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La Cigale et La Fourmi セミとアリ

「セミとアリ」は、ラ・フォンテーヌの詩に、サン=サーンスが音楽をつけた作品です。さっそく聴いてみましょう。(17曲目)



◎ エクトールの解説

歌曲「La Cigale et la Fourmi(セミとアリ)」

カミーユ・サン=サーンスは13歳でパリ音楽院に入学しました。
当時彼はフランス音楽の熱心な擁護者でした。彼の生徒にはガブリエル・フォーレがいました。(サン=サーンスは、ニデルメニエール音楽学校でフォーレを教えています。)
文学に情熱を持ち、ヴィクトル・ユーゴーを崇拝していた彼は、「死の舞踏」「動物の謝肉祭」「オルガン交響曲」など、約 120 曲のメロディー(=フランス語の歌曲)や器楽作品を作曲しました。


◎ ニデルメイエール古典宗教音楽学校

パリのニデルメイエール古典宗教音楽学校は、礼拝堂楽長を養成するための学校でした。ニデルメイエールの死後、ピアノ科教授として赴任したサン=サーンスは、新カリキュラムとして、ショパン、シューマン、リスト、ワーグナーらの音楽を加えています。

アブラアム・ルイ・ニデルメイエールAbraham Louis Niedermeyerスイス(1802-61)は、スイス生まれのフランスの作曲家。作曲家として教会音楽やオペラなどを作曲し、教育者としては教会音楽の理論と実践のための学校である古典と教会音楽(ex.グレゴリオ聖歌、ピアノ、オルガン パレストリーナ、バッハ)を学ぶショロン音楽学校École Choron(1853年)を創設した。ショロン(1771-1834年)は、フランスの音楽学・音楽教育学者だった。後に自分の名を取ったニデルメイエール音楽学校École Niedermeyerと改称した(1880年)。ガブリエル・フォーレやアンドレ・メサジェなどの卓越したフランスの音楽家を育てた。1894年にスコラ・カントルムSchola Cantorumとなる。

フォーレ「ラシーヌによる賛歌」 (coocan.jp)


◎ マドレーヌ寺院


1764 
ルイ15世、聖女マドレーヌに捧げる教会を建設
1789 
フランス革命により建設中断(基礎工事段階)
1805 
ナポレオン1世が、フランス軍を讃える神殿に
1815 
ナポレオン失脚後、ルイ18世がカトリック教会に
1842 
ついに完成
1849 
カヴァイエ=コル方式のパイプオルガンが設置

マドレーヌ寺院の歴代オルガン奏者
1847-1858:ルフェビュール=ヴェリー
1858-1877:サン=サーンス
1877-1896:テオドール・デュボワ
1896-1905:ガブリエル・フォーレ・・・



◎Fable de La Fontaine
(フォンテーヌの寓話)

ラ・フォンテーヌ (1621-1695)

La cigale,ayant chanté 
Tout l'été,
Se trouva fort dépourvue 
Quand la bise fut venue.
Pas un seul petit morceau 
De mouche ou de vermisseau.
Elle alla crier famine 
Chez la Fourmi sa voisine,
La priant de lui prêter 
Quelque grain pour subsister
Jusqu'à la saison nouvelle. 
«Je vous paierai,lui dit-elle,
Avant l'août,foi d'animal,
Intérêt et principal.»
La Fourmi n'est pas prêteuse; 
C'est là son moindre défaut.
«Que faisiez-vous au temps chaud? 
Dit-elle à cette emprunteuse.
-- Nuit et jour à tout venant 
Je chantais,ne vous déplaise.
-- Vous chantiez? j'en suis fort aise. 
Et bien! dansez maintenant.»

蝉は、歌っていた 夏の間じゅう
それで何にもなくなってしまった 
北風が吹いた時には
ほんのひとかけらさえも ハエやウジ虫の
そこで物乞いに出かけた 隣のアリのところに
貸してくれるようにと頼みに 
生き延びるためのいくらかの穀物を
新しい季節が来るまで 
「あなたにお支払いします」セミは言った
八月には 生き物の信用にかけて 
元金に利息をつけて」
だがアリは良い貸し手ではない 
それがそいつの欠点なのだ
「あんさん 暑いとき何をしてまったか?」 アリはこの借り手に言った
「夜も昼も やって来た連中を 
喜ばせようと 歌を歌っておりました」
「歌ってまったんか?そらよろしなあ  
ほな!今 踊ったらよろし」

サン=サーンス La cigale et la fourmi (biglobe.ne.jp)



サン=サーンスの性格
音楽から推測できますか?

ル・ルー(バリトン)が演奏するサン=サーンス歌曲集のブックレットには、このように記載されています。サン=サーンスの性格が、音楽に反映されている様を感じてみましょう。
(組曲「動物の謝肉祭」でも、人間を動物に喩えて音楽化しています。)

重要なのは、この曲が「ラ・フォンテーヌ」の完璧な小曲であり、言葉の簡潔で辛辣な性質に完全に合っているということだ。サン=サーンスの性格の大きな部分を占めていた他人の不幸を喜ぶ気持ちが、ここでは、作曲家の心からまっすぐに出てくる蟻の悪意ある叱責の調子によって見事に表現されている。数多くの素晴らしいディテールがある。忙しく働き者の蟻(サン=サーンス自身、常に慎重で勤勉)をモチーフにした走り回るモチーフ。「飢餓」という言葉の哀れな小さな前置音、蝉の鳴き声に対する自己満足的なカンティレーナ、そして最後の伴奏での「J'ai du bon tabac」の勝利の引用

http://cdn.naxosmusiclibrary.com/sharedfiles/booklets/HYP/booklet-00602458156676.pdf



La Cigaleって、セミ?キリギリス?

「アリとキリギリス」は「セミとアリ」だった?
ラ・フォンテーヌ(1621-1695)は、17世紀フランスの詩人。イソップ寓話をもとにした寓話詩で知られています。

驚いたことに、かのファーブルは、ラ・フォンテーヌが描き出した「セミ」の生態について
「冬にセミが生きているわけがない」とか
「セミが麦を乞うわけがない」
「セミがアリの集めたものを食べるわけがない」
「セミはこんなふうに怠け者ではない」
と指摘はしているものの、ラ・フォンテーヌが 「cigale = 秋の鳴く虫」と誤解していることに気づいてはいないのです。

バルザックやサガンのように、パリなど北フランス出身の作家たちはみな、cigale といえばコオロギやキリギリスのような、秋に鳴く虫たちのことを思い浮かべていたのです。
北フランス、シャンパーニュ地方出身のラ・フォンテーヌもまたしかり。
セミ cigale の語源はラテン語の「cicada」で、意味は「鳴く虫」。
そして、このことばが入ってきた時点で、北フランスにはセミは存在しなかった。でも、ファーブルの住んでいた南フランスにはセミは存在していた。
それで、このような地方によってのちがう解釈が起こったのだそう。

「アリとキリギリス」=「アリとセミ」?? その2 – 学校行かずにフランス語! (kikounette.biz)



フランス人なら誰しもが知る、強かに生きるための知恵

17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌは、皇帝ルイ14世の王太子に「人生の教訓を学んでもらいたい」との思いで、動物たちを主人公にしたこの寓話集を著しました。人生が変わる、ちょっとスパイシーな全26話。



ラ・フォンテーヌ《寓話集》
その扉をあけましょう 



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