![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/137063489/rectangle_large_type_2_4e7387352f51d064fa2f85cde5015b46.png?width=1200)
1番目アタール、アタール・プリジオス(11)誕生
*
神天星暦2934年10月9日。
その島は、閉ざされていた。
聖地に最も近い島とされ、島民たちもまた島を『聖域』という意識から島民以外の禁足地として、長い間、何者をも受け入れなかった。
そして、静かに滅びようとしていた。
「ミュー、おはよう」
「エクトラスさま…おはようございます」
「もうすぐだね」
男は女の大きな腹を愛おしそうに優しく撫でると、黒髪に栗色の瞳の整った顔に穏やかな笑みを浮かべ、女の傍らに座った。
エクトラスは、島外の人間だった。
聖地メーダへ向かう途中、帆船が難破して、この滅びゆく島に流れ着いたのだった。
それから、3年が経つ。
エクトラスは島の女ミューフィと恋に落ち、結ばれた。
2人の間には、今まさにその愛の結実とも言える新しい命が生まれ出ようとしていた。
「名前は考えた?」
エクトラスは妻に訊ねる。ミューフィはこっくりと頷き、夫の目を見て言った。
「レミエラス」
「…どういう意味?」
「レミは、この島の古代神です。太陽神レミ。あなたの故郷では“時の神”にすり替わっているかもしれない。天体は『時』を表わすでしょう? その代表が“太陽”ですからね…それに、あなたのお名前の一部を組み合わせてみました」
「太陽神の子、という意味だね。じゃあ、女の子だったら?」
「…この子は、男の子です」
彼女は、きっぱりと言う。
「なるほど…君の直感はいつも正しい。いや、未来が見えるのかな…」
窓から朝の光が差す。
エクトラスは妻の美しい顔を眺めた。
美しい、心底美しい瞳だ。
青白い光を灯す、神秘の双眸…。
この島の民は、朝陽に青白く光る不思議な目を持っていた。しかし、この島に住まう原始の血筋の民はもう10人にも満たない。
最後の生き残りだった。
「…この子は、あなたに預けます。この島には未来がない。あなたの故郷に連れて行ってください。少なくとも、この島よりは未来があるはずです」
「君も一緒に来て欲しい」
「…無理です。私は、この島で生まれたこの島の者。外では生きられません」
「この子が可哀想だ…いや、僕だって、ずっと君と一緒にいたい!」
エクトラスが叫んだとき、ミューフィは腹を抱えて顔を顰めた。
「…生まれます。産婆を」
*
…空気が重く、流動している。
周りは、薄暗くぼやけて歪んで見える。
彼は船酔いのような感覚に陥り、手で口を押さえる。
「なんだ? ここ…」
すぐ近くに、アタールとガロがいた。
2人とも蛙の卵のような透明な膜に包まれて、ふわふわと浮いている。
そこだけは、はっきりと見えた。
自分も同じ状況なのだろう。
「…私とお前たちは『時空』の内包する世界に、導かれたのだ」
アタールの声は冷静だった。
少年と同じようにこの謎の場所に飛ばされてきたというのに、全部最初から分かっていたことのようにはっきり言う。
「…お師匠さま、つまり私たちは『時』を超えてきたのですか?」
蒼い瞳を丸くし、僧侶は動悸を鎮めるための深呼吸をゆっくり繰り返しながら、師に問う。
「そうだ。…レミエラス・ブラグシャッド・アペルが生まれた日と場所にな」
「どうなってるんだよ…」
アリエル・レミネ・オットーと改名したばかりの彼は何度も瞬きをして、膜の外の景色を見つめる。
ぼんやりと半透明だった視界が、だんだんはっきりと光を得て明瞭になる。
「恐らく、ここは16年前の10月10日未明。お前の生誕地、神聖島ホロヴィルだろう」
「神聖島ホロヴィル?」
「そうだ。だが、その説明は後だ。もうすぐ、お前が生まれる。その瞬間をお前も見届けるがいい」
「俺が生まれる? なに、言ってんの…」
アリエルは失笑したが、天才アタールは黙ったまま、視線を下に向ける。
彼は、それに倣うよりなかった。
*
神天星暦2934年10月10日。
夜明けと共に赤ん坊の張り裂けんばかりの産声が、島全域に響き渡った。
「生まれたか!」
エクトラスは息を切らして、産声の源である妻の元へと走った。
寝台の上で壁に背を預け、その細い腕の中に生まれたばかりの息子を抱え、旭光が清らかに冴えた部屋で妻は夫の訪れを待っていた。
長時間の苦しみを伴う難産だった。
息子は、逆子だった。
女の顔は、疲労のためか血の気がない。
「…あなた。私の恐れていたことが起きてしまいました」
「恐れていたこと?」
「ええ。この薄い目蓋を見てください。仄かに青白く見えませんか?」
そう言って、蛍光の青い涙を浮かべる。
彼女の顔に喜びの笑みはなく、赤ん坊のまだ開かない小さな目を悲しげに見下ろす。
「確かに…青く見えなくもない。だが、それは君の血筋なのだから、不思議なことではないだろう?」
「神は無慈悲です」
「なぜ?」
妻が何を嘆いているのか分からず、エクトラスはその細い両肩に手を添えて、息子を抱く彼女の瞳を覗き込む。
「お分かりになりませんか? この子は島の外で生きていくのですよ。外の世界では、この瞳は稀有な輝きを放ってしまう。それを忌み嫌う人も多いはずです。この子が孤独感に苛まれ、不幸な人生を歩んでも不思議ではありません」
「考えすぎだ。そうだとしても、僕がこの子…レミエラスを護るよ」
「本当に? 本当に護り切ってくださいますか?」
「もちろんだ。僕はこの子の父親だ」
「エクトラスさま…お約束でございますよ」
母親はうつむく。
「ミュー?」
「申し訳ございません…私はこの出産で、どうやら命数を使い切ってしまったようです」
彼女は顔色を悪くして、目を閉じる。
「明日の朝まで持つかどうか。あなたは早急にこの島をこの子と共に離れてください。あなたもまたよそ者です。私が死ねば、島人たちはあなたを必ず追い出そうとします。その前に…」
「ミューフィ…君は嘘をついてる」
「嘘ではありません。信じてください」
「いやだ!」
エクトラスは赤ん坊ごと妻を抱きしめた。
子は、激しく泣いた。