多岐亡羊(たきぼうよう)

高橋和也は、大学で哲学を専攻していた。彼は常に「真理」を追求し、そのためにはどんな道を歩むべきかを探し続けていた。日々、図書館に籠り、多くの哲学書を読み漁る。ソクラテス、カント、ニーチェ…数多くの偉人たちの思想に触れれば触れるほど、彼の心は混乱していった。

「一体、どの道が真理へと続いているのだろうか?」

ある日、彼は教授に相談することにした。教授は長い白髪を撫でながら、静かに彼の話を聞いていた。そして、少しの沈黙の後、教授は「多岐亡羊」という言葉を口にした。

「和也君、多岐亡羊という言葉を知っているかね?」

和也は首をかしげた。「いえ、初めて聞きます。」

「多岐亡羊とは、道が多すぎて本当の道を見失うことを意味する。哲学の世界には無数の道が存在するが、その多さゆえに本質を見失うことがあるということだ。」

教授の言葉は、和也の心に重く響いた。彼は今まで、あらゆる哲学の道を探り、その中から「正しい」答えを見つけようと必死だった。しかし、それが逆に自分を迷わせ、真理から遠ざけているのかもしれないと気づかされた。

「では、どうすれば真理にたどり着けるのでしょうか?」和也は焦燥感を隠せずに問いかけた。

教授は優しい笑みを浮かべた。「真理は一つではない。君がどの道を選ぶか、それが君にとっての真理だ。道が多いからといって、必ずしも迷わなければならないわけではないよ。むしろ、その多くの道を経験し、自分自身の答えを見つけることが大切だ。」

その言葉を聞いた和也は、少し心が軽くなった。彼は自分が迷いの中にいたことを認め、その迷いもまた、自分の探求の一部であると受け入れることにした。

それから和也は、これまでと同じように哲学の研究を続けた。しかし、以前とは違い、どの道が「正しい」のかに囚われることなく、各々の思想を自分なりに解釈し、そこから得た学びを日常生活に活かすことを心がけた。

大学を卒業した後、和也は哲学者になるのではなく、人々が抱える悩みや問題に対してアドバイスをするカウンセラーとしての道を選んだ。彼は、多岐亡羊の教えを胸に、クライアント一人ひとりの人生の道筋を一緒に探り、それぞれの真理を見つける手助けをしていた。

和也は、多くの道があるからこそ、自分の歩むべき道を見つけ出すことができた。そして、その道を迷いながらも進んでいく中で、彼はようやく自分なりの真理に辿り着いたのだ。

ことわざから小説を執筆 #田記正規 #読み方

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