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秋の味。

「空が高い」という表現が不思議だと思った小学生の私。空は既に高い。いや、そもそも空に高さがあるといのが変だ。

だが、高い。秋の空は青く澄み渡り、本当にいつもより高く、吸い込まれるようだ。自分の背までが伸びている気がする。9月、運動会の練習の時に見上げた空は、たしかに高かったのだ。

10月。今でも澄み渡る空を見ながら、胸に緊張のかけらを感じることがある。絶好の運動会日和の快晴というのは、舞台がしっかり整えられた分、そこで演舞したり徒競走に出る子供の私にはプレッシャーだったのだろうか。雨の順延を願っていたのかもしれない。秋晴れには、そんな不安がつきまとう。

11月。私は文化祭が大好きであった。高学年になると、教室や校庭でクラスごとにアトラクションを用意する。それを低学年の子供たちが体験するという仕組みだった。当時はビートたけしプロデュースのバラエティの宝庫だったから、「風雲たけし城」「たけしのスポーツ大賞」を真似して、カール君との競争や、悪魔の館を模倣した巨大迷路なんかがあった。人間ボーリングもあったかな。ああいうのが楽しかった。

お客さんをもてなす、というのが楽しかったし、準備期間に遅くまでみんなが残って作業をしている雰囲気、一体感、非日常感がたまらなかった。その場で嬉しくなってジャンプしちゃうのが小学生。そのまま誰かとじゃれ合って遊んでいたように思う。

高校生にもなって初めて買ったPコート。ダッフルコートのブームが終わってPコートが流行してたように思う。オザケンが「いちょう並木のセレナーデ」を歌っていた。寒い冬にダッフルコート着た女の子と原宿あたり風を切って歩くことに憧れた。初めてビームスのセーターを買ったのも高校2年生の秋だった。秋という季節に、ファッショナブルな楽しさが加わったのが思春期だ。大学生、社会人になると旅行や野外フェスへと楽しみが広がった。そこで「美味しい秋」を知ることになる。秋とは、その季節そのものが主役というわけではない。でも、子供のときから青春時代。そこで楽しむことがいっぱいあった。いい季節だ。


あれから35年。「秋味」「月見バーガー」なんていう資本主義がつくった秋の欠片をもって、新しい季節の到来を知ることになるとは。。だがそれは、暦の上での秋であり、商業的なプロモーションとしての秋だ。肌感覚の秋は、まだ到来していない。こんなに夏が長引いて、まさか「秋」そのものが変わってしまうなんて幼い時分には想像できなかった。まだ洋服も夏モノのままで過ごせるしこれはこれでラクだ。なんて思っちゃっている社会人諸君、よくないですぞ。そういえば、ちいさい秋みいつけた~♪ なんて歌もあった。これからは目を凝らして、せっかく始まろうとしている秋を見逃さないようにしなくては。

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