見出し画像

1番目アタール、アタール・プリジオス(26)太陽




 *



頭がぼんやりする…。
心が、何も感じたくないと…言っている。


真っ暗な闇の中に、浮かんだ白い影の塊は、ほわほわと暖かい細かな石鹸の泡のように彼の頬を包み込んでいる。



優しい…。

優しい、何か…。


…お前、な…のか…?


そう言っているように、感じられた。


「違うよ…」


俺は、あなたが思っているような…やさしい子、なんかじゃない。


かわいい子、でもない。



「俺は、アリエル…アリエル・オットーだ。あんたの子じゃない」



…レミ、嘘はよくない。お前は、レミだ。僕には分かるんだよ。



「あんたなんか、知らない…」



…ああ、そうだな。お前はまだ赤ん坊だった。僕を、覚えているわけないよな。ごめんよ…。



「だから、知らないって!」



…だが、僕は覚えている。愛しいお前を、忘れるわけがない。自分の息子を、間違えるわけがない…。



「知らない! 知らない! 知らないったら、知らないっ!!」




…ごめんよ、レミ。つらい目に遭わせて、ごめんよ、ごめんよ…。


暖かな泡は、やがて彼の全身を包み込んだ。


護られている…。

護ってくれている…。



そう、思った。




気がつくと、朝になっていた。
仄かな日の出の柑橘の光が、爽やかな風を呼び込むように部屋に溢れてきていた。

彼は薄っすらと目蓋を持ち上げて、天井を見つめた。白い光の渦が幸せそうに旋回している。


でも、声は聞こえない。


「アリエルさん…? 目が覚めましたか?」


聞こえたのは、姉のロエーヌ・オットーの心配そうな声だった。


「ああ、姉さん…。おはよう」


「おはようございます。昨夜、あなたは突然失神したように眠ってしまったので、パルムが慌てていましたよ?」

少し微笑みながら、美しい姉は蒼い瞳を瞬かせる。それに背中に垂らした銀色の艶々した天然の巻き毛を、光にキラキラと踊らせている様は、まさに聖なる乙女だと思う。

こんな綺麗で凛々しい女性の“弟”だなんて…名乗っていいのだろうか、と罪さえ感じる。


「そうだったんだ、また…。ごめん、パルムさんにも謝らないと」

「べつにいいんですよ。あなたが無事なら、彼はそれだけで喜ぶんですから」

「でも…」


アリエルが気にしていると、そこへ噂の大男が部屋に入ってきて、アリエルに駆け寄る。



「アーリェ! げ、げ、元気に、な、なった?」


「うん、ごめんね。なんか…俺、いつもこんなふうで」



パルムは、太い首を横にブンブン振って、アリエルに抱きつく。


「ア、アーリェが…元気に、な、なれば、そ、それで…いいよ!」


「うん、ありがとう…ね」



アリエルは笑う。


「……アーリェの目、ほ、本当に…き、きれ、いだね。き、き…奇跡…だ」


「え? ああ…でも、俺にとっては、べつに有り難くなんかないんだよ。気味が悪いから、朝の行動が制限されちゃうし…」


「そんなこと、な、ないよ…みんな、に、み、見せて、あ、あげないと、も、もったいないよ」


「嫌がるよ、みんな…」


アリエルは目を伏せた。

青白い光を放つ自分の目を、鏡で見るが、気持ちのいいものではなかった。恐ろしい魔物のようですらある。


「神の聖なる瞳ですよ、星の女神の恩恵です」


「知ってるよ、聖典に載ってる。『時の神』レッカスールの双子の妹神で『星の神』と呼ばれてるレミエールの瞳でしょ?…俺の元の名前は、それから来てるんだろうって、じい様が言ってたよ」

「そうですね、そう考えるのが普通です。お母さまの言っていた太陽神レミと同等のものが、レミエールだと思われます」



ロエーヌの言葉に頷きながら、アリエルは苦笑した。
せめて、青く変色するだけならば、もう少し堂々としていられた。
それが、こんなふうに星のように煌々と光ってしまうものだから、妖しく奇異のものとして遠ざけられる。


生きづらかった。


そのために、祖父は孫息子を日中は暗幕に閉ざされた暗い部屋に隠していた。
そして、彼を見世物のように、稀なる特殊眼だと周囲に自慢して見せびらかすこともなかった。

いま思えば、祖父は自分を大切に守ってくれていたのだと思う。
でも、彼にはほかの孫たち、つまり彼の従兄弟たちと比べ、窮屈で理不尽な仕打ちを受けているとしか感じられなかった。
故に祖父への感謝どころか、怒りすら覚えていた。

それは、自分の世間知らずがゆえの感情だった。
『贄人』から逃れてから、この1年余り…そう、ここに至るつい昨日まで、自分は祖父を、アペルの一族を恨んでいた。


だが…。


死が頬を撫でる恐怖を抱きながらも、若き父が赤ん坊の自分をアペル家の実家に、どうしても届けなければならなかったのは…自分の亡き後、この特殊眼の中でも特殊な眼を持つ息子を護り切れるのは、祖父を筆頭とした名家《神王家》の1つ、アペル家しか考えられなかったからだろう。

当時の神王は、アペル家の出身…祖父の兄、ゲイオレスだった。エクトラスにとっては伯父に当たる。

即ちアペル家の権力は、そのとき最高潮だった。
エクトラスは『贄人』としての役目を果たせなかったが、それは正規に『贄人』を出せなかったシャント家の失態である。それに彼は既に船の遭難により落命したとされていたため、アペル家に落ち度はない。
ただ、エクトラス本人はやはり戻りづらかったと思う。

だが、「戻りたくない」などとは言っていられなかったのだ。


「俺、さ…」


「はい」


「帰るよ」


「え?」


「先生の指示には従うけど、それが済んだら…帰るよ、実家に」



「ああ…」




彼の表情には、強い光が宿っていた。


蒼い星のような神秘の瞳も陰るほど、明るさに満ち、燦々と輝いている。


明け方に残像のように薄れゆく星々の様子は、やがて太陽の光に満たされた青空へと取って代わる。


旭光の蒼い星とは…世界に青い光に満ちた明るさをもらたす星、太陽そのものであると…。



そのとき、ロエーヌは初めて知った。






以下、1〜25話までの全話を掲載したマガジンを添付しております。未読の方は、是非ご覧くださいませ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?