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それでもフジが好き。

気持ちが悪い会見でした。ネット社会を映像化したら、あのような空間になるんですかね。無法地帯の、偽物のジャーナリズムでした。とりあえず、あの会見の論点を3つに絞ったとすると、下記の通りになると思います。ぎゅっとやれば10時間の会見は30分に短縮できたと思います。

①エンタメ業界の接待の在り方について
どんな企業にもお客様をおもてなしする接待は存在します。その場合、相手の好きな料理を出すお店を予約し、気が合うスタッフを集めて楽しい飲み会を開催することは当たり前です。しかしながらエンタメ業界は、見られる立場として自分の容姿やスタイルに磨きをかけ、さらに受け答えに機転が利く綺麗な女性たちがたくさんいるわけですから、「過剰なおもてなし」を誘発しがちですよね。また演者側も自分のキャリアアップのために、自分のお客様や上司である立場の人に自分を売り込む必要があるわけですから、そこで需要と供給がかみ合ってしまうわけです。

つまり、そのような業界であるからこそ、今後は厳しいコードをもって臨むべきということを示すべきでした。今まではそのような構図を逆に利用してしまうような企業風土があったとしたら、今後は逆にフジテレビが率先して、夢を持ってエンタメ業界に入ってきた若い人たちが、健全に、自分に磨きをかけてすばらしい番組をつくれる環境づくりをしていくしかありません。「過去に性接待があったかどうかを糾弾する」ことも否定はしませんが、そんな魔女狩りみたいなことに対して欺瞞に満ちた正義を振りかざすよりも、冷静に状況をとらえて反省を促すようなメディアの姿勢があってもよかったと思いました。

②コーポレート・ガバナンスについて
「ガバナンス」という言葉を改めて調べると、統治機能を自分たちで律する仕組みといえそうです。つまり、支配する側が、自分自身を律するために決めたルールのこと。今回40年以上もひとりの人物に権力が集中したこと、取締役の年齢、任期、男女構成、その振る舞い方というところに、なんらかの「コード」がなければいけなかった。歯止めがかかるブレーキをもっていなかったことが、反省点ですね。ここをまずは、しっかりと反省すべきです。日枝氏が会見にでるでないを糾弾することも重要だとは思いますが、そこが目的化するのではないくて、公共放送に関わる企業の支配者が、自分たちを律するためのルールを持ちえなかったことを反省すべきです。

③秘匿すべき事案の扱い方について
中居正広さんと被害女性の間に何があったかの事実確認をフジテレビに対して行うことは全くもっておかしな話です。筋が違います。そうではなくて、そのような事案があったときに、テレビ局としてどう対応するのかが重要です。確かに有名タレントのスキャンダルとなると世間を騒がしてしまい、被害女性の二次被害(セカンドレイプって言葉はなんだか怖いのであまり使いたくないです)になりかねない。だから慎重に事を運ばなければいけない。しかしながら、その理由を隠れ蓑にして、必要な調査が曖昧だったことは反省すべきです。自社の社員が本当に関与していなかったか、コンプライアンス推進室が事案を担当し、専門的な知見をもって今回の事案の処理を進めるべきでした。世間の注目を集めるという二次被害を恐れるということだけで、必要な調査が曖昧になってしまったのだったとしたら、それは反省すべきです。有名タレントへの忖度ともとられても仕方がありません。①②に関連しますが、そのような世間への波及効果が大きいことを踏まえて、より強固なコンプライアンス推進室を業界に先駆けて設置する心構えをこの会見で示すべきでした。



400人も集まったとかいうメディアの人たちは、少なくとも公共の電波にのせてもよいジャーナリストではありませんでした。記者会見は、裁きの場ではありません。自分の主義主張を感情的に叫ぶ場でもありません。記者会見をした当事者から出てこないような言葉、表現しきれない内容を一般の人に代わって引き出すのが仕事ではないでしょうか。あのように、高齢の方々を10時間もの長時間にわたって罵り、縛り首にするのを若い人が見たら、もう誰も組織のリーダーになりたいと思わないのではないでしょうか。ここぞとばかりに自分の主義主張をカメラの前で振りかざす偽物の正義をみて、これからエンタメを目指す若い子たちは、何を思うでしょうか。

つまり、ネット社会をリアルに映してくれたのがフジテレビの10時間会見でした。ダラダラと炎上しているコメント群をスマホの小さい画面でスワイプして見ていただけではわからなかったのですが、実際の人間を映したらあんなにも気持ちが悪い。それを教えてくれたのがオールドメディアであるテレビだったということが実に皮肉な話。でもこの会見の在り方が、テレビが生きる道のヒントになるかもしれないですね。

正直なところ、ここまでやりきれば、フジテレビという組織は、生まれ変わると思います。そういった意味では、もう十分というか、ある程度、溜飲が下がったのではないでしょうか。それよりも、もっと嫌なものをあの10時間の記者会見で突きつけられてしまいました。私は2時間みるのが限界でした。そのあと布団にもぐりましたが、嫌な気持ちが消えませんでした。今の世の中に漂っている不透明な空気を、生ゴミに変えて投げつけているような画面でした。

敢えていいますが、私は会見をみていて、フジテレビの登壇者のほうを応援する気持ちになっていました。許すとか許さないかではなくて、ただ純粋にその生ごみを浴びせられても、感情的にならず、映像で撮られている緊張感を失わず、ひとつひとつ言葉を選び、顔や態度にも出さず、フジテレビという会社の歴史、社員、株式を背負っている責任をもち、そして報道に携わっているものとしての矜持を突き通しているのだと感じました。その矜持に対して、私個人としては心の中で拍手を送っていたほどでした。

判官贔屓といわれる日本では、どうしてもこういうとき、権力者は痛いしっぺ返しをくらいます。ネットが力をもつ現代では、その大きさは指数関数的に膨らみあがる恐ろしさをもつことになりました。しかしながらテレビという媒体には、歴史があり、ネットにはないリアルな空間演出があり、そして本来ならば暴走しがちな民衆の声を統御するシステムがあったはずです。

私は今回の件を通して、もっとテレビという媒体が、ネット社会を抑え込む強い力として、ガバナンスのきいた、安心したメディアに生まれ変わることを期待します。なぜならテレビが好きだからです。ドリフで大爆笑し、ドラゴンボールに願いを込め、みなさんのおかげで、今これを書いているからです。誰かがやらねばいけないのです。そうすれば、めちゃめちゃイケてるフジテレビになると思います。もっともっとごっつええ感じに・・・って言っているときりがないです。

テレビが好きな人はいっぱいいます。ネットにはない魅力がいっぱいある。公共の電波としてあるべき姿を、ネットが無法であるからこそ、示してほしいです。そしてまた、気軽にリビングに寝そべってリモコンボタンを押して、子供たちと一緒に大爆笑させてほしいです。そんなテレビの未来のきっかけは、フジテレビになりますように。めをさましてください。陰ながら応援しています。

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