無駄遣いは果たして本当に無駄なのか。
私には、知的障害のある妹がいる。
知的障害といっても軽度なので、少し言葉の扱いが下手だけど、大体の意思疎通はできる。
そんな妹は今、進路に頭を悩ませている。
高校3年生であり、就労移行支援へ行くのか、一般就労を目指すか、はたまた職業訓練校に行くのか、日々母親と口論を繰り広げている。
ある日妹が「職業訓練に行くのに3万円かかるよ?」と、学費に躊躇している発言をした。
そうしたら母は「3万円はとても安い方だよ。他の専門学校とかは1年で100万円使うんだよ」と、お金について話していた。
妹はあまりお金を使う機会がないため、おそらく金銭感覚がないのだろう。母が私に「節約と無駄遣いの違いをどう教えたらいい?」とアドバイスを求めてきた。
私は「うーんなんにも考えずに使ったら無駄遣いじゃない?」と咄嗟に答えた。
その後母は妹に「扇風機が誰もいないのにつけっぱなしだったら無駄だよね?便利で大切なものにお金をかけるんだよ」と私のアドバイスを交え、教えていた。
改めて私も考えた。
「無駄になるかどうかは、自分の使い方次第」
「妹にはもっとお金を使う機会が無いとダメだな」
最終的に行き着いたのは、
「人生に無駄なんてない」である。
私は、バイトをして給料を貰えるようになった途端、欲しかったコスメ、服、本、お菓子など欲望のままに買いまくっていた。
しかし、部屋の中が無法地帯になり「このままじゃあかん」と、ミニマリストの本を読み断捨離を始めた。
手放した大部分は、欲望のままに買いまくっていた時に手に入れたもの。
とてもスッキリした爽快な気分と「こんなにいらんものいっぱいあったんや…」という衝撃と落胆もあった。
では果たして、購入して結局手放した物達は無駄だったのだろうか?
否、そうではない。
傍目には無駄遣いじゃんと、思われるかもしれない。
でも私は
「なんにも考えないで買い物するのはもう二度とやらない」
「本当に欲しくて大切なものだけにお金をかけよう」
と強く決心し、その決心は現在も続いている。
だから結局、無駄だと思われるものにも、別の視点から見たら何か学びがあるはず。
そう私は思っている。
無駄にするか糧にするかは自分次第なのだ。
と、妹と母が口論を繰り広げている間に私は上の空で考えていた。
終わり。
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