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【支離滅裂シリーズ①】生きにくいですよね…

支離滅裂シリーズ①

思ったことをつらつらと書いていく。
なにせ、パソコンで打てるようになったから!(歓喜)

恋人から連絡が来なくたって、好きな人から連絡が来なくたって、
みんな私をかまってくれなくなって…いいもの!

「睡眠薬を飲んだら、部屋を暗くしてすぐ寝てくださいね♪」
という、精神科の女医の忠告を、今、まさに、無視しています。

やりたくないことはやりたくない!

そうすると、「本当に困っていること」が明確になってきました。

お金がない。
傷病手当金では、生活費を払い続けられない。
あと1年くらいは休職する権利がある。
だから、まずは心身の状態をなんとかしようと思っていた。
(4月の給料を見て驚愕したまでの話)

「社会って、こんなに病人に厳しいの…?」と思っているみなさん、
例外なく、害を被っている人間がまた一人増えました。
これからよろしくお願いします。

ざっと、これまでの人生を振り返ってみたりして、生きてる感を出していきます。
(アンドロイドではありません)

幼少期
めちゃくちゃ活発な女の子。チャカチャカしていた。(挙動が)

学童期
相変わらず活発。サッカークラブに入部するくらい。

高学年になると、当時、最高峰とうたわれていた入部困難な「パソコンクラブ」に入ることができた。

中学生
思春期真っただ中。好きな人をつくっては、友だちとワーキャー言いながら楽しく過ごしていた。
クラスは、荒れていた男子のおかげで荒れに荒れ、学級崩壊。
こわーい担任になる。当時は、体罰など へでもない時代。
2階か3階から机を落とした男子に、担任が胸ぐらをつかんで罵声を浴びせていたのが、最近のことのよう。

このあたりから、男子が改心し、(今思うと腸が煮えるほどむかつくわ)合唱コンクールで受賞するなどの、快進撃を見せたクラスだった。やはり脅威は脅威らしい。

容姿に自信がないわたしは、日々小さなことで怯えていた。

この頃から、HSP気質というか自己愛というか、そんなようなものが強く浮かんでいたように思う。

例えば、席替え、例えば、制服のタイの結び方、例えば、ジャージの着こなし方、例えば、友人宅に行ったときの第一声や、自他の一挙手一投足…。

内申点を挙げて、推薦で高校に行きたかったので、おとなしくつつましく生きていた。
部長をやってみたり、副委員長をやってみたりした。

怒られないように、クラスメイトからはぶられないように、友だちと楽しく振舞っていられるように、自己を見つめて見つめてそして、ぶっ壊れ始めた。

ある日、男子が書いた「かわいい女子ランキングのメモ」を、友人と見てしまう。

ああ、そうだよな。かわいくないあの子も、愛嬌でランキングしていた。(これは失敬)

単細胞だと思っていた彼らに、見透かされるほど、「他人軸」で生きていたこと、大人になってからわかった。

小学校のとき、こんな友人宅に招かれて遊んだことがある。

美女、金持ち、ホームステイを受け入れるほど国際的な家庭、兄妹が日本トップの大学へ行っているらしい。

そしてその女の子は、頭がよくて愛嬌があって少し抜けていて(ここが計算だったかは知らん)みんなから慕われる、そんな漫画かよ!の人だった。

その女の子と居るときに思った感情を今でも覚えている。
「この子は、『今』を全力で楽しめるタイプだ…」と驚き落胆した。

落胆した理由は、「現在の自分そして変わろうとしなければたぶんこのままの価値観で進んでいく未来が一瞬でイメージできたから」だろう。

絶望的だった。今でも思う。でもいつか、わたしの性格なら知りえたことだ。

そんな今、『今』を意識できている瞬間も増えてきたとは思う。

ただ、大半の人間がそんな風には生きていないことを後に知る。
じゃあ悩まなくてよかったかも…とは少し思った。
でも、わたしの性格だとそうもいかんだろう。

とにかく、負けず嫌い 繊細 自己愛 思いやりがない 打算的
執着する 真面目 臨機応変が苦手 アドリブは調子がいいと褒められる運ゲー
過集中 天邪鬼 人間嫌い 人間観察好き ケチ 他人と住めない
プライドが異常に高い 平等が正義だと疑ってなお信じてしまう

カウンセラーさんに2回ほどお世話になったことがある。

こちとら、一応クレーム処理や心理学のノウハウを学んできた。
その手前、逆に冷静になってしまって、テクニックが出てきたときに笑いそうになるという性格の悪さが出てしまった。

2回目のカウンセリングは、もうその辺は諦めて、何も考えず今回みたいに思っていることをつらつらと話つづけた。
なるべく自己分析を入れながら。

「そこまで俯瞰して見れているのに、このような状態になったということは、相当我慢してきたんですね」

そうらしいですよ…。
と、なぜか第3者目線で感想を述べて終了したのだった。

家庭環境は、こう。

母親…過干渉で神経質でプライドが高くて負けず嫌い「やられたらやりかえせ」という教え。

父親…無関心・打算的なので、指示に従わなければ自分のことは棚に上げて暴挙。

無口な人が、たまに関わってきて怒ったり外に出されたり、車から降りろと言われたり、なんだこいつ…と思っていた。

夜は、酔って機嫌がよければ丁寧に話かけてきて気持ちが悪かった。

母親も、基本は何もしない父親を毛嫌いしていた。「あっちいって・気持ち悪い・機嫌がいいときだけ調子に乗ってこっちこないで・くさい・目の前をうろうろしないで・黙ってて」など。

これを毎日毎日毎日毎日見させられた挙句、「あんたたちがいなかったら、とっくに離婚している」などと言ってうっぷんを晴らしていた。働いて自立してから言え、とも思った。

父親も父親で、若き頃に「俺の金で食っている」的なよくある亭主関白宣言をちょこちょこしていたようなので(その通りだけど、それを言わざるを得ないほどやはり近しい他人と毎日毎日毎日過ごすのは至難の業だと心得た)

支離滅裂になってきたが、ざっとこんな学生時代であった。

友だちと深い関係になることもなかった。
たぶん、そこに魅力を見いだせない性格だったのかもしれない。

雑談などどうでもよくて、その人がどうしてそう思ったのか、もはや、異文化コミュニケーションなので、どうせならめちゃくちゃ深いところまで潜らないと意味のない関係性になった。

これは、大人になった今でもスキルがなくて困っている。

人に入り込んだら、入り込みすぎてしまうから、浅く浅く付き合ってきたんだと思うと、子ども時代の私の方がよほど賢い。

本能的に、自己防衛をしていたわけだ。

だが、今の私はどうだ。
人間とわかり合いたい、深いところまで知りたいという「欲」まみれだ。

境界線の引き方がわからない人間が、人間様に近寄っていくとたいてい無視がはじまる。

今ならラインをスルーされるとか、界隈で話していても話したくないオーラを放たれて終わる。

人間とはどこまで仲良くなれば、私も相手も心地よく気持ちよく過ごしていけるのだろうか。

この年になって、ようやく自分を見つめなおすことになって(しまって)、脳が強制的に「自分を解析しろ」思考に持っていってしまう。

ちがう、今はしっかり休め、の時間なんだ。
でも思った。思考できないときは、思考しない。

寝たきりでこんなパソコンかたかた打ってなんかいられない。

そうか、その余力があるから考えられるうちに考えようとしているのか。

そういえば、生理の話で申し訳ないが、私には1か月のうちに1週間だけすごくすごく元気でそう状態ともいえる日がある。

その日は、生理はじまりからおわり、そこから数日。

アイデアがバンバン浮かんだり、だれかれ構わずアポとって会ったり、衝動的に帰郷して親を驚かせてみたり、一人でもどこまでも行ってしまったり。

そうしてその一週間後には元気がなくなる。

入れたアポ、散財した形跡、できなくなったという落ち込み、ベッドから出られない落ち込み、恋人からの連絡が来なくて暴れたり、もはや別人格である。

そして、両人格に言えるのは、「また反対側の自分に会う」という確定事項だ。

躁状態のときは、例えるなら、ディズニー門のまでわくわくしながら「終わったあとの悲壮感」を考えているようなもの。

鬱状態?のときは、例えるなら、またハイパワーになって、夢の中で浮遊しているかのような万能感とか多幸感を味わう日が来るかも…みたいな。(例えてないな笑)

とにかく、頭の中は、今回の支離滅裂シリーズ文章のように、絶え間なく連想ゲームをしている状態である。

これが、ポジティブかネガティブかの違いで、あとはもう手に負えないくらいの思考が思考とつながって、元の問題や悩みを忘れてしまい、不快感や不安感、孤独感や焦燥感だけが残ることになる。

なるほど、ということは、その不安になるトリガーをどこかにすぐメモしておけばいいのか!
そして不安でつぶれそうになったらメモを見返して対策すればいいのか。

連想ゲームがめちゃくちゃ得意だという〆でいいですかね。

ここまで支離滅裂な文章を読んでいたただき、本当にありがとうございました。

次はいつこのパソコンに向かって文章を打つのでしょう。
明日から、鬱ぽくなる気がしてなりません。

※なぜなら今がかなりハイだから。

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