1番目アタール、アタール・プリジオス(5)体温
*
「その特殊眼、生まれつきか?」
「そうだよ」
博士の問いに、レミールは頷いた。
目蓋を伏したほんのわずかな眼差しからも、仄青い光が滲み出ていた。
彼はうっすらと自嘲気味に笑う。
「何の役にも立たないうえ、一族破滅させちゃったけどね…」
「お前を破滅させようとした一族など、破滅すればいいだろう」
アタール・プリジオスは表情を変えぬまま、強い語気で言う。
そして、隣りの美しき僧侶ファンダミーア・ガロのほうを向く。
「…ガロよ、肉体を借りても良いか? ほんの一瞬で良い」
「お師匠さま?」
彼の、貫くような視線。
揺るぎない意志。
その瞳をじっと見つめ返して頷く。
「…かしこまりました。どうぞお使いください」
僧侶は椅子に座ると、軽く目を伏せ、大きく息を吐き出し、身体の力を抜いた。
その瞬間、幽体がふっと浮かんで、彼女の身体に乗り移り、すっと溶け込んだ。
「…先生? ガロさん?」
レミールの声が、静寂に震える。
「…レミエラスよ」
応じた声はよく通る女の声だった。
だが、ガロの口調ではない。
「…あのぅ、だれ?」
「ガロの肉体を借りた。私は1番目アタールだ、お前の師だ」
「憑依したの?」
「そうだ」
女の蒼い瞳で、弟子の少年を真っ直ぐに見て、天才博士は彼らしいはっきりした返事をする。
「…どうして?」
「それは、私に肉体が無いからだ。今、私は肉体を必要として、ガロに借りた」
ガロの姿をしたアタール・プリジオスはレミールのほうに歩み寄って、その肩に手を置いた。
青白い光を浮かべたままの目を見開き、レミールは僧侶の顔をした師匠の顔を見た。
彼の左目尻に触れた女の細く白い指が、わずかに湿る。
「お前は私に出会うためにここまで来たのだ。お前の命はお前のものだ。『神』の名を騙るものたちのものではない。もう何の心配も要らぬ。私がお前を護る。私に任せよ!」
「…護ってくれんの? 本当に?」
「言ったはずだ」
言いながら、ガロの姿の天才占星天文学者アタール・プリジオスは、レミエラス・ブラグシャッド・アペルをきつく抱きしめた。
「その目のせいで、様々な苦労を強いられてきたことだろう。これからはその憂き目を晴らしながら、お前らしく生きるのだ」
澱みない口調の博士の声は、麗しい女性の喉を借りてさえも厳しく聞こえた。
それでも、それは力強く頼もしく、このうえもない優しさを内に包み込んでいる…。
「…あんた、いい人だね」
「信じるならば、付いてくることだ」
「分かったよ…」
レミールは頷いて、微笑む。
「やっと、警戒心のない顔になったな」
博士もまた、レミールから離れると、椅子に腰掛けて、スッとガロの身体から抜けた。
「…もう、よろしいのですか?」
幽体に戻ったアタールはガロに礼を述べる。
「感謝する。ガロよ、お前が霊媒体質で良かった。あの子には人の体温が必要なのだ」
気がつけば、窓からの陽射しを浴びて立っていた少年は近くの朽ちかけた長椅子に身を横たえ、目を閉じて、静かな寝息を立てていた。
安心したのだろう、と言う。
「昨晩は一睡もできなかったからな。休ませてやってくれ」
「構いませんが…私の寝室へ移しましょう。ここでは誰が来るか分かりませんし」
「そうだな、一旦起こすか?」
「いえ。パルムに運ばせます。大丈夫です、彼は口がきけません」
そう言って、彼女は聖堂の外に一度出て、すぐにのっそりとした大柄な男を連れてきた。
パルムと呼ばれた男は、ガロの指図どおり、眠っているレミールを軽々と肩に担ぐと、聖堂を出て回廊を渡り、奥にある司祭宿舎の彼女の寝室へと運ぶ。
そして、扉の中の質素な寝台の上に少年の身体を丁寧に横たわらせ、薄い毛布を掛ける。
「ありがとうございます。とても良くやってくださいましたね、パルム」
蒼い瞳の僧侶に褒められて、男は嬉しそうに笑う。10年以上前に、謎の高熱病にかかって以来、声を出すことが出来なくなり、居場所を失って、この寺院に身を寄せるようになった者だという。
パルムが部屋を出ていってから、ガロは改めてアタール・プリジオスの幽体と眠っているレミールをじっくりと見た。
「この後は、どうされるおつもりですか?」
彼女は部屋の暗がりに佇んでいる、かつての師に問いかける。
「…できれば、数日間はここに留まらせてもらいたい。急なことで、この子も疲れているはずだ」
「急なこと、と申しますと?」
「モーロが、この子に199番目アタールを譲ったのは昨晩のことなのだ。それも突然に。何か感じるところがあったのだろうがな」
「お師匠さまには、教えなかったのですか?
モーロさんは直感の鋭い方でしたが」
「もしかしたら、分かっていたのかもしれぬがな」
「何がですか?」
「この子の素性だよ。追手の役人は、占い師のモーロを捕らえに来たのだと思うが巻き添えになれば、安全ではない。この子を私に委ねる為に継承を急いだのだろう。それが間髪入れず追手が来てしまった。さすがの私も焦った。レミエラスは私と巻物を抱えながら、必死にここまで逃げてきたのだ」
「そうでしたか…」
話を聞いたガロは、レミールの頭をそっと撫で「大変でしたね」と眠る彼を労う。
「ならば、お師匠さま。お願いが1つございます」
「なんだ?」
「私も一緒に参ります。…貴方の依代としても、この御方の姉弟子としても、神職としても、護身の剣としても、きっとお役に立てるはずです」
僧侶の女はそう言って、蒼い瞳をきらきらと輝かせた。