短編小説①『灰色の森③』/ユウイ
いつの間にか雪が本降りになってきた。足元が白く染まり始めていた。僕とおじさんはそんな中、もう二時間近くは休まずに歩き続けている。おそらく、森の半ば辺りまでは進んで来ることが出来たはずだ。低く垂れこめる雪雲も、周りを囲む針葉樹も、僕の口から漏れ出る息も、全てのものが灰色に見える、異国の深い森の中を、だ。
ふと何かが動く気配を感じて、僕は顔を上げた。前を歩くおじさんが手を挙げ、僕に向かって制止の合図を送っていた。
見ると、三十メートルほど離れた前方の大きな岩陰に、二人のラザルの兵士がいた。
どうやら、見回りの途中で休憩をして、再び動き始めるところのようだった。
僕とおじさんは素早く大木の裏に隠れ、そのまま、息を詰めて相手の動きを窺った。
二人の兵士はそれぞれリュックを肩に背負うと、ゆっくりと岩陰のところから外に出て来た。そして、僕とおじさんには全く気づかぬ様子のまま、慎重な足取りでこちらの方へと歩き始めた。
遠いし雪が降っているので、彼らの顔までは見えなかった。だが、上下灰色のラザルのいかつい軍服だけは、嫌というほどよく見えた。
父さんを殺した奴もたぶん着ていた、濃い灰色のそれだけは。
その瞬間、僕の中に激しい憎しみの感情が沸いた。自分では全く制御が出来ないような、深くて激しい感情が沸いた。
気づくと僕は動き出していた。無意識に体が動いていた。
木の陰から一歩出て、おじさんに言われた通りにサブマシンガンを構えると、「やめろ、まだ気づかれてないからやめろ」と小声でたしなめるおじさんも無視して、一気に銃の引き金を引いた。
パパパパパンッと大きな音が沸き起こった。
周囲の空気がビリビリ震えた。
それから一瞬の間を置いて、僕が我に返ったちょうどその時、二人の兵士はバタリと倒れた。声も出さずにその場で倒れた。
「馬鹿! 気づかれないうちに撃つやつがあるか!」
厳しい口調で言いながらも、おじさんがすぐに銃を構えて引き金を引き、とどめの銃弾を兵士たちに送る。兵士たちの体が魚のようにビクビク撥ねて、やがて完全に動かなくなる。
それを確かめ息をつき、苦笑交じりにおじさんが言う。
「まあ、でも、よくやったぞ……」
言いながら僕に顔を向ける。
「あのままじゃ、どうせ戦闘になってたかもしれないしな」
それから再び息をつき、僕の背中をポンポンと叩くと、おじさんは再び歩き始める。
「さあ、今の音で糞ラザル人どもが集まって来るかもしれないぞ、急ごう」
僕はすぐに後を追った。おじさんの背中をすぐに追った。途中、ふと僕は足を止め、倒れた兵士のほうを見た。
積もり始めた雪の上に、彼らの体は倒れている。一人の兵士がもう一人を庇うような恰好で、うつ伏せの状態で倒れている。
彼らの体からは血が出ている。染み出すように血が出ている。全てが灰色の森の中で、彼らの流したその色だけが、唯一の確かな赤色だった。
私たちは森の手前に到着した。幸運にも、一度も誰何を受けずに来ることが出来た。
無人の小屋の裏手に車を止め、私とおばさんは素早く助手席から飛び降りる。
Nさんもすぐに運転席から降りて来て、私とおばさんの荷物を下すと、そのまま真っ直ぐこちらを向く。
「……じゃあ、気をつけて」
明るい声でNさんが言う。
「……うん、ありがとう」
「……ありがとう」
なるべく明るく私たちも返す。
お互いに言いたいことが多すぎて、逆に言葉が何も出てこなかった。
と、その時、突然思い出したようにNさんが言った。
「ああ、そうだ、これを忘れるところだった」
そう言ってNさんが荷台から出してきた物を見て、私とおばさんはびっくりした。
それは、二人分のラザルの灰色の軍服と、同じ色のヘルメットだった。
「こんなところ民間人がウロウロしてたら目立つからな。これ着て行きなよ」
そう言ってNさんは笑ってみせる。
「ねえ、N」とびっくり顔でおばさんが聞いた。
「こんな物、いったいどうやって手に入れたの?」
Nさんはその質問には答えずに、ゆっくりと首だけ横に振ると、悪戯っぽい口調と顔で、
「それさえ着てれば見回りの兵士に見られても安心だろ? 適当に敬礼でもして誤魔化せそうだし。……それにほら、向こうに着いてからは仮装パーティーにももってこいだよ?」
私もおばさんも言葉が出なかった。ただNさんに頭を下げることしか出来なかった。
そんな私とおばさんを見て、照れ臭そうに少し笑うと、Nさんは、こう言い残して去って行った。
「……じゃあ、幸運を!」
私とおばさんは軍服を着た。お互いに手伝いながら軍服を着た。長身のおばさんにはびっくりするほど似合っていて、私は思わず見惚れてしまった。
そんな私をじっと見つめて、「よし、じゃあ行こうか、サラ?」と静かな声でおばさんが言う。
私は「うん」と返事をする。
それから二人で頷き合い、ぎゅっと手と手を握り合うと、ゆっくりと森へと入って行く。
ふと冷たいものを首筋に感じて、私は顔を上げた。
どんよりと曇った灰色の空から、雨と見分けがつかないほどの小粒な雪が、チラチラと降り始めていた。