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僕は君になりたい。 第32話「告白のリミット 心が折れた僕と初デート」




#32



1月も半ばを過ぎた。

あかりが、療養から戻ってきた。

1週間ぶりだったが、あかりが倒れたのは、冬休みを終えて、今年まだメンバーでのレッスンもわずかしかしていない頃だ。
ゆえに、なんだか久しぶりに会う気がした。

僕が綾香から聞いた彼女の僕への気持ちについて、僕のほうから問いかけることはないと思う。あかりもまた、それを今更声に出して僕に告白することはないだろう。

そう。

彼女は僕に対してそういう関係を望んでいる。

秘めた心を秘めたままにしておくことを望んでいるのだと…。


「心配かけて、ごめんなぁ…」


頭を掻きながら、あかりはメンバーに向けて謝った。顔色は悪くなかった。

歌のレッスンが始まる前のことだった。


「…もう大丈夫なの? あかりちゃん!」


綾香が悲壮な声と眉間を、あかりの眼前に近づけて、逆に彼女を動揺させているように見えた。


「うん。またお薬もらったし、しばらくは大丈夫だと思う。ちょっと、張り切りすぎただけや」


「…どうだかね」


照れ笑いで答えるあかりに、僕はあえて暖かみのない視線を送った。


「…オレ、信頼されてないから知らねーけど」


「流伊。やめときな」


美咲が間に入ってきて、僕をどうどうと馬をなだめるように言うが、僕は馬ではない。そんなに簡単に落ち着いてたまるか。


「大事なことだと思う。命に関わる場合もないわけじゃないって聞いたよ…自分だけの命じゃないんだしさ!」


「…そうやな。ほんとにゴメンな!」


両手を合わせて頭を下げるあかりに、僕は「もういいけど」とつぶやき、顔を上げさせた。


「…みんな、揃ってるから。オレも、この機会に言わせてほしいことがある…やっぱり秘密は良くない。自分にとっても、良くない…だから、言わせてくれ」


皆んなの顔に、疑問符が浮かんでいた。
綾香は少し不安そうな目で、僕を見ている。
ほかの2人も、やや首を傾げながら、何事かと唇をぐっと噛むような身構えで僕の言葉を待っていた。


「…仕方ないことだって、みんな分かってくれると思う。分かってほしいし、分からないことじゃないと思うから…でも、オレさ…ずっと、言い出せなくてさ……あの。オレさ…」


前置きが長い、と自分でも思った。
でも、皆んな聞いてくれている。
待ってくれている…。


言おう。

今、言うんだ!



「…流伊。待った!」


そのとき、美咲が僕の開きかけた口を制した。


「ちょっと、待った…!」


もう一度、彼女は言う。




僕の出力エンジンは、

急速にダウンする…。



そして、


気づくと、…悲しくなっていた。


「言える」と思ったのに。



なんで?

なんで、止める? 

僕のやっと出した勇気を、なんで…。



僕は涙ぐんだ目で、美咲を見る。




「ごめん、流伊。もう、先生が来る時間だからさ…ちゃんと聞きたいから、あんたの話」


「分かったよ…」



我ながら、情けない、いじけた声だった。


「このレッスン終わったら…ね?」



「…分かったってば」


美咲の言うとおり、西山先生の足音がして、すぐに部屋に入ってきた。


タイミングを間違えたのは、僕だ。


「流伊くん……。大丈夫?」



耳元に小声で、綾香が僕にそう言ってくれたが、僕は何となくうなずいただけで、声は出さなかった。
声を出したら、泣いてしまうと思った。


そんなの、絶対に嫌だ。
そんな自分、絶対に許せない…!


レッスンが始まって、『聖夜の夢』とアルバム収録曲の『Powder Snow Nostalgie』を歌った。後者の歌はわりと高いキーが続く。
僕は調子が出ないまま、声をかすれさせていた。


「琉唯? どうしたの? 声が出てないね」


「…すみません」


僕が暗い口調で謝ると、西山先生は心配になったのだろう。


「もしかして、高音、出にくくなってる?」


そう、問いかけてきた。

それを聞いた僕は、自分の喉がギュッと締まる感覚に襲われた。

口の中まで、しびれてきた。



急に、息ができなくなった。



…ダメだ。

吸わなくちゃ、早く息を吸わなくちゃ…。



僕は、喉元を押さえて激しい呼吸を繰り返した。



なに、これ…もしかして、


過呼吸って、やつ?



苦しい…。

苦しいよ…。

ああ…

皆んなが、

僕を…

見てる…。




「ごめ、ん…な、さ…い」



僕の異変に、綾香が寄り添ってくれたが、僕は立っていられずその場にしゃがみ込んでしまった。


あかりが、先生の指示で部屋を出て行った。

医務室に行ったのか…。

美咲と先生が何か話している。

綾香が僕の背をずっと撫でている。


僕は目を閉じて、
ただただその苦しみが、通り過ぎるのを待っていた。



 ☆





医務室で処置を受けた僕は、息苦しさから解放されたものの、身体からはすっかり力が抜けてしまっていた。ベッドの上で仰向けになり、ぼんやりと白い天井を見つめていた。


なんで、こんなことに、なっているんだろう?

ため息が漏れた。

こんなはずではなかった。

こんなはずでは…。



「琉唯ぴょん?」


不意に名前を呼ばれて、僕は驚いた。

ハッと声のしたほうに顔を向けて目を見開くと、ベージュのカーテンの隙間から、綾香とあかりが顔を覗かせていた。


「…大丈夫? どうや? 落ち着いた?」


あかりが関西訛りで微笑んでいた。

優しい笑顔だった。

キレイな、お姉さんだった。


「…うん、もう…落ち着いてる」


「そっか。良かったわー」


綾香と顔を見合わせて笑う。


「ごめん…オレ、急に苦しくなって…」


「ええよ、べつに。人のこと言えへんし…
琉唯ぴょんは、何かを一生懸命言おうとしてたやろ? それが中途になってしまって…辛かったんや。そのうえ、先生に気にしてること指摘されて…仕方ないよ。なあ? 綾香ちゃん」

「そうだよ。美咲ちゃんは正しいけど、グループの大事な話なんだから、あのとき先生に待っててもらっても良かったと思う。流伊くんの話より先生のレッスンのほうが絶対大事ってことはないと思うもん…」

「まあ、美咲ちゃんも…ちょっと動揺したんちゃうかな。あんまり、真剣に言われたから…不安になったんやと思う。ちゃんと向き合って話を聞くために自分を落ち着かせたかったってのもあるような気がする」

「でもさぁ、流伊くんは言いにくい話を、頑張ってさ、話そうとしてたのにさ…」


美咲のことは、あかりの言うとおりのように思えた。真面目で責任感の強い彼女が、僕をないがしろにしたわけではないことは分かっている。とにかくきちんとした形で話を聞きたいと思ったのだろう。ただ先生を待たせた状況では、落ち着いて話などできないと判断したのだ。

だから、綾香には美咲を責めて欲しくなかった。


「いいよ、もう…。オレが話す時を間違えたんだ。悪かったよ。改めて話すよ」


僕は2人に言った。


だが、だからといって、僕の折れた心がたちまち立ち直るわけではないが。


僕は寝返りをうって、彼女たちに背を向けた。







その翌日、日曜日の午後。
僕らは手をつないで、公園を歩いていた。

僕はグレーの服装で、彼女はネイビーの服装で、会話もなく地味に紅葉の残る木陰の道を、僕はキャップ帽を、彼女はハット帽を目深に被って静かに歩いた。


「サッキー」


小さな声で、呼びかけられる。


「なに? 綾…」


僕もかすかな声でうなずく。


「“ミーナ” だよ」


「そうか…ミーナ、なに?」


「…ありがとう」


「なにが?」


「デート」


「ああ…」


照れ隠しで僕が目を逸らすと、彼女は立ち止まる。後ろに引っ張られるような感じで、僕も立ち止まり、首だけ振り返ると、帽子のつばで陰になっている目が僕を真っ直ぐに見て、キラリと光った。


「好き」


やはり、真っ直ぐに言われる。


「ああ…オレも」


僕は、手を強く握る。


冬の公園は寒かった。
なんとなく身を寄せ合うのに適した場面だった。
辺りには人影も少ない。


「…いつまで。いられるの?」


僕らは再び歩き出していた。

僕は前を向いたまま答えた。


「明日、言うよ」


「ま、そうだよね…」



彼女は、ちょっとだけうつむいた。


「やっぱり、みんな一緒じゃないとね」


「うん」


梅の蕾が赤くなってきていた。まだ固そうだったが、2月には開いているのだろう。



「流伊くん…」

「…サッキーだろ」


彼女はぺろりと舌を出した。
互いの苗字をもじって呼ぶことにしようと提案したのは、彼女のほうだった。こんなときのために、芸名とかぶらないような2人だけの呼び方を作ったのだ。

榊原の「さかき」をあだ名風に、サッキー。
神永の「か・みな・が」の真ん中を取って、ミーナ。

手紙を交わした僕らは、付き合うことにした。

彼女はあかりのことや公になることを心配して、少し尻込みしていたのだが、僕は出来ることなら付き合いたかった。
うずうずする気持ちを抑えられなかった。
だから「付き合おう」と言った。
彼女は、やはり少しためらったが、しばらくして切実な目で「私も付き合いたい」と言った。


僕は、うれしかった。

「サッキー…」


「なに、ミーナ」


「えへへ…なんでもないよー!」


お調子者が、のろけて笑ってやがる。


「…変なやつ!」


僕はわざと吐き出すように言ってみせ、肩をすくめた。


都内のだだっ広い緑地公園。
ビルに囲まれた中で、日本庭園や西洋式バラ園、中華風庭園など色々と楽しめる公園だった。春になれば、桜のお花見もできるし、5月にはツツジや菖蒲も観賞できるという。

そして、この近くには、よくお世話になっている『スタジオ丸太』もあった。


「ねえ…ちょっと、サッキー」

「なんだよ」


「あの子…“琉唯ぴょん” に似てない?」


彼女の指差した先に、目を凝らす。


「あ…」


確かに似ている、ような気がする。

一見、少年のようにも見える格好だったが、体つきは少女だった。
もっと女の子らしい服装であれば、もっと『月城琉唯』に見えるだろう、と思うほどかわいい。


…あ、これって、自惚れか?

…いや、でも僕だって頑張って『月城琉唯』になっているのだ。このくらいのこと思っても、バチは当たらないはずだ。


それに、もしかしてだが、前に、高柳が僕と見間違えた…って言ってたのも、彼女だったのかもしれない。


ともあれ、それが、僕が初めて見た、



永月結衣(えいげつ ゆい)、の姿だった。






(3,999字)



☆第8話 高柳くんの目撃情報のある回です☆





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