IRONMAN JAPANみなみ北海道
まえがき
前回のIRONMAN JAPAN北海道から9年が経ち、ついにIRONMAN JAPANレースが再び日本に帰ってきた。私にとって初めてのロングレースだったのは、9年前の最後のIRONMAN JAPAN北海道。当時はトライアスロンを始めて2年目で、何もかもが初めて。右も左もわからないまま、約13時間半をかけてゴールにたどり着いた記憶が今でも鮮明に蘇る。その日は私の誕生日でもあり、忘れられない思い出深いレースとなった。
それから9年…トライアスロンに打ち込み続け、少しずつだが自分のレベルも向上してきた。そんな中で迎えた久しぶりのIRONMANレースが、IRONMAN JAPANみなみ北海道。今回は地元北海道での開催ということで、妻と2人の子供と家族4人で現地入りし、子供たちに父親の頑張る姿を見せるために、この1年間、トレーニングに全力を注いできた。
昨年の佐渡Aタイプでは、不甲斐ない結果に終わったものの、その経験が糧となり、臥薪嘗胆の思いで練習に打ち込んできた。
練習に打ち込めたのも家族の支えがあってこそ。改めて、まずは家族に感謝したい。そして、これから書くレースレポートは、IRONMAN JAPANみなみ北海道における私の備忘録として記録しておきたい。長くなるが、どうかお付き合いください。
準備編
私のロングトライアスロンにおける最大の課題は、いつも最後のランパート。元々はランナーとしてウルトラマラソンにも挑戦してきたので、ランは自信のある種目だったが、トライアスロンを始めてから数年後には、スイムとバイクの実力が上がる一方で、ランのパフォーマンスが思うように伸び悩んでいた。特にIRONMANの最後のランパートでは、ペースが大きく落ち込むことが続いていた。(ランベストは4時間10分程でショボショボ)
今年こそはランパートの強化を目指し、シーズン前から意識的に走り込みを重ねてきた。北海道の冬は外で走るのが難しいが、室内練習を組み合わせながら、雪解けとともに4月から本格的なトレーニングを開始。春先にハーフマラソンやフルマラソンにも久々に出場し、それなりに納得できるタイムで完走することができた。トライアスロンシーズンの初戦は、7月の苫小牧ハスカップトライアスロン(OD)の予定だったが、悪天候で中止となり、8月の北海道トライアスロン(ミドルディスタンス)が今シーズン唯一の調整レースとなった。
北海道トライアスロンの結果は、総合4位。気温30℃の中、バイクは137kmをNP204W、ランは4分45秒ペースで23.3kmを余裕を持って完走できた。
シーズン前に力を入れて取り組んできたランの強化が功を奏し、体の仕上がりも非常に良い状態でIRONMANに臨むことができた。ここまでくればあとは、最終調整をどう行うか。3週間の練習強度を落としつつ、最終調整を進めていくのみの状況。
例年、最後の追い込みや調整時期に、子供たちの風邪をもらって体調を崩してしまうことがあったが、今年は睡眠や休息にも十分気を配り、万全の体調でレースに挑むことができていた(はずだった…)。
しかし…事件は出発前日に突然、起こる!
職場に妻から一通のLINEメッセージが…息子が突然40度を超える発熱。
マジか…
妻が夜勤だったため、仕事を早退し、息子を連れて病院に駆け込む
(しばらく変な咳をしており、マイコプラズマが流行ってるので、肺炎除外のため念の為受診させる)
息子はぐったりしている…これ、明日出発できなくね?
子どもがぐったりしてる中、妻一人残して、IRONMANでれなくね?
家族4人での函館行きが危ぶまれる事態に
幸い、息子はマイコプラズマ陰性。一晩寝て起きると、完全回復。
病み上がりMAXで現地に向かうことが可能に(おかげで、朝はバタバタ)
夜勤明けの妻を病院前でPick upし
そのまま受付会場へ、Go!!!(車で4時間弱)
14時までにアスリートチェックインを済ませる必要があり間に合うか、間に合わないかのギリギリの戦い…(間に合わなければ試合終了)
なんとか、ギリギリで間に合いアスリートチェックイン完了。
私の久しぶりのIRONMANのスタートが確実になった。(はずだった…)
レース前日
Bikeチェックイン、試泳、ギア預けが予定
ここで再び事件が起こる…
息子に引き続き、次は妻が39度台の発熱…
(かなりつらそう)
自身に忍びよる魔の手の恐怖もあったが、明日の10時間を超えるレース中に子ども二人を連れて応援してもらう妻の体調が一番気がかり。とにかく、明日に備えて安静にしてもらう。
結果、妻も1日…いや半日で回復
(どんな、回復力なんだ)
無事にレースを迎えることができた。
レースDay
前日19時50分に布団に入り、2時30分すぎまでぐっすり眠れていい感じ。私は普段から、21時就寝、4時起きがスタンダードなので、大会の時の睡眠環境に苦労したことはあまりない。(早寝早起き、大事ですね)最終の荷物チェクを行い、浴槽に湯をはり軽くひとっ風呂浴びる。朝食は納豆ご飯と味付きの煮卵2個、味噌汁をコンビニで調達しており、レース3時間前に完食(700kcalくらいかな?)。残りは、Maurten drink mix 160 をスタート直前までに飲み、大福を食べる作戦。Maurtenは、去年の佐渡A、今年の北海道トライアスロンでその有用性は実証しており、今回のレースでもカーボローディング、レース中に愛用。ただし、事前のカーボローディングに関して、個人的に学んだ部分があるので、後に記載したいと思う。
https://maurten.jp/products/new-drink-mix-160
Swim part
スイムは1周1.9kmの2周回コース。スタートはローリングスタート方式で、申告タイム順に進んでいく。私の申告タイムは60〜70分。事前の仕上がり的には68分から70分を予定しており、申告タイム通りに泳げればいいなとスタートラインに立った。
スタート直後、岸からしばらくは波が立っており、すぐに泳ぎ出すことができず、数百メートル歩いて進む選手も多かった。しかし、私は少しでも早く泳ぎ出すために、ドルフィン(サーフィン)のように波をくぐり抜けながら前へ進んだ。混雑もなく、自分のペースで泳ぎ出すことができ、コンディションも良好。感覚的には非常に調子が良く、今日のスイムはうまくいく予感がした。
しかし、1周目が終わり、2周目に入ると、予想外のトラブルが発生。コース上のブイが見えづらく、波のうねりもあり、方向感覚が狂ってしまった。前方の集団が違う方向に進んでいるのが見えたが、私もその流れに乗って泳いでしまい、後で確認すると約200〜300mのロスをしていたことが判明した。
さらに、スイム中にはもう一つのハプニングが。
1周目の終わりに差し掛かる頃、突然、前方の選手が立ち上がり、振り返って私の顔をどついてきた!!
同時になんか、ふざけんな!的なことを言っていたような気がするが、波の音で聞こえない。
とりあえず、わけわからず、とっさに「すみません」と誤っていた。笑
どうやら波に飲まれる際に誰かに押されたと勘違いしたか、本当の犯人がいて私と勘違いしたかのどちらかだ。
わたしは無罪です!!
濡れ衣だとわかっていても、初めての経験だったので、少しションボリした。しかし、どんなことがあってもこのようなスポーツマンシップにのっとらない行動は自分はしないようにしよう!と改めて決意した出来事だった。
今回のIRONMANでも、一部レースマナーが悪い人たちはいたので本当にやめてほしいな〜って思います。Bikeで体格のいい外人の後ろにベタづきとかいましたね〜。汗
話は戻り
気を取り直して2周目を終えると、タイムは1時間11分。予定よりやや遅れたが、大きな問題はなく、T1でトイレを済ませBike partへ。
Bike part
バイクはIRONMAN JAPANみなみ北海道の目玉のひとつである高速道路を使用した180kmのコース。事前情報では獲得標高1400mほどだが、下りを利用した上りだから、体感はそこまでないだろうと言われていた。が、実際に走ると予想以上(いや、予想通り?)にきちんと上る印象。横風もそれなりにあり、それなりにタフなコースだったが、全体的にはタイムが出しやすいコースだろう。
それにしても
大会数週間前にディスクホイール禁止の情報が…
決戦ホイール、ディスクしかもってない私は大ピンチ…(Konaにいけるレベルになったら買おうと思ってた)
ホイールのレンタルを探すも…見つからず…
でも、なんとか知り合い伝いにホイール(CADEX65mm)をゲットすることができた!本当にありがとうございます!!
しかし、ホイールを貸してくれる方が現地函館の方でレース前の試走や自分の納得のいく機材でのレースは難しい状況に。
そんな、こんなでレース前から不安要素があるBikeでしたが、この不安要素がかき消されるくらいの出来事がBike Partに待ち構えていた…
バイクは私の得意種目で、今年のFTPも275〜280Wほどまで向上(まだショボショボですが)していたため、NP205W、巡航34〜35 km/hを目標に設定していた。
しかし、スタート直後から異変が!
・パワーが出ない
・心拍数が高い
気温25℃以下のなか、190〜200W程度の出力でも、心拍数が155〜160と通常より10以上も高い状態が続いた。
「この不調は何だ?」
心の中で問いかけながらも、レースは止まらない。
原因がわからないまま、70kmを過ぎてもパワーが出ず、体が重く感じられる。体調の異変に気づき、無理をすれば後半に響くと考え、慎重にペースを調整。この判断は後に振り返っても間違っていなかったと思う。数値に踊らされず身体と対話し、ペースを決めることを改めて痛感した。
補給に関しても今回は特に慎重になった。事前にMaurtenのドリンクを中心としたカーボローディングを行っていたが、これが大会2日前からの下痢を引き起こし、電解質バランスが崩れてしまったと後々推測。(Maurtenは、高濃度の糖質を含み、浸透圧性の下痢を引き起こす可能性があると考えている。薬剤師として考えても、妥当な生理反応と思う)レース中もこの影響(電解質異常)を懸念し、通常よりも電解質を意識的に取り始めた。特に塩ジェルを頻繁に摂取し、体調の回復を図った。
実際、私の予想はあながち間違っておらず
・Maurtenのドリンク → 体調変わらず
・ライスピュレ → 体調変わらず
・塩ジェル → ふわっと身体が軽くなる
・アミノサウルスジェル → ふわっと身体が軽くなる
つまり、私の今のコンディション不良は
「糖質不足」ではなく、「電解質不足」であると確信を得た。
140kmを過ぎた頃にはようやく調子が戻り始め、後半はパワーも復活。この時点で心拍も安定(心拍数の異常にも電解質はある程度寄与するし、慢性的な下痢であれば代謝性アシドーシスを補うために、呼吸数が増加する生理反応があることからも、頻脈はある程度、説明がついた)し、NP200W前後で進めるようになった。後半の40kmは思い通りにレースを展開でき、徐々にペースを取り戻していった。
最終的には、バイクパートを5時間25分で終えた。目標の5時間15分には届かなかったが、前半の不調を乗り越え、後半に巻き返すことができたのは大きな成果。後日、ガーミンのデータを振り返るとNP180W、平均心拍150で、不甲斐ない結果だったが、当日の体調に対しては妥当なパフォーマンスだったとことが窺える。
しかし、このバイクパートでの苦難は、今後のレース運びにおける貴重な教訓となった。次回はローディング時点の電解質バランスを一層意識し、同じミスを繰り返さないようにしたい。
Run part
ランパートは1周14kmのコースを3周回。バイクを終えた時点で左太腿前部を攣っていた(普段、めったに脚を攣らないので、やはり、電解質バランスがくるっていたことが、このことからも窺えた)が、まだ動ける感覚は残っていた。
T2で息子とハイタッチし、いざ、フルマラソン!!
最初の1kmは4分40秒と速めだったが、すぐにペースを落とし、5分〜5分10秒のペースで進めた。今回の目標は3時間40分。これを守れば、自分の想定通りのゴールタイムに近づけるはず。
しかし、1周目が終わる頃にトイレに行きたくなり、エイドステーションでトイレに立ち寄ることに。約4分のロスタイム。T2の時点で便意をやや催していたが、小便した際に出しきらなかったことを後悔。トイレを済ませて再スタートすると、体が軽く足はまだ動いており、その後20km過ぎまでは順調にペースを保つことができた。
24kmあたりなると、体力的に徐々に厳しくなってきた。ここでチームメイトの佐藤一選手(Age 50-54)が追いついてきて、「ここからが粘りどころ」と声をかけてくれた。この言葉が大きな力となり、はじめさんとともにペースを維持しながら進んだ。(オジサンつえ〜〜〜)
だが、35km地点で突如として襲い掛かるエネルギー切れの感覚。心拍数はさほど高くないのに、足が動かない。補給不足が原因だと気づくも、もう遅かった。残り5kmが目の前に迫り、時間がゆっくりと流れる中、必死にペースを保ちながら走り続ける。この時点ではじめさんにおいてかれる…。心の中では「ここで諦めるわけにはいかない」と自分に言い聞かせ、視界から、はじめさんが消えない位置を死守した。
最後の力を振り絞り、5分30秒台から5分20秒台にペースを上げる。
残り3キロが死ぬほど長い…
ようやく木古内町の市内に差し掛かり
沿道の声援も増えてきて元気100倍!
そしてついにあの…
IRONMANのフィニッシュラインが見えてくる。
レッドカーペッドに差し掛かる!
フィニッシュラインに妻を見つける。
娘もいる。
あれ?でも息子はいない。
妻と娘に近づきハイタッチ!!
息子はつかれて寝ていた。笑
(僕よりも妻と子供が一番のIRONMAN!)
You are an IRONMAN!!!
9年ぶりにこのアナウンスを聞きながら
無事FINISH!
結果:10時間31分45秒 (M35-39 7th/117, by Gender 39th/1168)
・Swim: 1:11:50
・T1: 3:29
・Bike: 5:25:52
・T2: 4:53
・Run: 3:45:42
ロールダウンセレモニー
レース後のロールダウンセレモニー。今回の男子35-39歳の部では、フランス・ニースで開催される世界選手権のスロットが6つ用意されていた。
私は4番目に呼ばれ、上位のロールダウンなしに無事にスロットを獲得することができた。呼ばれた瞬間、胸に広がる安堵感と達成感。
ようやく、ここまでこれた!
今回は仕事の都合で、ロールダウンしたが、次回は必ず世界に挑戦したい!でもまだまだ、安心してスロットをとれる実力はないので、来年までに実力をつけ、次はサブ10を達成して、世界選手権の権利を再び手にしたい。
そして、単に参加するだけではなく、世界で勝負できるレベルを目指し、1薬剤師、1大学教員、そして2児の父親として、家族とともに次なるステージへの挑戦を続けたい。
いつか
家族でKonaのSunsetを眺める日を夢にみて…
Anything is possible
改めて
今年の挑戦を支えてくれた家族に心から感謝したい。そして、この長文を最後まで読んでくれた皆様、ありがとうございました。
次回の挑戦でまたお会いしましょう。