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僕は君になりたい。 第39話「Moon Water 恋に溺れる人魚姫と僕」
#38
運転席から降りた誠さんは後部座席のドアを開けて、僕の隣に座った。
「…思い詰めてたか。ごめんな、フォローしてやれてなくて」
「べつに、誠さんの、せい…じゃない」
僕は、搾り出すように言葉を吐いた。
軽く肩を抱かれて、僕は自分が肩をいからせて固くなっていたことを知った。
「どうしたい? スカートやめたいなら、衣装は相談して考えるから」
今までになく、誠さんの声は優しい。
「…でも、スカートやめたらさ。男っぽい感じがしちゃわないかな…。オレだってことが、バレちゃわないかな」
パンツスタイルでも可愛い女子に見えるというのも、それはそれでショックなのだが…
それでは、バレそうなのなら、やはりスカートじゃないとダメだ、とは思う。
このジレンマ、なのだ。
「それは、俺らスタッフの大人たちに任せろ。信じてほしい。責任は絶対に取る」
「うん…分かった。それなら、なるべくフリフリじゃない感じがいい。できればズボンがいいけど、無理なら、少し地味なドレスにしてくれるとうれしい」
「そうか、分かったよ。お前の希望に沿うようにしてやる。反対するスタッフは、多くはないだろうが、俺が押し切ってやる。まあ…俺も一応、社長の息子だしよ」
「そうだね…御曹司だもんね、ははは」
「ああ。だから、心配すんな、な?」
「…ああ、ありがとう。でも、オレ、恋愛禁止になったりしないかな」
「禁止して、できるものでもないだろ」
「まあね…」
恋愛が引き金になって、僕が「男らしさ」を意識してしまい、こんなことになった…なんて思われたら、綾香にトバッチリが行く可能性もある。
綾香が僕に告白したせいだと。
そんなの…嫌だ!
あくまで、僕の問題だ。
僕が気持ちの整理を出来ないでいるせいだ。
恋は恋。
仕事は仕事。
と、割り切れていないせいだ。
「綾香には、言わないでね…」
「分かってるさ」
誠さんはもう一度、僕を軽く抱いた。
☆
3月3日。
STAR☆CANDLEのファーストアルバム『Gothic Night』の発売日だ。
今日は、それに伴うイベントに出演する。
ジャケットと同じゴスロリ衣装で、都内のCDショップの特設会場に向かう。
「でもさ、琉唯ぴょんの『満月』は、やっぱりイイなァ。私はさ、卒業前にソロデビューしてもいいと思う!…アルバムの中の1曲だなんてもったいないよ〜」
褒められるのはうれしい。
でも、そこまでは考えていない。
時間が無いし、この姿で1人は…やはり、辛い。
「…“星キャンの月城琉唯”の歌でいいんだ。そういう想いで歌ってるし」
僕は、浮かれる綾香や緊張気味のあかり、気合が入りすぎて落ち着かない美咲を前につぶやいた。
今日は、アルバム収録曲で、アルバムタイトルにもなっている『Gothic Night』と『恋に溺れるマーメイド』の2曲に加え、シングルでも出した『聖夜の夢』を披露する。
「みんな、練習どおりに歌えばいいんだからね!」
今更ながらの掛け声を飛ばす美咲に「うんうん。そうだよね」とばかりに、あかりがうなずいていた。僕もそれなりに気構えはしていたが、この2人ほどではない。
それに引き換え、能天気な綾香は楽しそうに自分のソロ曲を鼻歌で歌いながら、スマホを見てニコニコしている。
何を見ているのだろうと、後ろからチラッと覗いて見た。
「………ぅ!」
思わず、声が出てしまいそうだった。
綾香が見ていたのは、彼女がスマホで撮った“僕”だった。
チラッと見ただけなので、全部は分からないが、月城琉唯の僕、榊原流伊の僕、が入り混じったたくさんの写真の列…だ。
おい、マズいだろ!
さすがに両方の顔を並べたら、僕が「月城琉唯」だと分かるヤツもいるだろう。
僕は焦りながら、幸せそうな綾香の横顔を見る。
今は…いいか。
あとで、さりげなく注意しておこう。
「琉唯ぴょんて、本当にいい顔♡ でも、それだけじゃなくて、歌もダンスも上手。すごく集中力あるし、あきらめずに頑張るし、本当にすごい子だと思う! 私、琉唯ぴょんに負けるなら、仕方ないって思うもん! だから、好き!」
「…バカか。オレがお前より頑張るのは当たり前だろう、女の子だって皆んなに思わせなくちゃいけないんだから」
僕は、恥ずかしくて顔を伏せる。
「そうかもだけど、やっぱり、やり抜くところが好き!」
「…もう、分かったよ。黙ってろよ」
いくら、今事務所のスタッフしかいないからって、あかりだっているのに…。
お前も、気にしてただろうが!
と、思ったら、そのあかりが冷やかしてきた。
「琉唯ぴょん、愛されてるー!」
「…もう、勘弁してくれよ」
僕がゴスロリのヘッドアクセサリーごと頭を抱えていると、美咲が変なテンションの高さで、大声を挟んできた。
「最初に歌うのは、『恋に溺れるマーメイド』だからね!」
知ってるよ…僕は思ったが、何も言わずにうなずいた。
『恋に溺れるマーメイド』…
…狙ってるのか、これ。
あまり楽しくない題名だ、と僕は思った。
☆
「琉唯ちゃん、見て見て!」
そう言って、ギョロ目の汗ばんだデカい顔を近づけてきたのは、有名カメラマン・柳生至成氏である。
僕は、圧迫感にさいなまれた。
柳生氏の興奮した身体の熱を感じる。
彼が僕に見せてきたのは、現像した数々の写真である。もちろん、僕を撮った作品であるが…
「あ、カラーは少ないんですね…」
モノクロやセピアのものが多かった。
同じ写真でも露光の仕方で、雰囲気もがらっと変わるものだ。
連写しているので、彼なりのベストショットを厳選しているのだと思うけれども、素人の中学生である僕には、この角度? この構図? みたいなものも多く、正直彼の興奮の理由がいまいち理解できなかった。
「いいでしょ! ボクの思う『人魚姫』はね、古い地図みたいな雰囲気なの。肌露出も最小限にしてね、キミの性別も問題ないのは、そういう理由。人魚だから裸なんて、型にはまり過ぎだもの」
…まあ、寒かったですけどね。
露出度は低くても、かなり薄着でしたから、こんな真冬の日本で…風邪ひきましたよ!
僕は苦笑するが、そんなことには構わず、シセイさんは詰め寄ってくる。
「これは、まだ試作段階よ。見ててね、これから“最高の『人魚姫』月城琉唯”の顔を、これでもかってくらい、世に知らしめてあげるからね!」
べつに、それを僕が頼んだわけではないのだが。
シセイさんの鼻息は荒かった。
「…あ、はい。楽しみにしてます」
「それでね、またまた突然のお願いで悪いんだけどさ。今日も撮らせてもらえる?」
「え?」
「あ、そのまんまでいいから。“目”だけでいいの」
「“目”だけ?」
「そう、誠くんには言ってあるけど、確認する?」
シセイさんは、既にカメラを構えている。
どういうつもりなのだろう?
僕は念の為、誠さんに携帯から電話をかけると、どアップで顔全体も写さないならば、ということでOKしたという。本人が拒むならNGだとも伝えたというが、僕にも事前に言っておいてよと釘を刺す。
専属マネージャーは笑って誤魔化していた。
「分かりました。まあいいですけど…撮れたやつ僕にも見せてもらえますか?」
「それなら、望むところ。ボクもキミに見て欲しかったからね」
シセイさんは笑いながら、ファインダーをのぞく。
「いい目だから、永久保存版にしたくてね」
「そんなにいい目ですか?」
「ええ。自分じゃ気づかないよね。よく見てごらん。自分で自分に惚れちゃうから」
「まさか…」
その後、シセイさんに、そんな“目”だけを何枚撮られたことだろう。
100枚は撮られた気がする。
“目”が、チカチカした。
「…さあ、見なさい。あなたよ」
そして、意味深な言い方をして、近づいてきたシセイさんは、僕に撮った画像を見せた。
恐る恐る、それを見た。
「…えと、あの…これ、ホントに今撮ったオレの目ですか?」
思わず、生唾を飲み込んだ。
プロが撮ると、こうなるのだろうか…
いい、と思ってしまった。
「もちろん。素敵でしょ? 自分の魅力が改めて分かったんじゃない?」
うーん…。
「皆んなが魅せられてるのは、この目のぬしなの。うぬぼれてごらん。それは自信。あなたというアイドルに、足りなかった唯一のもの。それは『本当の意味での自信』よ」
「…本当の意味?」
「そうね、自覚ってことかしら。だれにも言われたことない? あなたは、皆んなの目標になるアイドルになったのだから、その自覚を持つべきだって」
言われたこと、あったかもしれない。
美咲に、自覚しろって…。
皆んなの目指すアイドルとしての自覚を持てと。
言われたけど、その後も何となくそのままで来てしまったような気がする。
「あの、自信があるのって…良いことですか?」
「そりゃ、いいことよ。『自分はトップアイドル月城琉唯』だと自覚すれば、それを維持するために頑張るでしょ? 自立した個性の誕生ね、うらやましいわ。ボクなんか、あんまり個性がないからね」
「………はは」
十分すぎるほどの、個性だと思うけどね。
僕は苦笑いをして、彼の真冬に赤いアロハシャツに大きな体、大きな目玉…をしばらく見つめていた。
☆
目だけの写真を一枚だけ印刷したものを、自宅に“満月水”と一緒に送ってもらった。
僕はそれを、登校中、高柳に見せた。
「なにコレ、お前?」
「どう思う?」
「どう思うって、良く撮れてるじゃん。いつものお前の目」
「いつもの?」
「…え? だって、コレ、琉唯にゃんのときじゃねーだろ? いつものお前だろ?」
「そうだけど…オレ、いつもそんな感じ?」
「そうじゃん。いつものオレの知ってる流伊だよ」
「そうなんだ…」
「不満なのか?」
「いや…いいんだけど」
「ははぁ、お前…自分の顔に驚いたんだな? 思いの外いい目でさ」
顔をのぞき込まれる。
図星だった。
僕が黙っていると、高柳は笑った。
「お前って、ほんと自分が見えてねーな! ガリ勉のくせに!」
喜んで良いのか悪いのか…。
僕はポケットに両手を突っ込んだまま「うるせーな!」と叫んで、校門を早足で通り過ぎた。