見出し画像

私の人生と「奇跡講座」 準備が整うについて今思うこと

この記事は私が「奇跡講座」に出会う前と後との変化についてです
日記のような感覚で備忘録として残しておきたいと思い書き始めました
凄く個人的な事で誰も興味ないだろうと思い投稿するか迷ったのですが
奇跡講座に書いてある「準備が整う」に興味がある方はもしかしたらその概念を理解する参考になるかもしれないと思い公開したいと思います


私の興味関心事はずっと自分です

自分を大切にすること?
自分を愛すること?
それもそうなんだけどなんかしっくりこない‥

ぴったりの言葉は
喜びを感じること
楽しいと感じること
これの追求をひたすらにしてきました
究極のエゴかもしれません笑

それをやりたくてしてきた自覚は全くありませんでした
どちらかというと
「苦しみ」からどうしたら解放されるか?
という風に考えていました

私は幼少期の頃より自分の言葉や態度を否定されて育ちその影響を大きく受けて大人になっても自己否定することは息を吐くように当たり前で、そうなると当然人生上手くいきませんでした

自分の性格も嫌いだし、離婚しシングルマザーとなり、仕事も辛い、子供もおかしな方向に行っている
「この状況はいったいなんなの?」

人生どん詰まりまで来た時に
こんなことになっているのは自分を否定し嫌っているせいだ
自分を好きになるには人生を楽しむことをすればいいのではないか?
という考えに行き当たりました

そこで初めて自分を楽しませる(幸せを感じれる)ことを探し始めそこにお金を使うことを躊躇せず始めました
大きなお金が必要になった時は子供の学資積立を崩したこともあります
(幸いにも子供に学費がかかる年齢になった頃に元旦那さんの収入が大きく増え積極的に支援してくれたので子供が大学を卒業するまで学費の事で困ることはありませんでした)

同時に心理学やコーチングなど自分の内面の変化のための学びも始めました

自分の楽しいと思える事を片っ端からやって自分の気持ちがどう動いているのかいつも確認していました

しかしこれまで私が過去に楽しみとしてしてきた泊まりがけで旅行や、イベント事の参加、美味しいものを食べに行くなどしても、全く楽しさを感じることは無いことに気がつきました
昔の私は皆んながしてるからそれをしていて、自分は特別なことをしていると思い込んでいただけでした
皆んなが楽しんでいる事に楽しめない自分を知って愕然としました

自分は普通の人達が感じる幸せでは何も感じないのだと分かりました
それから占いやスピリチュアル
ヒーリング、エネルギーワークとかそっち系に探しに行ってみたけれど
それを教えてもらっている場やそこに集まる人達と関わっている時は楽しけれど、日常に戻るなら全く満足していない、いつも不安で不満を抱えている自分を感じていました
一時の楽しみでは私の興味は続きませんでした

この世界のことで自分を楽しませ幸せを得たかったけど何をやっても無理だと分かりました

無理だと自覚したけど
私の不満は何も解決されずこの先どうしたらいいのかも分からず苦しかったです
この頃は何を取り組んでも挫折して投げ出す自分をダメな奴だと思っていました
そして自己否定し過ぎてこの頃かなり鬱の気が強く出ていました

ある日YouTubeを観ていたらノンデュアリティという概念を知ることになり直ぐに非二元のコミュニティに入りました
しかし「この世界は幻想です」「だから安心していい」と人から聞いた知識だけでは私は全く納得いかず、私のこの不満足感を解消出来るのは真理の知識だけでは無理と分かりそのコミュニティも一年で退会しました

そこ頃私の人生の流れを変えた奇跡講座にも出会いました

自我というものが私の感じているどうにも外すことができない苦しみの根源なんだと理解できました
その自我をなんとか出来るのが「赦し」なのだと目が覚めるような感覚と心がワクワクする期待の躍動感を感じました

そして学習グループに入り学び
赦しに取り組み始めました
「奇跡講座」が人生最後の学びなのだとハッキリ自覚していました
もうこれ以外は何も必要を感じず取り組んでいました
仕事はしていましたがコースに出会い引きこもり生活になりましたが全然苦ではなく
むしろもう何処にも行かなくていい安堵感がありました

その頃丁度、娘も家を出て私は気楽な一人暮らしになり家事は片手間程度にしてコースの学びに集中出来る環境が整っていました

でもテキストは難しく読み進めるのに苦戦していたし、眠くなるし、すぐに気晴らしに携帯をいじってしまうし
恐れを見る訓練も抵抗が強くやりたくなかったし、全くスムーズに学べていなかったです
今は何故それが起きていたか理解できます
自我から取り組んでいたので意欲というものが湧き出てこなかったのです
自我は真理を自覚することなど望んでいません

コースを学び赦しができるなら
悟りを得て真の幸せを手に入れると教えてもらっていました
私は未来の幸せを望むというよりも今の自分(自我)をなんとかしたいという思いが強かったように思います

私はある日
仕事中に突然真の自分に繋がりました
ほとんどの方が意味不明だと思います
コースでいう正しい心に意識が繋がったのです
この世界には無い「慈愛」がある次元です
その次元が意識に繋がっているからこそ赦しが機能するのだとすぐ理解することができました

「奇跡講座」のテキストはこの世界のものです
なので誰でも学ぶことは可能です
しかし赦しはこの世界ではない所で働くので意識が赦しが機能する慈愛の次元に繋がっていないければ機能することはできないのが真実です

これまでの学びで正しい心へは赦しを通して繋がるのだと思っていましたがどうやら違うようです

なぜこれが私の意識に起きたのか当時はとても不思議でした

今言えることは
私がコースの学習者だからそこに繋がった訳ではありません
私が赦しを訓練していたから繋がった訳でもありません
私はまだコースを学び初めて二年ほどしか経っておらずワークブックレッスンは途中で挫折し一巡もしていない状態でした

では何故正しい心に繋がる事ができたのか?

それは自我を何とかしたい
どうしても赦しができるようになりたいという欲が誰よりも強かったせいです

私は頑張っていました
奇跡講座を学ぶことで得られるものがあるはずという自我からの獲得欲求を持ち続けていましたが
赦しを正しく理解してそうな
その知識を教えてくれそうな人を外側にいつも探していました
自分なりに取り組んでいたけれども自分のしている赦しは違うと自覚していました

大抵の人達はそれなりの期間学び続けると自分は赦しが出来ている、コースの言っていることが理解できているように感じるのだと周りを見ると思います

私はコースの学習者になる前から自分の心と向き合う期間がとても長く
自覚はありませんでしたが自分の本心を聞くことに長けていたのだと思います
そこに誤魔化しが効かなかったのです

尊敬する指導者の方が赦しの体験に導いてくれても
「今愛に触れている体験をしている」と言われても
私にはそうは思えない素直な気持ちを自分で認めていたのです
これはイエスが求めている正直さです

「今の私は赦しは出来ていない」と分かっているので、そんな自分を何とかしたくて自分の壁を突破する何かがあると信じて探し続けました

正しい心の自分に繋がった要因として
自我由来の獲得欲求を持ちながらも
真の自分を何とかしたい(助けたい)という自我に由来しない欲求がとてつもなく強かったということだったのだと思います

しかしある日
赦しを出来るようになりたい欲を完全に手放し白旗を上げる時がきました
私は悟ったのです
「今の私には赦しはできない諦めよう」
こうも思いました
「今世はまだその時ではないんだ、いずれ誰もが必ず真から赦しに取り組みたいという態度になる事は決まっているのだからその時を待とう」
「今はそれでいい」‥‥
もう必死にならずコースは趣味程度に学んでいこうと決めました
ずっと握りしめていた「出来るようになりたい!」を諦め
緊張感から解放されたのです

強い執着を完全に手放し
納得して赦しができない自分を受け入れました

そして次の日に私の内側に変化が起こり真の自分への繋がりを与えられました
その時の感覚は
「自分は本当の自分について何も分かっていなかった、散々無視をし酷い扱いをしてきた」
という思いがもの凄い衝撃として体感されました
膝から崩れ落ちそうな感覚と申し訳なさで涙が勝手に溢れてきました
自分自身に「本当にごめんなさい」と心から謝りました

そして真の赦しをする準備がその時に整ったのです

悟りや解脱、赦しをしたいという強い欲を持った状態では
悟りや解脱や赦しが出来る態度を得ることは出来ないのがどうやら世界という幻想内の仕組みのようです
これは宇宙の法則でありメカニズムなのだと思います
そしてその体験は定められた時間に開示されるとコースは教えてくれています

本当の自分に繋がり赦しに取り組めるようになった今
私はなぜ奇跡講座を学んでいるのだろうと思いました

奇跡講座を学習していても楽しいとは思えていないと感じていました
自我から学んでいた時と同じ抵抗を感じていました

素直に自分に尋ねてみました

これがやりたいことなの?
これから奇跡講座とどう関わっていきたい?
今は何がやりたいの?

次の日には答えがやってきました
それが「自分を楽しませること」
という回答だったのです
私は凄く納得できました

やはり関心は心という本当の自分について理解することです

私がしたいことは本当の自分に繋がりコミュニケーションを取ることです
「赦し」を通して気づきや洞察を得ることです
そうする事で外側の「私」の在り方が変化していくのが分かります

楽しみたい
笑いたい
心が暖かくなり緩むことを感じたい
心から湧き上がる喜びにしかにしか興味がないのです
それが目の前の人と共有することが出来るとその場から喜びが感じられます
これは何が起きているかというと

「自分の利害を他者の利害から離れたものとは見なさいという意図的な選択をした」という
教師のためのマニュアルに書かれている事であり

テキストの第一章Ⅲの
「あなたは両者を知覚する通りに両者に対して行うことになる」
という文言の通りのことが起きているということであり

レッスン158.11
「時間は一つの贈り物をもたらしてくれる。その贈り物の中には、真の智識が正確に反映されているので、目には見えないその聖性が形にも共有されている。」
という体験が起きているということが認識できるのです

それは
レッスン108.6
「二元性を見ている視覚にまで普遍的に適応することが可能になる。」
「それが本当であると見て取れる」
と書いてあります
本当にその通りです

真の自分から与えられる感覚やこの世界からではない視点
それを受け取れるその現象にとても興味がありそれによって起きる体験から幸せを感じることができるのです

私は今体験を楽しんでいますが
その先に何かあるのかもしれません
それは贖罪の完成という究極の喜びなのかもしれないけれど
でもそこにはまだ関心はありません
それが喜びになるのか私には分からないことだからです

癒された心は、自分で計画をしなければならないという信念から解放されている。それでも、その心には、最良の結果やそれを達成する手段は何なのか、より大きな計画を解決することになっている問題はどのようにして認識できるのかを、知ることはできない。このことが本当だと認識するまでは、心はどうしても自分の計画の中で肉体を誤用してしまう。しかし、これを真理として受け入れたとき、心は、癒され、肉体を解き放つ(レッスン135.12)

奇跡講座下巻/中央アート出版社


最近まで心側からメッセージとして言葉や音楽が頭の中に流れることや、繋がっているという強い体感覚など感じていました
そんな風に楽しませてもらったけど今はもう感じられません
それらは所詮外側の世界で与えられ楽しむことでした

それが無くなった時不安でした
繋がりが消えてしまうのかもと
見捨てられるような感覚に怯えていました
でもその恐れは心の自分を信用していないからそのような考えが湧くのだと分かりました

ある投影を見ることで
私にはそれはもう必要がないタイミングが来たのだということだと理解できました

レッスン70
「私の救済は私の中から訪れる」が腹落ちしたからです

今は与えられるのを待つのではなく自分に問います

それができる為には
奇跡講座から学ぶ必要があります
自我を知り尽くすことは真の自分とのコミュニケーションを取るための知識だからです
私はまだまだ自我意識から立ち現れるたくさんの投影を癒す必要を感じています

楽しむが私の目的です
学びは頑張らないといけないことだと思っています
だから奇跡講座の学習にはあまり身が入らなかった訳です笑

先日、真の赦しを実践している方とワークブックに書いてある文言に二人で大笑いしました

その日から
ワークブックの読み方が変わりました
楽しいや、笑いを目的として読み始めたら凄く集中して読めたんです笑
内容がちゃんと入ってくる感覚もあるし、自分を楽しませるためなら学びも抵抗がない状態(意欲的)になるようです
最近では気づきや洞察がもたらされた時それについてコースには何と書かれているのか辞書のように使う機会が増えました
私にはまだ必要なバイブルです

過去してきたことの中に
納得して継続できる体験がなく
この世界にがっかりし続けた結果
コースに出会い今の自分に行き着きました
今自分が人生を使い楽しんでいる状態にあるのです
自分に繋がってもそこには気がついていませんでした
自分に問うことで今なぜコースの学習や非二元について理解をしようと取り組んでいるのか明確に自覚されました

ずっと探し求めていたものは「赦し」に関連することでした
心との繋がりを得て自我を自我意識から離れて眺めること
そしてそれを共有できる人との繋がり
そして赦しを通して外側の人達との関係に真摯に嘘誤魔化し無く向き合うこと
世界が変わったと感じること(変えようと意図していなくても変わったことが感じられる時があります)

幸せな知覚として感じられなくても私の在り方が「裁きの神などいない」と一貫した在り方でいられたなら私は満足です
これはそう考えながら接しているわけではなく
その心の状態が私を通して表現されているということです

こんな超マニアックなことでしか楽しめない私は異常だなぁと自覚してます 笑
でも真から求めるものを諦めない頑固さが赦しを選択する者には生まれながらにあるのだと思います

赦しに取り組み自我意識がどんどん緩まることでことでこの先私の在り方やしたいことの変化があるかもしれません
それもとても楽しみなことです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?