その左の絵では普通なのに。
2階休憩室では今回展示会を取材した短いニュース映像が流れている。インタビューで作家さんが必ずモチーフを前にして描いているとおっしゃっていた。写真とか使わずに見えているのか?
広島市安佐南区のごみ収集ボックス。側面に収集日の表示。斜めから見ているので文字も斜めから見えているように描かれている。文字を見て一旦脳内で文字として認識し普段書いているように書こうとするのを修正して斜めに見えているように描くという工程が必要なのか。
入館時に視界の左端にあったガスボンベ、間違いなくプロパンガスボンベの絵だった。
作家さんに会釈して出ようとすると、声を掛けられた。折角なので、細い蛍光灯について聞いてみた。特殊な蛍光灯で実際にあるらしい。(帰宅後調べるとスリム管というものがある)
風景画について、遠方まで細かく描かれていることについて聞くと、基本、じっと見て描く、天候によって条件が異なることもあるので写真は補助的に使うこともあるとのこと。
ごみ収集ボックスの斜めの文字について、文字を見て脳内で普段書くような文字を斜めに修正しているのか聞くと、文字として見ずに模様として見て忠実に写し取るとのこと。
受付に今回のチラシがあると言われたのでもらって帰ってきた。帰宅後見ると作品の写真が、網点がルーペでやっと見えるほど精彩に印刷されている。今回の展示会があることを知った北エーゲ新聞、いえ北日本新聞の記事を改めて見直すと、新聞の写真印刷も全く網点が見えていない。北ホラーサーン新聞、いえ北日本新聞だけじゃなく、北陸中日新聞の写真印刷も同様だった。いつのまにオフセットカラー印刷が進化していたのだろうか。
ちなみに公開制作とは書いてない。滞在制作とある。モチーフを前にして描かれるので、それが発電所館内だったら結果として公開制作と同様のこととなった。
今回、文字に着目したのは、佐藤康宏氏著『絵は語り始めるだろうか 日本美術史を創る』羽鳥書店、2018年 第3章 日本絵画の中の文字 を前日に読んだからかもしれない。
同書第5章 つなげて見る に「写すこと自体がひとつの創造だ」という言葉があった。同書では作品の模写について述べられているが、リアルを写す絵画についても当てはまると思われる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?