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神の計画を受け入れたくない

また自己憐憫に陥っている自分を感じたので自分の考えを見ることに取り組みました
あまりにも強い被害者意識に引っ張られ途中で止めたくなったのですが踏ん張りました 笑
頭の考えを疑問視することをやめてしまうならそこでthe endです
この知覚は「うんざり」だという思いで踏みとどまることができました

私は執着している信念があるのだと思っていたのですが
正体は神への怒りでした
神の救済計画に腹を立て
私(自我)の計画がベストなのにと地団駄を踏んでいたのでした 笑

世界の「私」のストーリー設定は今回のものもそうですが
いつでも外側の世界は私の思い通りにはならず自分は幸せではなかった
他者のせいで私は幸せにはなれないというものです

これまで、幸せを求め続けていたけれども手に入れることができずに奇跡講座までたどり着いたのでこの信念は確かなものになっているのは納得でした

この世界の幸せと真の幸せについて混乱している私がいます

ここで思考停止してしまったので今回はワークブックに助けてもらいながら進めていきました
印を付けてあるところから
まず目についたのが

きわめて重要なことは、あなたが意味のないものを認識して、それを恐れずに受け入れられるようになることである。(レッスン13.3より)

意味のないものはこの世界のストーリーです
自我が作り出した自分像の為のものなので何の意味もありません
でもこれを読んで自分は何か勘違いを起こしていると自覚が起きました


自分が抱く考えはどれも平安か争いか、愛か恐れかのどちらかをもたらすと認識することが必要である(レッスン16.3より)

赦しが必要になることがあるとすれば、その前に、咎めがあったはずである(レッスン46.1より)

私は責めている人がいました
あなたのせいで私はこんなに辛い目にあっていると‥
恐れを選び心の中では神と争いをしていました
この自己憐憫のストーリーについて

どれほど深刻で悲劇的な形をとろうとも、それが愚かさであることは間違いない。(レッスン41.2より)

バシッと言われてしまいました 笑

恐れがあるということは、あなたが自分の強さに頼っていることの確かなしるしである。(レッスン48.3より)

神の計画より自分の計画の方が正しいという自己中心的な考えは強さではなく傲慢さです
傲慢さを主張すれば結果は恐れとして知覚するのは必然ということですね


このゴールを達成するには、攻撃を受容へと入れ替えなければならない。(レッスン72.10より)

世界の「私」のストーリーを拒絶し受け入れられないと戦って苦しんでいましたが、重要なことは「それでいい」と受け入れることだけです
世界は変える必要はなく
変えることも出来ません
心の選択の結果を見ているだけだからです
心の想念の間違いに気づかせてくれる為に世界を使い
私を困らせ苦悩させる役割を兄弟達が引き受けて現れてくれています

この世界の「私」は色々な状況に翻弄されることは決まっています

「私」の視点から脱しない限り恐れや悲しみは付きまといます
兄弟達もその悪役を解かれることはありません
私達を助けることができるのは聖霊と共に見ることができた時だけです

この世界のストーリーは出来れば私に都合よくあって欲しいけれど
私の頭の中の願望は叶っても叶わなくてもどっちでもいいという
力が抜けた見方ができるなら赦しの取り組みも随分と楽になるような気がしました
まぁでもまた感情に翻弄されることは分かっています 笑
これからも地道な訓練をしていくだけです
そのやる気だけはありますから 笑

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