1番目アタール、アタール・プリジオス(7)200番目
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日が昇った。
…部屋が明るさに包まれる。
レミールは机に向かって座っていたが、特に何かをしていたわけではない。『水晶玉』の姿に立ち戻った、アタール・プリジオスを無言で見つめていた。
アタールもまた沈黙し、眠っているかのように動かなかった。
朝の礼拝から部屋に戻ってきたファンダミーア・ガロは、少年の様子を窺いながら、ゆっくりと近寄る。
「…お帰りなさい」
レミールは、彼女のほうを見ずに言った。
「お待たせいたしました」
「…ねえ、ガロさん」
『水晶玉』に目を落としたまま、彼は呟くように声をかける。
「なんで、ガロさんは…俺が《神王家》の人間だって分かったの?」
彼女は、蒼い瞳を2度瞬いてから答えた。
「私の場合は、オーラが見えます」
「オーラ…」
「べつに、レミールさんの外見や所作や言動をみて、分かったわけではありません」
「そうなんだ…」
「どうかしましたか?」
「いやさ。俺の目って、何のためにあるんだろうって考えてたんだ。何か特殊な力を持ってるわけでもなくて…こんな奇妙な目なのに、何の意味もないのかって」
「恐らく、まだ発現していないだけです。私がオーラを見えるようになったのも、18歳くらいでした」
「ふーん……俺のオーラって、どうなの?」
僧侶は、その問いに対し一歩後ろに下がり、畏まってひざまずいた。
「…不躾ながら、私の知る中でも特別に強いオーラです。崇高で力があります。色は白銀です。白銀は聖職者や聖なる血を受け継ぐ方に多いオーラです。ゆえに、貴方は聖職者にしてはお若いので、《神王家》の方ではないかと」
レミールは、ひざまずく彼女のほうをまだ見ぬまま、『水晶玉』に問いかけるように言った。
「へえ…でも、ガロさんが思うほど《神王家》は崇高なんかじゃないよ。『聖血』なんて、言ってるけどね。むしろ聖典のお伽話なんかを信じてる箱入りの幼稚な一族だ……そう思わない? 先生」
お前には、そう見えるのか?
「中にいたときは、気づかなかったけどね。外に出てきて…痛感したよ」
…確かに、幼稚な一族かもしれない。だがな、聖なる血は、存在する。
「なんだ。先生なら共感してくれると思ったのに、つまんないな。それは、なぜ?」
それは、お前の目だ。
「は?」
…その特殊眼こそ、聖なる血の証明だ。この世ならざる者が遺した稀なる血筋の痕跡。べつに『聖血』などと呼ばなくとも良いがな。
「レミールさん」
「はい、ガロさん」
今度は、ガロのほうを見る。
彼女は立ち上がり、寝台に腰を下ろした。
「私は、先ほど6本の聖剣のうちの1本『時空』の所持者であるとお伝えしましたが、私の聖剣士名はロエール・オットー。レッカスール神の愛弟子の御名を授かっております。今後、外で私の名をお呼びになるときは、オットーと呼んで下さい。この名ならば巷にも多くありますが、ガロですと、知る者もいますので」
「…オットーさん、でいいの?」
「ええ。…そして、レミールさん、貴方もその仮の名を変えるべきかと」
「ああ…そうだね。アタール継いだけど、元祖アタールはいるし、何か別の名が必要かな」
仮の名など、新たに作らなくて良い。
『水晶玉』が光った。
玉の中に、細かな星屑のような光の粒子がクルクルと煌めく。
「何故です?」
僧侶が不思議そうに、かつての師に訊ねた。
仮の名ではなく、新たな名を名乗れ。
「それは、つまり…」
「…改名しろって、こと?」
そうだ。
アタールは、はっきりと答える。
「で、なんかいい案があるわけ?」
ガロとお前は、道中は姉弟ということにして、姓はオットーで良かろう。名は…。
少し考え込む。
アリエル・レミネ・オットー。
…普段は、アリエル・オットーと名乗れ。どうだ?
「…それでいいけど、どうしてその名前なの?」
アリエルは、私の末息子の名だ。幼くして病で死んでしまったゆえ、その分、お前を生かそうと思ってな。
「そうなんだ……だけど、先生結婚して子どももいたんだね。ちょっと意外だな」
そのことについて、アタール・プリジオスは言及しなかった。弟子も、それ以上は何も聞かなかった。
「では、これからはレミールさんではなく、アリエルさんですね?」
「ガロさんも、姉さん、だね?」
「はい!」
蒼い目をキラリと閃かせて、彼女は頷く。
「私、末っ子でして、弟や妹が欲しくてたまらなかったのです。私などが『姉』とはまったくもって畏れ多いことですが、どうやらそのお役目をお許しいただけたようですね」
「べつに俺、そんな偉くないし…ところで、ガロさ…じゃなく、姉さんっていくつなの?」
年齢不詳の美女に、レミール・マジガ改め、アリエル・レミネ・オットーは訊ねる。
「え? ああ、あと半年で三十路を迎えます」
「…すると、俺は16だから13歳差か。それとも25歳くらいの設定にしておく?」
アリエルはくすっと笑う。
そこに、ちょうど雲間から日が覗き、彼の顔を照らす。
「…ああ、やはり貴方は天使です。美しい瞳の天使、でなければ、無邪気な少年神です」
朝陽に青白く光る不思議な目、まさに神の御業であると、彼女は思う。きっとこの御方をお護りすることが、聖剣の剣士たる己の使命なのだ、と感じる。
早速だが、アリエルよ。
「なに?」
巻物に、新たな名を記せ。
「また書くの?」
そうだ。
レミエラス・ブラグシャッド・アペルはもうこの世に存在しない。ここに書くのは、真実の名のみゆえ…。
「はいはい。書くよ、書けばいいんでしょ」
200番目アタール、
アリエル・レミネ・オットー。
彼はすらすらと若さに合わぬ練達した筆跡で、そう綴った。