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僕は君になりたい。 第36話「Moon Water 恋する人魚姫になれる?僕」



#36



満月水を飲み始めて12日目の早朝、


僕は真冬の寒空の下、凍える海岸の強い北風を浴びていた。
まだうっすらと水平線に赤っぽい大きな月が残っているが、それを狙っての撮影らしい。
あえて日の出の『逆光撮り』をして、シルエット風に撮りたいのだとシセイさんに言われた。

それ、僕本人じゃなくても良くない? 

とも思ったが、ここは黙ってプロに撮られることにした。


「いいわね〜、美しいわ〜。ボクが思ってたとおり! キミにして正解だったわね!」


正解?


なんのだよ、風邪ひくからな…絶対!


「…ボクねェ、ずっとねェ! 『人魚姫』をテーマにした写真を撮りたかったんだー。ステージに立つキミを見てね「この子だわ」とピンときたのよ! この子なら、絶対ボクの理想の『人魚姫』になってくれると思ったのよ。なぜだか分かる?」


レンズの向こうの僕に一方的に話しかけてくる。

なぜって、そんなの分かるわけない。

あんたの理想の『人魚姫』って何?

『人魚姫』って、泡になって消えるんだよね?

そんな健気ではかない女の子に、僕が見えたわけ?


「それはね、あなたの目ヂカラ! 月明かりを反射する強い光をたたえた海面みたいにね、不安に揺れながらも、一瞬の夢に命を賭ける意志のある瞳だと感じたの! ボクはこの自分のインスピレーションをどうしても忘れることができなくてね、社長に懇願し続けたの。なかなかいい返事をもらえなかったけど、どうしても諦められなくてね、やっと根負けして種明かしをしてくれたのを聞いて…妙に納得してしまったのよね。なるほど、彼女は“普通の女の子”じゃなかったんだってね!」


カメラマンは喋りまくりながら、パシャパシャとシャッターを切りまくった。


「その表情! 最高! 疑わしそうにボクを見て! そう、賢い人魚の目! 笑顔じゃなくても、美人ね! 作らないほうがいいわ!」


よく息が切れないな、と思う。
僕は彼の勢いのまま従うしかなかった。


楽しそうだった。


僕は薄い羽衣のような白く透けた上衣を羽織った下はノースリーブのシャツしか着ていなかったので、寒くて鼻水が出た。
鳥肌が消えることはなく、冷えた風が僕の肌を青白く染め、人魚の鱗のようだな、と思った。


「ああ、イイわよ♪  イイわね、イイわぁ〜! やっぱり “月城琉唯”は唯一無二の和製『人魚姫』だわね!」


赤いアロハシャツのおじさんは、自分の夢想に陶酔したままつぶやく。季節感のない服装は、被写体に対しても同じなのだろう。


僕がくしゃみをこらえきれず、2回してしまったとき、ようやく僕が『人魚姫』ではなく“普通の人間”だったことを思い出した彼はスタッフの澤田さんに声をかけ、休憩を告げた。


彼女はガウンを持って来て、僕に着せてくれた。


「…ありがとうございます」


僕が言うと、女性は笑ってひそひそと僕に耳打ちした。


「シセイさん、ゾーンに入っちゃうと、なかなか気遣いができなくなっちゃうから…」


僕は…あまり笑えなかった。


「何かあったら、シセイさんにもガツンと言っていいですからね」


「いいんですか?」


「ええ、遠慮なく言ってあげて」


彼女は、澤田茉耶さん。
シセイさんのアシスタントをして5年になるという。歳はちょうど30歳らしい。
ショートカットがきりりと似合う、はつらつとした女性で、シセイさんのほかにスタッフでただ1人僕が男子だと知っている人だった。
雪乃さんと協力して、僕のメイクやコンディショニングを任されている。


「でも、ホントっ、シセイさんが惚れ込むのも分かる気がしますね。この透明感のあるうなじの艶めかしいこと! うら若い王女様の柔らかな気品にあふれています」


「…あの。やっぱり僕、女の子っぽいんでしょうかね」


小声で訊ねると、澤田さんはまた小さく笑った。


「そうね。でも、恥ずかしいことじゃないですよ。むしろその中性的なところも、あなたの男性としての魅力だと私は思いますよ」


「筋肉ムキムキで力強い見た目のほうが、魅力的じゃないんですか?」


「全然。それにね…あなたは見た目は女の子も驚くような可愛らしさだけど、性格はどうかしら?
むしろ筋肉ムキムキのマッチョマンなんかより、ずっと強くて男らしいんじゃない?と私なんかは思っちゃいますけどね」


「そうですかね…」


僕は、はにかんでうつむいた。

その辺のところはよく分からなかった。
自分で言えることではなく、周りの人たちがそれぞれに僕を見て感じることだ。
でも、見た目より中身でそう感じてもらえることは誇りなのかもしれなかった。


綾香は、そう思ってくれているのかな…。


ふと、思った。



 ☆



「流伊くーん。撮影どうだった? 寒かったでしょう?」


のほほんとした声で呼びかけてくる。
綾香の能天気な顔が目の前に迫ってきて…僕はまた怯む。

底抜けに明るい、茶色い瞳が星のようにキラめくから、真っ黒な僕の瞳は、いつものことなのだけれど「まぶしい」と思ってしまう。


「…ああ、うん。寒かった。風邪ひくかと思った」


「ねえ、どこで撮影したの? それも口止めされてるの?」


「うん。まだダメなんだ、ごめんな」


「いいよ、しょうがないもん。私も昔さ子供モデルしてたじゃん? そういうのあったもん」


綾香は微笑んで、おもむろに僕の肩に手を置いた。


「なに?」


「ううん。なんか雰囲気変わったなーって、思って。先月よりキレイになってる気がする」


「あー、それうちも思った」


あかりが口を挟んできた。
そして更に同調するように美咲もうなずく。


「そうだね、なんか…憑き物が落ちたみたいな顔してる。そうか、キレイになったのか」


…納得するなよ、とは思ったが。


僕は彼女たちの意見を聞きながら、飲み続けている“満月水”の効果だろうか…と思った。
姉の言うところの心理学的効果なのかもしれない。


しかし、まだ僕は“満月水”を飲んでいることも口止めされていたため、ネタばらしみたいなことも言えなかった。


「そうかな。気のせいだよ」


そんな僕に、綾香が耳元でささやく。


「…キレイって、言ったけど…カッコいいってことだからね!」


ほっぺたを赤くして、綾香は早口に言うと、さっと僕から離れた。


「もう、丸聞こえだよ。綾香」


呆れたように美咲が言う、その隣であかりが苦笑している。


「…じゃ、オレも大人へ近づいてきたのかな」


僕はぽつりとつぶやく。
綾香の赤い頬が可愛いかった。
好きだな、と思った。
彼女の無垢な性格が、好ましかった。
自分にはない、人として大切なものを持っているなと感じる。それは素直さと明るさだと思う。
うらやましかった。
なぜ、自分はそういう性格ではないのか、残念でならない。
でも、嫉妬はしない。
なぜなら、僕もまた彼女には無いものを持っているはずだから。だから、彼女は僕に好意を持ってくれているのだと思うから。


そうだよな?


僕は、綾香を見つめた。


すると、彼女はパッと目を逸らしてしまった。
目をぱちぱちさせて落ち着かなげに美咲に助け舟を求める。


「…流伊、そんなに見つめたら綾香が照れるだろ。
ほどほどにしてあげな」



「え? そう? そんなに見つめてた? 悪い」



ちょっと見つめたつもりだったが、彼女にはそう思われなかったようだ。



オレ、重い男? 圧?


視線を落として、何となく自分の手を見る。
白魚のような指は、『人魚姫』の条件の1つだった。
こんな、女の子っぽい手…。


やっぱり、やだな。



「さ、皆んな、リハ始まるよー」



あかりの声に、皆んな意識を切り換えた。



 ☆



今夜も、僕は“満月水”を飲む。


もうすっかり習慣になってしまった。
青い瓶を見ると、なぜか落ち着く。色の効果だろうか…それとも水の効果なのか。
分からないが、心がスッと自分以外の何かに変わるような気がした。


それが、心地よいのだ。


「月城琉唯…なのかな、今」


それとも、まったく別の…まさか『人魚姫』?


「命を助けた王子様に…一目惚れして、今度は自分の命を張って、王子様に会いに行く。キレイな声を魔女に売って、話をすることもできないで、ただ見つめ合って…それで満足するしかなくて。愛は結局実らないまま、海の泡になって…」


幸せだったのか?

不幸になっただけじゃないのか?


…悲劇だよな?


アンデルセンは、何でこんな救いがない童話を作ったんだ?


どんなに尽くしても、願っても、報われないこともあるのだと少年少女たちに教えたかったのか…それとももっと深い意味が?


「…仮に、綾香が王子で、オレが人魚姫の立場だったら。オレ、どうするだろう?」


ふと、そんな想像をした。


海で溺れていた彼女を助けたが、人魚である僕は陸には上がれない。波打ち際に身体を横たえてあげることしかできない。
意識を失っていた彼女はたまたま海岸で彼女を発見した別の男を命の恩人だと思い込む。
当たり前だが、彼女は感謝して、彼を愛するようになる。仕方のないことだ。
その男だって、たまたま通りかかって、海岸に打ち上げられていた彼女を見つけたのだ。
彼も恩人には違いない。それで、彼も彼女を好きになったのなら、相思相愛、何の問題もない。2人の物語であって…僕の入る余地など殆どない。
そこで割り切れれば良かったのだろう。
彼女のことを忘れてしまえれば、それで済んだのだのだろう。
でも、ダメだった。忘れられなかった。
それが悲劇の始まり…



あれ…。



彼女と付き合えれば、そりゃうれしいとは思うけど、所詮種族違いの片恋だ。彼女が幸せだったらいいと思う。未練がないとは言えないが、あきらめられる気がする…。



あれ…。



ひょっとして、人魚姫って、結構しつこい女?


あ、なんかムカムカする。


王子が、別の女と結婚して良かったとすら思う。



身を引いて泡になって消えるのも、当たり前だよと思うのは僕だけですか?


んーと…今日のワークは、これでいいのか?



僕、『人魚姫』になれるの?



後でちゃんと、読み直そうとは思う。
微妙に記憶が間違ってる気もするし。



コップに残った“満月水”を飲み干して、僕は途方に暮れた。








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