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ぽかぽかの賞味期限 ①

 「まちづくりは、料理と一緒なんだよ。」
 手際よく煽られるお米たちを見つめながら、これから出来上がるオムライスは、まちづくりとどんな関係があるのか、見当もつきませんでした。神妙なトーンで「そうなんですね…」と、分かったような、分からないような心持ちで答えたものの、本当に腹落ちして分かったのは、帰る前日のことでした。

”団欒料理人” ってなんだ?

 私は香川県の三豊市仁尾という町でカフェやゲストハウス、塩つくりをしている浪越弘行さんのもとで、個人に行くインターンをさせてもらいました。出会ったきっかけは、投げ銭形式の食堂をされている鬼丸美穂さんが、香川で開いたイベントに手伝いで行ったことです。そこで最初のお客さんとして来てくれたのが、浪越さんです。翌日お礼をしに浪越さんのカフェへ行き、お話をさせていただきました。すると、しきりに口にする「豊かさ」という言葉が、とても丁寧に使われていることに気づきました。私はゼミに入り、外の世界に出るようになってから、新しい人と出会うことが多くなりました。すると、人と触れたとき、心がぽかぽかになるときと、逆に気化熱のようにエネルギーが失われるような感覚になることがありました。両者の違いは何だろうか。浪越さんの話を聞きながら、もしかしたら考えている「豊かさ」に違いがあるかもしれないと思いました。私をぽかぽかにしてくれたのは、少なくとも物的な拡大を目指す豊かさとは、違うベクトルのものでした。

 浪越さんは、料理を起点に人が集う団欒の場を作る団欒料理人です。料理を囲んで、繋がった周りの人と対話をしながら、流れる時間を味わう。そんな体験を創る人です。東京に帰り、布団をかぶっても、胸はぽかぽかしていました。体は疲れているのに心は元気。その記憶は心に湯たんぽを抱いているかのようにじんわりと温かく残りました。今度は、もっと長い時間をかけて、浪越さんの言う「豊かさ」とは何なのかを知りたいと思い、浪越さんのところで働き、お話を聞こうと、「お手伝いさせていただけないでしょうか」とメッセージを送りました。

浪越さんが営む cafe de flots


「浪」に飛び込む

 前回は鬼丸食堂のイベントだったので、心強い鬼丸さんがいましたが、今度は一人です。私は一人小さな小舟に揺られている気持ちになりました。(実際に乗ったのは電車。)最寄り駅に着いたものの、そこからバスの時刻表を見ると60分待ちです。歩こうと決断した途端、持っていたスーツケースが鉛のように重たくなり、自分の生命を守るためのセンサーが「行くな」と言っています。その日は真夏日だったこともあり、大人しく待合室に腰掛けました。すると、「今どこらへん?迎えに行くよ!」と浪越さんからのメッセージです。砂漠でラクダに出会ったような気持ちでした。地域での車のありがたみを改めて感じつつ、無事に会えた私は「2週間お世話になります。よろしくお願いいたします。」と挨拶をしました。

 今回の二大心配事の1つが、三豊での移動手段がないことでした。車を2週間1人で借りると、それはそれは天文学的な数字になります。あらかじめ浪越さんに相談してみると、以前鬼丸食堂で場所を貸してくれた宗一郎豆腐を営む今川宗一郎さんと、カメラマンの藤岡優さんが自転車を貸してくれることになりました。自分が到着する前に、宗一郎さんは空気を入れ、優さんは反射板を治してくれていました。改めて感謝を伝え、そのまま優さんのスタジオでこれまでの3人のお話を聞くことができました。

お世話になった浪越さん、自転車を貸してくれた宗一郎さんと優さん。


右に行って、左に行って。最後にこんにちは。

 カフェ文化が無かった三豊。浪越さんは周囲に猛反対されながら、cafe de flots を始めました。お店も軌道に乗って、借金を返し終わったあと、欲しいものは買えるようになり、奥さんと海辺を散歩する…。理想の暮らしが手に入ったと感じたそうです。ただ、それと同時に、虚しくなった自分がいたそう。今までの「豊かさ」を追い求めて、たどり着いた先は、思っていたものと違った。ちょうどその頃、地域活性化が叫ばれるようになり始めたころでもあり、浪越さんはこれかもしれないと感じ、一般社団法人『誇(ほこり)』という団体を立ち上げ、築100年を超える松賀屋という初代村長の古民家を再生するプロジェクトに取り組みました。それぞれが事業を抱えながらの大変な道のりでしたが、宿泊施設やワークショップをする場所へと変え、多くのニュースで取り上げられました。

 カメラマンの優さんは、その『誇』のメンバーでもありました。映像と音に興味を持ち、三豊市仁尾の写真をSNSにアップすると、そこには「仁尾じゃないみたい」「海外みたい」という感想が寄せられました。それは褒め言葉のように聞こえる言葉ですが、優さんはその言葉は ”仁尾には何もない”という意識から来ていると感じ取りました。そこから、この町を「舐められたくない」(昔やんちゃをしていたころのマインド)と思うようになり、映像の仕事以外にも、まちづくりに関わる活動にも参加するようになりました。
 宗一郎さんは、食料品店スーパー今川のほか、宗一郎豆冨や、宗一郎珈琲、大家族宿辻家など、さまざまなプロジェクトを手掛けます。優さんに「仁尾に魂を売ったブラザー」と呼ばれるほど、仁尾に根を張り地域を盛り上げる方です。
 そんな3人はカフェや豆腐屋さん、映像制作など、それぞれが全く違う活動をしています。3人の周りの人たちも、何か一つプロジェクトをみんなでするというより、それぞれがバラバラな活動をしていました。それで、統一性がとれるのだろうか。町にエネルギーを集められるのかな。と疑問に思い、聴いてみました。「それぞれが右に行って、左に行って、結局行きつく先は一緒だった。みたいな、そんな感じかな。」と宗一郎さん。
 それぞれは違うことをしていても、お互いが何をやってるのかは分かっていて、そのスキを尊重する。それが結局回りまわって町が元気になるという、ひとつの場所で出会う。短いスパンで見れば別々の事をしているけれど、長い目で見れば、それぞれの活動がいくつものレイヤーとなって、地域の深みが増していく。そんなことを学びました。

浪越さんが親戚の空き家(古民家)を貸してくれた。


蚊に刺されながら考えたこと

二大心配事のもう一つは、泊まるところでした。2週間ホテルに泊まろうとすると、なけなしのバイト代が吹っ飛んでしまいます。これも浪越さんを頼るしかありませんでした。相談すると、今は空き家になっている親戚の方の家を貸してくれることに。あまりに頼りっぱなしの私は、情けなくなってしまいました。そんな時に浪越さんからのメッセージです。

出来る事しかできないから。なので出来ることはお任せください


生きる仏を見た気持ちになりました。宿と足を手に入れ安心したのも束の間、寝床に着く前に蚊取り線香を焚こうと思ったのですが、マッチがしけていてうまく点きません。一本一本折れていき、どんどん焦っていきます。ようやく点いたマッチに、逆に自分が驚いて落としてしまいました。諦めて寝床に着きました。(夜は怖かったのでリビングに布団を引っ張ってきました)タオルをお腹にかけながら、浪越さんたちは「昔は『まちづくりをしてやるぜ』という使命感でやっていた」と話していたことを思い出しました。地域住民のために。とか、居場所づくりのために。と言ったように。浪越さんの厳しめな表現を借りれば、それは ”綺麗ごと” だったそうです。そのような自己犠牲的なスタンスでは続かないと気づいたといいます。「例えば町のためにお店をやりますって言っても、10人中2人からうるさくなるからと文句を言われたらできないの?」と宗一郎さん。”みんなのため”だけでは進まないことがある。そのためにも、まず自分たちがこの町を面白がることで、それが結果町が盛り上がっていることにつながっていくような、そんな順番が持続的なんだと、気づきくことができました。
 そんなことを考えていると、いつの間にか蚊に刺され続けていました。暗闇での蚊との闘いは圧倒的に不利です。いきなり若干の寝不足気味で2日目を迎えることになりました。


続きます!



【浪越弘行さん】
いわゆる「いい人」を超えたいい人。


【藤岡優さん】
最初すごく怖いと思ったほど、目が生き生きしている人。

【今川宗一郎さん】
人間のことをフィルターなしで見る人です。


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