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僕は君になりたい。 第29話「14歳のハート 仕事始め、僕の歌声に酔えって?」
#29
僕らは、有名なカメラマン柳生至成氏に写真を撮ってもらった後、本日メインの仕事である、レコーディングのスタジオに向かった。
軽い発声練習を合同でやった後、僕らは別々のブースに入り、それぞれのソロをリハーサルした。
これには花岡先生も同行し、美咲、僕、綾香、あかり、の順で稽古をつけてくれた。
なぜこの順番なのかといえば、バラード、ソウル、ロック、ポップス…とだんだん曲調が速くなるからだそうで、花岡先生の今日のコンディションだとそれが良いらしい。
「ちょっと寝不足なんだよ。ごめんね」
と、笑いながら頭をかき、謝っていた。
美咲は15分ほど、綾香、あかりは20分ほどレッスンを受けた。その中で、僕は1番短くて10分もやらなかったと思う。
「よーし、じゃ本番は琉唯くんから行こうか。完璧だったからね!」
「え…そんな、完璧なんかじゃないですって!」
僕が手を横に振って全否定するも、花岡先生は仏の笑顔で鬼の司令を出す。
「いや、完璧だ。皆んなに聴いてもらおう!」
「楽しみー♪」
女子たちが、やんやとはやし立て、ニヤニヤしながら拍手した。
どうにも、逃れられないようだ。
僕はため息を吐き、仕方なく1番にレコーディングする準備に入った。
メンバーたちが見守る中、軽く歌の入りの確認をした後、咳払いをして姿勢を正した。
早めに終わっても2時間以上はかかるだろう。
1番でやって後はゆっくり休もう…。
夜までに全員の分、4曲をやるという強行軍なのだ。早く終わる見込みがある順にやっていくのは道理に適っている。
が。
僕には花岡先生のスパルタとしか思えず、いい声を出せるか不安だった。
…だってさ、言うんだよ?
最初に!
あのセリフを!
綾香と、あかり(美咲もいるけど)の前で!
…に、逃げたい!
逃げ出したい…!
でも、逃げられるわけない!
「大丈夫。君なら、完璧にできる。僕が保証するよ、『月城琉唯』くん」
……あ、そうだった。
僕は今。
『月城琉唯』だった…。
これは、ファンに向けて歌う…「ルイのうた」だ。
…今は『榊原流伊』ではなく『月城琉唯』。
たとえ心は「僕」であっても、歌うのは『月城琉唯』なのだ。
月城琉唯の『満月』だ。
目を、閉じる。
心を静めて、深呼吸する。
聴いてもらいたい。
皆んなに…
ルイのうたを、沁みさせてやりたい!
これは、第一歩だ。
……初めての、僕の歌!
僕は、きっと、この歌を歌うために、歌手になったのだ。
そう思わせてくれる歌なのだ。
もう1度なんてないのだ、そのくらいの気持ちで、1回1回を歌い上げなければならない。
そして、また歌うことができたのならば、更にもう1段階上の自分に会うため、未来の自分に恥ずかしくないよう、思いを込めて歌うのだ。
…「琉唯」と「流伊」の、ルイのうたを!
聴いて。
「…愛、してるよ…」
☆
今日の分のレコーディングは、終わった。
僕の次に歌ったのは、綾香で、あかり、美咲の順番だった。
“若い順”だったようで、夕方6時を過ぎた時点で僕と綾香は帰された。美咲がまだやっていたが、あかりだけが待つことになった。
「流伊くんの歌、すごく良かった…」
事務所に戻る車の中で、後部座席に並んで座った僕に彼女は言った。
「…綾香の歌も、良かったよ」
実際、思っていたよりも良かった。花岡先生の楽曲が彼女の声のトーンに合っていたのだろうが、低い音程も迫力があり、シャウトも上手かった。もっと雑な感じだと思っていたが、やはり1人で歌うとなると、真剣になるのかもしれない。
「私ね、キッズモデルやってた5歳くらいの頃にね…男の人に“イタズラ”されたことがあったの…すごく怖かった…。それから親も警戒してさ、男には近づくなって、親しくなるなって注意された。特に年上の男の人は危ないから、気をつけなさいって、今も言われてる」
「…ふーん。オレは、いいのか? 同級生だから」
「親には、琉唯ぴょんが男の子だなんて言ってない。だって、言ったら反対されて、アイドルになるチャンスがパーだもん…」
「じゃ…オレのこと、ホントは怖いの?」
僕の質問に、綾香は首を横に振った。
「怖くないよ! だって、仲間だもん!」
「…そうか。なら良かった」
僕は、うっすらと笑った。
「私ね、流伊くん! 流伊くんに会って、こんな男の子もいるんだな…って、ちょっと人生観変わったんだよ!」
真剣な眼差しが、僕を刺す。
僕は思わず少し目を逸らして、何かをごまかした。
「はあ? ハハ、なにそれ。こんな“女装が似合う男”もいるんだなってこと?」
僕が冗談めかして笑うと、綾香は更に真っ直ぐに僕の目を見て、語気を強めて言った。
「そんなんじゃない!」
グイッと顔を近づけてくるので、僕はドキドキしてしまった。
「そんなんじゃ、ないよ…。私、感動したんだよ? 流伊くんはすごく頑張ってて、すごくマジメな男の子だって!」
「え?」
確かに僕はデビューする前も頑張ったし、してからも頑張った。
だって、僕は女の子じゃない。女の子以上に頑張らなくちゃ、女の子に見えない。ダンスや歌の訓練だって、女の子に見える必要があったから、そういう振りを真剣に覚えるしかない。
男のアイドルになるなら、もっと派手なアクロバット的なダンスとか、声を張る練習をしただろうが、そもそも僕は成長が遅れているのか、体つきもなよなよして細っこい。まだ「女の子」が出来る範囲だった。
それに「女の子」としてオーディションを受けた以上「女の子」のアイドルになるのが筋というものだ。
そのために努力するのは、当たり前のことだ。
だから、僕は彼女にそう言った。
「そんな頑張るのなんて…当たり前じゃん。お前だって、頑張ったから、アイドルになれたんだよ」
「流伊くん…!」
「え、なに?」
「ありがとう!」
不意に、頬にキスされた。
「私なんか、流伊くんの半分も頑張れてない。もっと頑張んなくちゃね…負けないからね!」
僕は頭がクラクラした。
顔が熱い!
いきなり、何するんだよ…!
何の心構えもできてないところに、いきなりキスって…!
4分の1の、西洋人の血のせいなのか⁈
「流伊〜。のぼせてんのか?」
運転席で誠さんが、ミラー越しにニヤけている。
「ちがっ…」
「違うよ、マネージャーさん。私が流伊くんの『満月』の歌声に、酔っちゃったんだよ!」
よく見れば、綾香の顔も赤かった。
僕は…ウブな男は、そのウルウルした茶色い瞳と頬を赤く染めた顔に、ボーッと目を奪われていた。
こいつ、意外と“小悪魔”ってヤツなのかな…。
自分のチャームポイントを分かってるっていうか、僕みたいな安い奴を落とすくらいの計算はできるっていうか…。
もしかして、能天気な天然少女を…装ってるのか?
「はは、良かったな。流伊」
誠さんが茶化したが、僕は反応できないまま、女子の格好のまま。
心の中の、“男子”の動揺に、しばらく翻弄されていた。
☆
明日から、もう3学期だ。
中学2年も終わりに近づいてきたということだ。
ほぼ3学期の内容ではあるものの『学年末テスト』が、3月初めにある。
そして、その前の2月からは…いよいよあの『柳生至成』氏による『月城琉唯』写真集の撮影が始まるのだ。
いいのか? 本当に…。
大丈夫なのか?
いや、プロなんだし、大丈夫なんだろうけど、写真をじっくり撮られるなんて、顔や身体をなめ回されるみたいでなんか気持ち悪い…。
今日はボイストレーニングの初レッスンだ。
レッスンを終えて、ロッカールームに入ろうとドアノブに手を伸ばしたとき、美咲が後ろから声をかけてきた。
「いや、あんたの歌に刺激されてさー。皆んな、すごく気持ちのこもった良い歌を歌えたよ。綾香もあかりも私もさ、いつも以上の力が発揮できたと思う」
そう言って、トントンと僕の肩を叩いてきた。
美咲の収録が終わったのは、夜の9時過ぎくらいだったらしい。
レコーディングの日、綾香とあかりの歌までは聴いていたが、美咲のときは途中で帰ったので、少ししか聴いていない。それでも声質が1番伸びやかでツヤがあったのは、やはり美咲だと思った。
「いや、やっぱり美咲ちゃんが1番上手かったと思うよ。オレは」
「またァ…! あんたの場合、本心でも嫌味だよ」
「は? どういうこと? 褒めてんだろ」
「教えてあげる。あんたは自覚が薄いけどね、あんたは上手いの! 歌でも踊りでも抜群なのよ! そのあんたが、いくら謙虚に褒めてくれてもね、同世代の同業者には嫌味になっちゃうの!」
「違うだろ」
「なにが?」
「…抜群だからじゃない。オレが、男だからだろ。男なのに、女の声や形がそこそこ上手いからだろ!」
「は? 違うわよ、それこそ誤解。あんたは本当に抜群だよ…だから、私はあんたの才能に嫉妬してんじゃん。勘違いしてんのは、あんたのほう。男だからだなんて1つも思ってない!」
「…うそだ。オレが、そんなに…」
「琉唯! 月城琉唯!」
呼ばれて、僕は下唇を噛む。
「あんたでしょ? 月城琉唯は、あんたでしょ? 自覚しなよ。今や蝶々プロを受けに来るのは、あんたに憧れてくる子たちだよ?
皆んな、月城琉唯みたくなりたくて来るんだ。
あんたはもうそういう存在なんだよ。
年が下だとか、まして男だとかさ、私たちはもう思ってない。同等なんだよ!
そういう中で、あんたは抜群に上手いって…私に言わせてるんだよ!
私にも嫌味の1つくらい言わせろっての」
「…“本心でも嫌味”って、嫌味だったの?」
「そうだよ、ちょっとしたね」
「へぇ…」
僕は、ふと今なんじゃないかって思った。
僕のリミットは、あと8ヶ月を切ってる。それを言う好機は今なんじゃないかって…。
でも、今ここには美咲しかいない。
ほかの2人は西山先生に補習を志願して、まだレッスンを受けていた。美咲の話では、それも僕に刺激されたかららしい。
2人が戻ってきたら、言おうか…。
「美咲! 琉唯!」
そのとき、西山先生が血相を変えて部屋に入ってきた。
「あかりが、倒れた!」
「えっ⁈」
美咲も、僕も、…声を失った。