好事魔多し
好事魔多し(こうじまおおし)
「逆風のバイオリン」
春風が吹き抜ける美術館の庭で、バイオリンのコンクールが開かれていた。天才少女と名高い奏者、山岡由莉は最終審査に進出していた。14歳とは思えないほど成熟した音色で、多くの聴衆を魅了してきた。誰もが優勝を確信していた。
審査の日、由莉はお気に入りのバイオリンケースを手に現れた。ケースを開けると、そこにはいつもの美しいバイオリンが眠っている。しかし、弦が一本切れていた。
「こんな時に……」
母が弦を交換してくれようとしたが、由莉は震える手でそれを制した。「いいの、自分でやる。だって、私の音だもの。」
焦りながら弦を張り直していると、別の弦が緩んだ。そして、ほかの弦も次々と問題を起こす。時間が迫り、心臓の鼓動は速くなる一方だった。
最終的に、予備の弦を使いなんとか修理を終えたが、開始直前までかかってしまった。落ち着きを取り戻す暇もないまま、彼女の演奏の順番が来た。
由莉は震える指でバイオリンを持ち、ステージに上がった。観客席から見えるのは、審査員たちの鋭い目と、期待と緊張が入り混じった空気だった。深呼吸を一つし、弓を引いた。
最初の音が空間に響き渡った瞬間、由莉の中の不安は消え去った。音楽が彼女の全てを支配し、まるで別世界に引き込まれたかのようだった。演奏が終わる頃には、会場は感動に包まれ、割れんばかりの拍手が起こった。
審査結果が発表されると、彼女の名前が優勝者として呼ばれた。由莉は涙を流しながら舞台に上がった。
だが、その夜、彼女のバイオリンがケースごと盗まれてしまった。
後日、友人の勧めで警察に届けたが、見つかる気配はなかった。悲しみを抱えながら、由莉は別のバイオリンで練習を再開したが、やはりあの音色には程遠い。
そんなある日、彼女の演奏会を聴いた老紳士が、舞台裏にやってきた。「君の音楽は、どんな困難をも越えていく。大切なバイオリンは戻らなくとも、君の心の中にある音楽は決して消えない。」
紳士の言葉に勇気をもらい、由莉は再び歩み始めた。失ったものは大きいが、それでも前に進む力を見つけたのだ。
好事魔多し――何か良いことが起これば、それに付随して困難や災いが訪れることもある。しかし、それでも人はそれを乗り越えていくことで、さらに大きな成長を遂げるのかもしれない。
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