1番目アタール、アタール・プリジオス(10)真実の姿
*
聖剣が、砕け散った?
呆然とする、『時空』の聖剣士と少年。
銀色の粉塵がキラキラと狭い室内を流動しながら舞う。
「『時空』が…」
聖剣の主が、思わず声をこぼす。
なぜ自ら砕けたのか?
まるで自死だ、と彼女は思った。
「ガロさん…」
あまりのことに、アリエルもまた言葉を無くしていた。
「…大丈夫です」
何が大丈夫なのだろう。
自分でも分からぬまま、彼女は立ち上がって『時空』の破片たちが未だ浮遊する中を進み、飛散した位置の真下まで行った。
「不思議ですね…なかなか床に落ちない、なぜでしょうか」
聖剣の破片は、浮かんでいた。
砂塵のような欠片ですら、1粒も床を汚していないのだ。
「…なにか、起きるの?」
アリエルも戸惑っていると、
…シャ、シャ、シャイーン、イーンンン…。
「ん?」
たくさんの銀貨が擦れ合うような音。
長い余韻を引いて、粉塵と化した聖剣の欠片たちが渦を巻いて集まり出す。
飛散した位置に、虹の円光を末尾に添えた白炎の舌をちろちろと吐きながら何かを構築していっている。
彼女も彼も、聖剣が「剣」に戻ろうとしているのだと思った。
…シャ、シャ、シャイーン、イーンンン…。
白炎が大きく1度、ぼおっと広がり、
…シャ、シャ、シャイーン、イーンンン…。
虹色が、ぶわっと閃く。
…シャ、シャ、シャイーン、イーンンン…。
そして、静かになり、浮いたまま…
その姿を、堂々と、顕現させた。
「これは…『時空』?」
「……懐中時計、に見えるけど」
「ええ…まさに」
2人の義姉弟は、顔を見合わせる。
「一体、どういうことなのでしょうか?」
僧侶の姉が、恐る恐るその『懐中時計』を手に取る。まだ熱い。
銀色の美しい懐中時計。
蔦の葉と蔓が繊細に彫り込まれ、裏側には、この国では「時の石」とも呼ばれている黄褐色の琥珀石が上下左右と真ん中の5箇所に嵌められている。真ん中の石が周りの石より一回り大きく、その石…正確には樹脂の塊であるが…は1匹の小さな羽虫を中に取り込んでいた。
「お師匠さまに、お見せしましょう。何かご存知かもしれません」
彼女は縋るような面持ちで言った。
アタール・プリジオスは『水晶玉』の姿で、部屋の机の上に静かに佇んでいた。
懐中時計の姿と化した『時空』を目の前に置かれ、それでもまだ少しジッとしていたが、しばらくして耐えかねたように、台の上で小刻みに震え出した。
「…『幽体』になるのかな?」
アリエルが言うと、ガロは「そうですね、なりますね」と無表情に言う。
『水晶玉』は彼らの言葉どおり、ビカーッと光り始め、一連の輝きを放ち終えると、天才占星天文学者アタール・プリジオスのもうひとつの姿、人間として生きていた頃の形をした『幽体』の姿に変わり、2人の弟子の前に現れた。
「だいぶ慣れたけど、その行程って省略できないの?」
弟子の少年の問いに、『幽体』のアタールはわざとらしい咳払いをして頷いた。
「…できない。だから、頻繁にはやらないのだ」
「そうなんだね」
弟の微かな苦笑の後で、姉は早速切り出す。
「お師匠さま、ご相談があります。この懐中時計なのですが、実は『時空』が変化して成ったものなのです」
「ほおぉ、『時空』が?」
聖剣の所持者たる彼女は、事の経緯を詳しく述べ、この事象について師に見解を問うた。
「なぜ砕け散り、懐中時計になってしまったのでしょうか…」
アタールは片手で自分の顎をつまみ、やや首を傾ける。
「…考え得るのは、『時空』が“真実の姿”を曝け出させられた…ということだ」
「真実の姿?」
「そうだ。元々『時空』は聖剣ではなく、実は懐中時計なのだろう。聖剣の形こそ、仮の姿だと考えられる」
「もしや、未知数とされた『時空を操る』を為すのがこれなのでしょうか」
「可能性は高い」
197番目の弟子であった美しい僧侶を、アタールは見つめる。
ごくりと唾を飲み込み、ガロは続ける。
「では…なぜ、今まさに“真実の姿”をここに曝け出したのだと思われますか? もう剣には戻らないのでしょうか…」
聖剣士は危惧する。
「恐らく条件が満たされたゆえに“真実の姿”を現したのだ。用が済めば、また剣の姿に戻るだろう」
当然の理屈だとばかりに師は答え、顔の向きを変えた。
「アリエルよ」
「…なに?」
「懐中時計を持ってみよ」
「え…だって、それはガロさんのでしょ?」
「いいから持て。持つだけだ。お前にやるのではない」
ガロは、彼のほうに懐中時計を差し出す。
彼はやや躊躇いがちに、それを受け取った。
「なんで持つんだよ…俺が持つことの意味は何なんだよ」
ぶつくさ言いながら、アリエルは掌大のその丸い銀時計を持ち、その文字盤を見た。
「うっわ!」
思わず目を逸らした。
それまで普通に見えていた時計の白い文字盤が突然ぐにゃりと歪み、桶の中を泳ぐ蛇群のように針や数字がひん曲がり動いて見える。見るほどに目がチカチカして、気分が悪くなりそうだ。
「どうかしましたか?」
「ダメ、俺…これ見てられない」
「私にはただの時計にしか見えませんが」
「…そうなの? 中がグニャグニャ動いてて酔いそうなんだけど…」
僧侶は師アタールと顔を見合わせる。
顔を背けて、ガロのほうに手を伸ばし、時計を返そうとするアリエルに天才学者はまた言った。
「お前の生年月日を言え」
「は?」
「いいから言え。時計を見て言え」
「やだよ、気持ち悪いもん」
「言うんだ!」
アリエルは溜息を吐き出して、心底嫌そうに目を細めながら歪む文字盤を見、面倒臭そうに呟いた。
「…神天星暦2934年、10月10日」
刹那。
少年、美女、『幽体』は…
突如空中に発した激しい風の流れに巻き込まれ…
『時空』の文字盤の中に、吸い込まれた。