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自分の正直な声を受け入れてあげる 準備が整うについて

赦しが機能するまでには条件というか、あるべき態度が必要になります
コースにはこの辺は具体的には記述がありませんので賛否両論だと思います

人によっては
これは全ての人に開かれた道であって特定の人だけが赦しができるなんて
そんな考えは除外だし排他的だと
自我思考から私が語っているように感じるかもしれません

もちろんこの道は全ての人の為のものです
準備が整えば
いずれ誰もが赦しを選択する時が来ることはコースに書かれてあります

準備が整う条件として
いくつかあるのですが
その中でも私の経験からとても大切な条件の一つだと思うことに
自分の声をちゃんと聞いてあげるということがあります

例えそれが世間一般的な考え方とは違っていても受け入れてあげること
その声を頼りに自分の行動を選択することが大切です

私達は生まれた時から自分ではない他の人を頼りに生きてきました

頼るか頼られるか
教えるか教えられるか
こういった二極のどちらかに自分を当てはめる思考から解放してあげましょう

親や先生、世間の言っていること
教えてくれていることは全て正しいでしょうか?
そう考えるなら「間違っていることもある」とハッキリ言えますね

自分が権威としている存在に
あまりにも自分の考えを委ねてしまっているように感じます

自分の専門分野じゃないから
その道の達人ならそのことについて正しいことしか言わないだろうと信じているなら自分の内側の声を聞こうとしていません

自我の頭では確かに何も分かっていません
でも私達の心の奥深くには全てを知っている自分がいます
そこから発せられる声を聞こうとする態度があれば必ず教えてくれます

その声の教え方は
「なんか違うような感覚がする」
という違和感程度のことです

その違和感は昨日の記事でも書きましたが普遍的な愛からのメッセージです
導きたい方向があるということです

目の前の権威者が、その感覚は間違っていると面と向かって指摘してきても自分の内側の声(感覚)を信じてください

そして自分の感覚を頼りに自分の知りたいことを知っている人が他にいるかもしれないと探してください
私達は行動することでしか行きたいところへは行けないのです

違和感など感じず目の前の人への信頼があるならそこで安心して自分を委ねればよいのです
違和感(メッセージ)が起これば今までと違うことをやってみる
そんな程度のことです

違和感があるのに
その声を無視することは今のままで何も変わらなくてオッケーと自分をそこから動けなくしている選択を自らしていることです

そこには愛に対する不誠実さがあります
(もちろんその選択すら自由で咎められるものではありません)

私達は赦しにおいても正直になることを求められています
赦しができるようになる前にその態度を養っておく必要があるということなのだと思います

親や先生や世間の一般的な多数の声に異議を唱えることは怖いことです
実際に痛い目にあった経験から自分を無意識に守っていることもあるかもしれませんね

赦しにおいて真剣な思いがあり
私の今世はこれをやることになっているのだと内側に強い決意を感じているのなら
今の学びの状況の中で違和感を感じてる部分に対して自分はどうしたいのか聞いてみてあげてください

あなたの本気度を自分に問うてみてください

あなたの魂の目的を果たす為に
準備を整えたいと本気で待っている人がいます
探したいと思い行動すれば必ず辿り着きます

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